第七話 「始まる恋愛戦争」
麗しの桃からの告白のせいで感情が壊れてしまった悲しきケモノこと霧嶋雫と不思議な恋人契約を結んだその日の夜中、桃はベッドの上で暴れ狂っていた。
「あぁぁぁ、もう! おそいっ! おそいっっ!!」
ひと通り暴れたあと、気付けば小学生の頃から抱き枕にしていたぬいぐるみが見るも無惨なボロ雑巾になっていた。
……あぁぁあああ。
それもこれもあの霧嶋雫というクソ朴念仁にプライドをボロボロにされたせいだ。
「遅いっ! 遅いっ! 遅いっっ!!」
おまけに携帯番号を渡しておいたのでこりゃもうすかさず連絡してくるだろう、と部屋でずっと待機していたのにも関わらず一向に音沙汰がないことにもブチ切れ。
待ちぼうけていると、既に午前二時を過ぎていた。
普段から美意識高めで健康志向な桃のいつもの入眠時間は遅くとも夜の十一時。
いよいよ眠気も相まって苛々が止まらないし、これじゃ桃が楽しみに待っててがっかりしてるみたいじゃん!
「というか! あんの野郎っ!! なんで桃の連絡先というプレミアチケットを無償で受け取っておきながら、電話してこないの? なんなの、馬鹿なの?」
失われたプライドを取り戻すためにも一刻も早く奴を桃の美技でデロンデロンに酔わせたかったのに、電話すらしてこないなんて……桃の声が聞きたくないわけ!?
と、息切れして肩で息をしていた。
はぁ、暴れたせいで妙に目が冴えちゃったじゃん。
念のためにとあるルートから霧嶋雫の連絡先はもう入手しておいてあるので、こっちから電話を掛けることは出来るには出来る。
それに契約期間はまだ一ヶ月もあって、冷静に考えてみるとまだまだ焦るような時間じゃない、けど、
「うぅぅぅ、こんな時間まで粘って収穫が何もないのも嫌だし、桃から掛けるのも嫌ぁぁぁ!」
なんで桃がこんな我慢したり悩んだりしなきゃなんないのよ、苛々すんなぁもう…………ああぁぁ、
……ワ、ワンコールだけ掛けてみようかな。
あの朴念仁はバイト戦士の異名も掛け持ちしてるくらいだから疲れて寝てるってこともあるし、そういえば今日も用があるって言ってたから電話をする暇もなかったのかもしれないもんね。
そうだとした桃の声は癒しにぴったりでしょ!
それなら仕方ないわね!
こっちから連絡したいわけじゃないんだけど、どうしてもっていうならこっちから掛けてやるわよ。
断固として、こっちから連絡したいわけじゃないから、ワンコールだけね。
それで出なかったらもう知らないからねっ。
世界一かわいい自分に対してそう言い聞かせた桃は怒りで震える指で通話ボタンを押した。
「はい」
秒で出た。
起きてんならさっさと掛けてこいやっ!!
腰抜けがっ!
「あ、もしもし。こんばんは」
「だれ?」
……は? 仮にも恋人の声くらいすぐに分かるように鼓膜に刻みこんどけ……
と、初っ端から血管ブチ切れそうな流れの中、咄嗟に携帯を握力測定器に見立てることで、どうにか呼吸を整える。
携帯はギシギシと悲鳴をあげていたけど、これはたぶん歓喜の悲鳴だと思う。
「きゅ、急にすみません……水瀬です。あのあの……今日は先輩とやっとお付き合いできた記念日なので、どうしても声が聴きたくなっちゃって。お友達から連絡先聞いちゃいました」
「あぁ、水瀬の番号だったのか。ごめんごめん、気付かなかった」
「こちらこそ、夜も遅いし、迷惑……でしたよね?」
ったく、連絡先は渡してんだろうが!
常人ならノータイムで登録しとくもんだろ情弱っ!
それに男なら、俺が秒で電話しなかったせいで不安な思いさせたよね、ごめんね、お詫びに切腹するね、くらい言ったらどうなんだよ、バーカ。
この桃を夜中まで起こし続けたこと罪は一生償っても絶っー対に許してなんかやら——
「……いや、ちょうどこれから俺も電話しようと思ってたところだよ。色々忙しくて遅くなっちゃったけど」
——ないつもりだったけど……ふ、ふーん…
ま、まぁ、そういうことなら別に良いんだけど?
へぇ……そう……
やっぱり桃の声聞きたかったんじゃん、ドスケベ。
それならノってあげてもいいけど?
「……ホントですかっ? 嬉しいです! 何だか今日はドキドキして眠れなくて……もしかして、せ、先輩も一緒ですか?」
「いや、俺は単純に忙しくて眠れなくてね」
「あはは……大変そうですね。お疲れさまです……」
………くそがぁあ!
せっかくノッてやったのに!
空気を読めっ! 共感しろ! ときめけ!
そもそも電話をする気があったんなら、桃の心身の健康のために他の用事とかよりも何よりも桃との電話を優先すんのが桃の彼氏たる勤めだろ。
「水瀬も眠れないのか?」
「ふふふ、そうだったんですけど、先輩の声を聴いたらなんだか落ち着いてきたかもしれないですっ。これならゆっくり寝れるかもしれません」
「そりゃ良かったよ。眠くなったんならもう切ろうか?」
いや、切るわけあるかぁぁ、ここからだろー。
ていうかこっちが萌え台詞吐いたんだから、キュンとか何とか反応しなさいよ。
何が「もう切ろうか?」だよ、紳士ぶってねぇでもっとガッついてこいよ、男だろ。
「私は…もう少しお喋りしていたいです」
「……そっか。なら良かった……ぶっちゃけ俺ももう少し話したかったし」
…………っ。
……なんなんだよーこいつー。
効いてるのか、効いてないのか全然分かんねぇよー。
ふらふらと興味があるのか、ないのかも分からない霧嶋雫の突飛な言動にだんだん頭がくらくらしてきた。
普通に眠いからなのかもしれないけど、あんまり頭が回ってないのかも。
というか、こんな時間まで用事ってこいついつも何してんだ?
なんて考えながら少し黙っていると、珍しく霧嶋雫の方から話を振ってきた。
「そうそう、せっかく仮でも付き合ったんだし、登校とか一緒に行ったりする?」
「え、いいんですかっ!? 行きたいです! じ、じゃあ明日から一緒に行きませんか?」
お…もしや意外と効いてた? ほっほっほ、
あんまり乗り気そうじゃなかった割にはそういうこともしっかりと考えているんだと思ったら、少しだけ目が覚めてきたのでここでグイグイと押してみるが、
「悪い、言い出してあれだけど、明日はちょっと無理なんだ。だから明後日からはどう?」
…ん、効いてた……よね?
何となく押し切れない微妙な返答が来るのでやきもきして桃はベッドに倒れ込んだ。
「……だ、大丈夫ですよ」
「ぷふっ」
「な、なんですか? なんで笑ってるんですか?」
「いや、水瀬、ちょっとガッカリした?」
「そ、そんなことありませんよ!」
「そう? さっきの声めっちゃトーン下がってたから」
「…………ちょっとだけガッカリしました」
心を読まれてるように図星を当てられ、つい正直に答えたら、霧嶋雫は堪えられないように笑い出した。
「あはは、急に素直じゃん」
「……だって…ホントのことなんですもん」
「いいと思うよ。今みたいに思うこととかあったら素直に何でも言ってよ。俺は仮にも彼氏だし」
「もう……先輩のいじわる」
その"仮にも"って単語を逐一付けられることに対してはなんかムカつくので唇を噛んでいたけど、霧嶋雫と少し恋人らしく会話出来ている感覚は悪くなかった。
「まぁまぁ、これも一ヶ月の辛抱だよ」
「……あはは」
……——は?
前言撤回っっ!! うっぜぇぇええええええ!!
なんなん? ちょっと気分が落ち着いたと思ったら、嫌味みたいなこと言いやがって。
もう今すぐにでも上下関係を覆させないとこのままじゃ、桃のクイーンビーのプライドが爆散しちゃう。
…いや、落ち着こう。このままじゃまた霧嶋雫のペースに呑まれるままだ。
切り替え切り替え、桃は天使天使ー。
「そういえば水瀬はさ、どこか一緒に行きたいところとかある?」
「えーと、沢山ありますよ。どこかに出掛けてデートをしたり、学校でお話したり、というか先輩と一緒ならどこにでも行きたいなって思います」
「うん、いいね。じゃあ、この期間に行けるとこはじゃんじゃん行って思い出作ろうぜ」
すぐに切り替えて、なんとなく今後のプランを話してみると反応は意外にも良かった。
やっぱりこれはガンガン押していけばすぐにでも落とせるのでは? とエンジンを踏み込んでいく。
「あ、遊園地とかも行きたいです。それと、隣駅の」
「うわっ、悪い。もうちょい話したかったけど、野暮用出来ちゃったから、今日はここまでだ」
「……大丈夫です。身体に気を付けてください」
が、どういうわけか勢いに乗ってくるとすぐさまエンストしてしまう。
まるで何かに操作されてるように、良いところでブレーキがかかっちゃうので後手後手感がもどかしい。
「そうだ、最後にせっかくこうやって関わっていくことになったわけだし俺からも一個いいか?」
「はい!」
「これからは俺、水瀬の内面も外面も知るために最大限の努力をするからさ、だから水瀬ももっと俺自身を知る努力をしてほしいかな」
正直、何言ってんのか意味不明だった。
こいつのことなんか別に知りたくもないし、今はそんなことよりもっとこいつにアピールをする方がよっぽど桃にとっては大切なのに、どうでもいいお願いをするなと思った。
限られた時間でもっといっぱいアピールしないと!
「分かりました! 私も先輩に好きになってもら」
「ごめんホントにもう行かなきゃだから切るね。てことで今日から宜しく。んじゃ、おやすみ!」
「え!? ちょっ」
「……——ツーッ……ツーッ……ツーッ……」
「……と……」
…………
………………
あああああ、ちっくしょー!
電話なんて掛けるんじゃなかったわ、寝れねぇよ、ボケええぇぇ!!!
なんなんだよ、モヤモヤすんなぁぁあああ!
いつか惚れ殺す!
絶対に惚れ殺しにしてやる!!
この直後、既にボロボロの抱き枕に追い打ちを掛けるように何度も携帯を叩きつけたのは言うまでもない。
***
「やばいやばいやばいやばいっ!!」
あれから二日後となる五月十四日の朝。
桃は時をかける少女を彷彿とさせるストライドで通学路を奔走していた。
昨日、なぜか霧嶋雫が学校を休んでいたので本格的にお付き合いが始まる今日という日。
桃は大寝坊をかました。
しかもだ、昨日再び深夜まで待ちぼうけた末に通話をして一緒に登校をする約束を取り付けたのにだ。
待ち合わせは七時半にお互いの通学路の間にあるという公園なのだが、既に時刻は七時五十分を過ぎていた。
幸先が悪すぎる。
次の曲がり角を抜けたら公園だが、焦っていたので化粧も髪もぐちゃぐちゃなのが最悪すぎる。
せっかくあの朴念仁にモーニングアタックをぶちかまそうとしてたのにぃぃぃぃぃ!!!
「うぶっ!?」
「おっとと!」
と、心の中で嘆きながらコーナーで差をつけるように曲がり角を曲がった瞬間、壁に激突した。
「水瀬!?」
「ててて…………あわっ、先輩! ごめんなさい!!」
と、思ったら壁は霧嶋雫だった、やべえぇぇ。
「水瀬さぁ」
髪型と化粧はぐちゃぐちゃだし、汗かいてるし、しかもなんか「うぶっ」とか言っちゃったし、なによりめちゃくちゃ遅刻してるし、印象最悪。
更には霧嶋雫に憤怒な雰囲気を醸し出されつつガン見されてる……え、え、怒ってる!?
「何でこんな汗だくなんだよ、大丈夫か? 連絡くれたし、ゆっくりでいいって言っただろうよ」
「ふぇ? だ、だって私、寝坊しちゃいましたし」
「寝坊なんて誰でもすんだろ。それよりも慌てて今みたいに事故る方が危ないから」
「け、けど……」
「……まぁ、遅刻したから急がなきゃって気持ちは分かるし、ちゃんとそう思える水瀬は偉いとは思うけど、何よりも安全の方が大事だろ」
あれ……怒って…ない?
おとといの告白した時の淡々とした態度から、てっきり怒られるかと思っていたのに霧嶋雫の声音は恐ろしいくらい優しかった。
「心配してくれたんですか?」
「当たり前だろ。とりあえず落ち着いてこれ飲め」
「……え、あ、ありがとう……ございます?」
そう言って霧嶋雫はあろうことか遅れてきた桃にすぐそばの自販機で買ったであろう冷えた紙パックの飲み物を差し出してきた。
しかも、偶然にも桃の好きなイチゴオレ。
え、なになに? これって……
なんというか、それまで感じていたどこかナマケモノみたいな対応がウソのように紳士的な振る舞い。
そのやり口はまるで今まで捨ててきた男共が向けてきた下心のある優しさ。
そこでピンときた。
ははーん、こいつやっぱ桃に惚れてたな?
実はあのときは照れ隠ししてやがったなぁ??
だってどう考えても一昨日とは立ち振る舞いが違いすぎるし、目があんまり死んでないもん。
それに遅刻したのに怒らないし、むしろ心配してくるし、というかわざわざ飲み物まで用意してきてるし、これで桃に興味ないなんてどうみてもウソでしょ。
ふふ、気取ってたけど、桃のかわいさに発情しちゃってお触りしたくて手のひら返しちゃったのかな?
ま、指一本触れさせないけどね。
けど今日は遅れちゃったこともあるし、あいつもだいぶ気が利くことしてくれたから、ご褒美として桃ちゃん特製ピーチスマイルくらいならくれてやるかと、霧嶋雫の正面に回りこみあいつを見上げて微笑んだ。
「えと……改めて先輩、おはようございますっ♡」
「ん、おはよ」
「ふふふ……」
……ちっ、相変わらず反応は薄いなー、ま、すーぐに化けの皮はいでやるもんね。
達成した暁には桃の下僕として靴を舐めるくらいさせてやらんこともないし。
なんて考えていると、霧嶋雫はちらりと桃の顔を覗いてきたので、咄嗟に顔を背ける。
「なーに笑ってんの?」
「あ、えっと、その、朝から先輩に会えて幸せだなって思っただけですっ」
「あーそう、じゃあ行くぞ」
「はーい」
あんまり覗き込まれると、はしたない髪とか化粧とかをジロジロと見られちゃうので、霧嶋雫のほんの少し後ろに付いて学校までの道のりを歩いた。
「へへ、なんだか緊張しちゃいますね」
「……そう? 緊張なんてしなくていいよ」
「したくなくても……しちゃうんですよ。好きな人の隣を歩いてたら」
「そういうもんなのかね。俺にはまだ分かんないな」
「……そういうもんなんです。早く先輩にもそうなって欲しいです」
「努力はするよ」
やっぱしムカつくなぁ……
こっちが押すたびに倍々でストレスがたまっていくこの状況は精神衛生上よろしくないので今日の放課後あたりにパパにお願いしてサンドバッグを買ってもらうことを強く決意した。
そのあとも他愛も無い話の合間にちょいちょいアピールをしていたけど、手応えはウソみたいになかった。
ストレスで胃がキリキリしつつも、やがて学校が近づいてくるにつれて、他の生徒たちにも見られるようになりひそひそとした声が耳に届くようになった。
「——え、あの二人付き合ってる?」
「——おい、あの隣の男子誰だよ!? 先輩!?」
「——ああああ、俺たちの水瀬ちゃんがあああ」
そこから感じるのは惨めな野郎共からの羨望の眼差しと嫉妬に満ちた視線。
うひょー、気持ちいいぃ!
この注目度を味わうたび桃の存在価値がひしひしと上がっていくような高揚感。
まるで光合成のように、疲弊したメンタルが回復していく。
かぁー、これのために生きてるってもんよ。
この醜い嫉妬心が何度でも桃を蘇らせるっ!
ちなみにあまり解せないが霧嶋雫もわりと評判がいいので女子の驚愕した反応もちらほらと見えた。
桃からすると全くこいつに魅力を感じないのだが、人気の男子を独占してる優越感はいいものだ。
しかもこの行為により二人は付き合っているということは周知されることになるので、この前振られたという秘密のレッテルも有耶無耶に出来るというわけだ。
ひっひっひっ。
「それじゃあ、俺はここで」
「あ、はい、あの……先輩?」
「ん?」
「よ、良ければ放課後も一緒に帰れますか?」
「あぁ、いいよ」
「ありがとうございます! じゃあまた放課後にメールしますっ♡」
昇降口に到着し、靴箱の場所が学年ごとに離れているのでそこでお互い解散することになり霧嶋雫のやる気の無さそうな背中を見送り桃も教室へ向かう。
くっくっくっ。
放課後の予定も取り付けたことだし、とりあえず順調に事は進んでるはず。
けど、もっとガンガン攻めて早く霧嶋雫のメロメロなアホ面を露見させてやらないと!
桃はそう意気込んでグッと拳を握りしめた。