第六話 「布石と邂逅」
水瀬桃華との告白イベントの成果の出来は想像していたよりも上々だった。
なにより最初の段階で突き放したことにより水瀬の異常なまでの執着心を知ることが出来、それにより俺の頭の中で既にある程度の攻略のイメージが固まった。
ひとまずは初っ端のイベントを無事に終わらせた俺はその足で近所の喫茶店へ流れ込んだ。
「ブレンドコーヒーがおひとつですね。砂糖とミルクはお付け致しますか?」
「いや、大丈夫です」
店内にてコーヒーを一杯注文して店の奥の方のテーブル席に陣取り、鞄に入っている分厚めの手帳を取り出して開いてみた瞬間、吐き気を催した。
「なんじゃ、このキモいスケジュール帳」
中には月の枠に隙間なく詰め込まれたアルバイトの予定の他、足りない枠を補うために付箋を使って支払いや家計の内訳がびっしりと書き込まれていた。
家のローンや光熱費、母の施設の支払いがあるとはいえ、普通の高校生にあるまじき狂気のスケジュールで、おまけに今日もこのあと18時から居酒屋のバイトがねじ込まれていた。
正直、自分で過去の自分にドン引きしている。
「とりあえず予定は全部クリアにしなければ」
ということで約2時間を掛けて今日のアルバイト及び所属していたバイト先の予定を丁重に嘘を交えながら無しにしつつ、同時に退職の希望を出した。
普通に考えればテロリスト並の迷惑行為だが、どこの職場に連絡をしても体調や精神的な面の心配をされるばかりで責められることはなかった。
それくらいあの頃の俺は異様な働き方をしていたのだろう。
同じことを今やろうとしても絶対に無理だと思うようなレベルなので、それだけ過去の自分が狂っていたということが明らかになった。
となると収入がなくなってしまうのだが、たしか親父に個別で託された遺産とこれまでのバイト代で百万円以上は残高があるはずなので数ヶ月は凌げる。
それに元々裏社会でひっそりと過ごしていた今の俺にとって生きるくらいの金を稼ぐのはわりと容易い。
なんとかなるだろう。
母の入院している精神病棟に関しては月初めにその月の分の支払いをしてしまっているはずだし、猶予はあるのでしばらくはこのまま入院させておくことにした。
なので当面は重要な水瀬桃華対策に時間を費やせる。
と、現状の調整をそこそこに終わらせた俺は二杯目のコーヒーを注文しようと再びレジに向かう。
すると、同じタイミングで入口のドアが開いた。
「おっと……て、あれれ? どこぞの男前かと思ったら霧嶋君じゃん! よっす!」
現れた人物は二度見の末に俺の姿を確認すると、実に馴れ馴れしい距離間で声をかけてきた。
「鳴上? 久しぶり」
「いやいや、数時間前に学校で会ったばっかじゃん! え、なにそれ、ボケ? めっちゃウケるんだけど」
朗らかに笑うこの男前は学校内のカーストの頂点に君臨する爽やかイケメンの鳴上翔。
顔も良く、ノリも良く、文武両道なこの男は学校では学年を超えて知名度があるアイドル的な存在。
その一方でアルバイト三昧でノリも悪く、付き合いも悪く、知名度もそんなに無かった俺にまで度々関わりを持とうとしてきた変わり者でもある。
たしか同じクラスでちょいちょい話しかけて来てくれていたけど、たぶん俺はぶっきらぼうな対応ばかりしていたはずだ。
ならひとまずはその頃と変わらない応対をしておくのが吉だろうな。
「つーか霧嶋君がバイトしてないって珍しくねっ!? もしかしたら歴史的瞬間に立ち会えてるんじゃね?」
「まぁ、バイトは辞めることにしたから」
「まじっ!? んじゃ、これからは俺と遊ぼうぜ」
「なんで?」
「あはは、なんでって辛辣すぎっ! 普通に友達なんだから遊びたいじゃん」
「友達になった覚えないけど?」
「たしかにっ! んじゃ友達になろー」
「なんで?」
「あははっ、手厳しいなっ! なるほど、なかなかガードが堅いね。よーし、こうなったらこれから友達になれるように君を口説くとしよう」
そんなことを宣言した鳴上はおかわりを注文をする俺に倣うように同じ物を頼み、流れるような動きで俺の目の前の椅子に腰をかけた。
ちなみにさらっと俺の分のコーヒーも奢るというイケメンムーブをかましていた。
「なんで相席すんだよ」
「言っただろ? 君を口説くって」
「女にやれよ」
「お生憎様。女の子は口説くまでもなくやってきてくれるんでその必要がないんだよね」
そこらへんの野郎が言ったらナルシストだの自意識過剰だのと袋叩きされそうな言葉だが、そんな戯言でも納得させてしまうような存在感が鳴上にはあった。
「んで、霧嶋くんはなんでアルバイト辞めるのさ?」
鳴上はカップの中にミルクと砂糖を交互にドバドバと入れつつ、話題を振ってきた。
さて、どうするか。
偶然に鉢合わせてみて思ったが、この男は手駒としてはかなり使えるかもしれない。
高校生にタイムリープされた俺はこれからは自ずと高校生を中心に人助けをしていくことになると思うが、ひとりだと色々と効率が悪い。
そこで男女共に俺の持ち駒として動けるような使える人材を確保出来たら便利だと考えていた。
その点で校内で圧倒的な人脈と情報量を持ったこの男は条件に完璧に合致する適役。
なら、どうにかして彼の興味をこちら側に上手く向けさせて懐柔したいところ。
ここはひとまず高校生が好きそうな話題を出して様子を伺ってみるか。
「彼女が出来たからかな」
「ブフゥーッッッ!!」
奴はミルクで変色したコーヒーを吹き出した。
「……えっ!? えっ!? えっ!? まじ?」
「まじ。今日告白された」
「誰に!?」
「一年の水瀬桃華」
「ブフフゥゥゥーーーッッッ!!!」
奴は更に吹き出した。
「……すまんすまん」
そしてほぼほぼ飲むこともなく空になったグラスを持ち、そそくさとお代わりを注文しに向かった。
しばらくして戻ってくると、こほんと咳払いをしてさっきとは一変して神妙な顔つきをし始めた。
「えーっと、なんつーか、あの、こういうのは……ちょっと言いづらいんだけど……」
「なに?」
「水瀬桃華はやめとけ。親友としてはっきり言っとくけど、たぶん君は騙されてるぞ」
「それは分かってる。あと親友ではないだろ」
「確かにあの子はかわいいし信じられない気持ちも分かるんだけど…………えっ!? 今なんて言った?」
「親友ではないだろ」
「違うっ!! そこは傷つくからあえてスルーした部分だからっ!! その前のところ!」
「それは分かっている」
鳴上は無表情でそう繰り返した俺の言葉を聞いて、意味不明だとばかりに目を丸くさせる。
「えーと……分かっているっていうのは君が彼女に騙されてることを分かってるってことでおけ?」
「おけ」
「騙されてるのは分かってるのに彼女と付き合ったってこと?」
「まぁ一ヶ月限定っていう縛りはあるけど、そういうことになるな」
「……それはなにゆえ?」
鳴上は思ってた以上に食いついて来た。
しかもテンションがあがってるのか、馬鹿みたいに角砂糖を何個もコーヒーに投入してかき混ぜている。
更にはそれを平然と飲みながら、口にした疑問の答えを待ち侘びてる様子。
さておき詐欺っていうのは釣りと似ている。
狙った獲物の餌をそろりそろりと垂らし、対象をおびき寄せて食い付いたら勢いよく引き上げる。
賢い魚もいるだろうから、慎重に警戒心を逸らして思いっきり食い付かせるひと手間が意外と重要だ。
ちょうど今はその垂らした餌の存在に鳴上が気付いた場面くらいだろうか。
次にするべきは慎重に警戒心を解きつつおびき寄せることだが、鳴上は人との関わりが多いだけあって警戒心はわりと高めだろう。
「まぁ、そこから先はタダじゃあ教えられないな」
「おいおい、俺を舐めるなよ親友。おもしろそうなことのためなら俺はなんでもやるぜ?」
「言質は取ったぞ? あと親友ではない」
「そこは頑ななのな。……けどまぁ、話してくれよ」
驚くほどに簡単に釣れた。
学校のカーストトップがそれでいいのかとも思うが、そういうとっつき易く、親近感を感じれる部分が好かれる所以でもあるのか。
とはいえ、食い付いてくれたこの状況を活かさない術はないので俺は話をすすめた。
「とは言ってもあんまり面白い話ではないけどな」
「まぁまぁ、それで? 霧嶋君はなんで騙されてるって分かってるのに水瀬ちゃんと付き合うことにしたの?」
「うーん……端的に言えばあの子を守るため」
「ん、端的すぎて全然分かんない。どゆこと?」
よくよく考えると、タイムリープとか神とかの話なんて特に言わない方がいいので、ぼやかしながら話すとなるとこれが意外と難しい。
そのせいで鳴上はポカンと口を開けてしまっている。
ならば、俺の頭の中で話をまとめるまでは鳴上に話させた方が良いかもしれないと思考を切り替える。
「……ちなみにだけど、俺に騙されてるっていう助言をくれるくらいだから、鳴上は水瀬桃華の本性を知ってるって認識でいいんだよな?」
「そりゃそうだよ」
「なら先に俺と鳴上の間で齟齬がないように念のために鳴上が知る水瀬のことを教えてくれ。こんな話をしといて何だけど本人のいないところでお互いの知らない陰口を言っちゃうことになったら嫌だし、変な誤解を招く恐れがあるからさ」
「ああ、たしかにそうだね。うん……なんつーか霧嶋くんってやっぱ良い奴だな。俺の目に狂いはなかったな」
「学校一の人気者に言われてもねえ」
俺の本性を何も知らないがゆえの戯言を流しつつ視線を向けると、鳴上はどこか遠い目をしながら話した。
「あの子はねぇ、中学から一部では有名でさ、男を取っ替え引っ替えしてるし、デート代は出さないし飽きたらすぐに捨てられるし、おまけに誰も手ェすら繋がせてもらえたこともないっていう、俺たち男からしたら地獄のような女なわけよ。めちゃくちゃかわいいんだけどね」
鳴上は切なそうな表情をしたり、かと思えばうっとりとした表情になったりと忙しなく彼女の特徴を訴える。
彼女と鳴上がどういう間柄なのか気になってきたが、そこはまだ今の情報だけだと計りかねるのでとりあえず話を進める。
「そもそもだけど水瀬って元々男のことを好きで付き合ってるわけじゃないよな?」
「んだ。好きでもない男をたぶらかしてるのよ」
「……なんのためだと思う?」
「んー……自己顕示って言うの? あの子が付き合う男ってそこそこ人気がある男達だし、自分のステータスを底上げするアクセサリー的な感じなのかな」
「それは同意だな」
見込んだ通り、鳴上はただ顔が良いだけではなく、人付き合いの頻度も高いからか、客観的にも主観的にもそこそこ人となりを見ることが出来ているようだった。
「あと、これは小耳に挟んだくらいだけど、元々はむしろ男が嫌いだったっていう噂もあるしね」
「それはおもしろい話だな。男が嫌いなのに敢えて男に近付いて男を騙す、いや、男への復讐? どっちにしても詐欺師の才能があるな」
「最早すでに詐欺師だよ。どの男も相当貢がされてるらしいからね……というか話が逸れてたけど、そんな彼女を守るってどゆこと?」
逸れていた話題はやがて元に戻る。
「んー、あの子って男を騙すようなことをずっとしてきたんだろ? だとすると相当色んなとこから恨み買ってるわけじゃん?」
「まぁ、そりゃそうだね」
「今はイイかもしれないけど、それを続けてるといつか絶対痛い目に合うと思う。取り返しのつかないような」
「だろうね」
「だからさ、あの子に男漁りをやめさせたいわけよ」
「つまり彼女がこのままだと変なことに巻き込まれそうで心配でそれを止めたいから、騙されるのを分かっててわざと付き合ったってこと?」
「まぁ、そんな感じ」
「聖人かよ」
「いやいや、俺はそういうのじゃなくて、なんて言うのかな……俺に関わった人間が不幸になっていくのが嫌なわけよ。これは自己満足みたいなもんなんだけど」
俺は飄々とそんな月並みな正義感を用いた言葉を使った。
だいぶ濁してはいるが、話の流れ的にはこんな感じだろうし、鳴上からの話で新たなピースが埋まったことにより神様の言っていたアドバイスが俺の中ではより鮮明になった。
まず、過去のトラウマというのは恐らく鳴上が言っていた男嫌いの原因となる出来事。
連続する暴行事件というのは、これから水瀬が巻き込まれる可能性が高いもの。
そして、望まぬ妊娠……これはまぁ、事件と関連付けるとすぐに想像できてしまった。
気分が悪い話だが、彼女のやっていることを考慮するとそうなってもおかしくはない。
となると現在のような男漁りを続けたことで恨みを持った人間が増え続け、やばい奴に引っ掛かったことがきっかけでそれらの集団に逆上されて襲われた、と。
後日、事件となり検査をしてみると妊娠が発覚、大人数にやられていたので誰が相手かも分からない。
しかもそんな噂は学校という狭いコミュニティではあっという間に広がる。
それに絶望して自殺を試みた、と。
パッと浮かびあがった想像では大体こんな流れなのだろうと推測した。
そう考えると、やるべきこととしてはそうなる諸悪の根源をまずは断つこと。
根源とは考えるまでもなく男漁りという人を見下して馬鹿にした行動のことだ。
他にも要因はあり、どれもひとつずつ潰していくしかないのだろうが、目下の目標としてはそこだろう。
「理由は分かったけど、具体的にどうやってやめさせるつもりなの?」
それこそが難題だ。
思うに水瀬桃華は周りから人一倍モテることもあり恐らく相当自尊心が増長されているので、かなり他人を見下した性格をしているだろう。
そういう人間というのは他人の意見や言葉をまず聞き入れようとはしない。
だからこそ手間が掛かることだが、遠回りしてでも彼女が見下さないレベルまで彼女の中で俺自身の価値を高めていくしかないのだろう。
「まあ、手っ取り早いのは俺に惚れさせることだろうね」
「ヒューッ! かっくい! それでそれで? 何か作戦でもあるの?」
「作戦かぁ……強いて言えばジェットコースター作戦とでも名付けておこうか」
「ほぉん、どういう作戦なの?」
「とりま今日の告白で彼女のプライドをへし折っといた」
「お?」
「んで、付き合いながら折れたプライドをまた伸ばしてやる」
「おお」
「伸びたらまたへし折る。その繰り返しかな」
要するに下げて、上げて、下げて、上げてを何度も繰り返すジェットコースターを乗っている時のような感覚を感情を使って起こすということだ。
それによって彼女のメンタルをじわじわと削っていき、一番弱ったタイミングで刺す作戦。
「霧嶋君……君ってドエスなのかな?」
「鳴上がそう思うなら、そうなのかもしれないな」
じっとりとした視線が刺さる。
俺は気付かないふりをしてコーヒーを口に運ぶ。
「それで無事に惚れさせたら、どうするの?」
「あいつが今やってることと全く同じことをやり返して自分のしてきたことを肌で思い知らせる。水瀬は世の中を舐めすぎだし、少しは痛い目を見とかないとな」
それを聞いた鳴上の整った眉が吊り上がる。
「……んん? なんか急に物騒になってきたな……つまり水瀬ちゃんを惚れさせて捨てるってこと?」
「そうそう、知らない? 昔流行ってた『目には目を、歯には歯を』って法律」
「それハンムラビ法典な! 知ってるけど、何百年前の流行りだよ!」
「今風で言うと『やられたらやり返す、十倍返しだ!』ならしっくり来る感じかな?」
「…………なにそれ?」
「……おっと、これは時差ボケだった」
「ボケのキレが良すぎて拾いきれんわ!」
流れるままにうっかりまだ放送されていないドラマのパロディを披露してしまい、迂闊にも自爆しかけた。
時間遡行によるジェネレーションギャップを恐ろしく感じながらも俺はそっと話を元の位置へと戻す。
「まぁ要するに短期間で惚れさせるまではいかないにせよ、出来るだけ好感度を高めておいてから……とりあえず奈落に突き落とそうかな、と」
「……突き落とすことに意味はあるの?」
「むしろそこが最初の大一番だ」
「その心は?」
「全部を教えるのは面白くないと思うけど」
「えぇ、まじかよ! うわぁー聞きてえー! けど確かになぁ、過度のネタバレはあかんよなー……」
苦悶の表情で頭を抱えた鳴上は良いシーンでエンディングに突入したドラマを観ていたときのような大袈裟なリアクションをしながら悶えていた。
それからしばらく自分を落ち着かせるように甘ったるいコーヒーをジュビジュビと啜っていたが、やがてカップを置いたあとに気付いたように視線を上げた。
「うーん、でもそれって直接言えばよくない?」
あんまり納得していない様子の鳴上の提案の意図は彼女にありのままにやめなさいと言えということだろう。
「言って素直に言うこと聞くと思う?」
「ちゃんとこの先のこととか心配してるっていう話をしたら聞くでしょ、普通に」
これまでの会話ではっきりと分かることは鳴上きっと善人であるということだ。
いわば、事勿れ主義の平和人間。
それでなんとかなるのならば、悪人の俺は今ここにはいないだろう。
「じゃあさ、鳴上。これはお前のために言うんだけど、お前は半年後にすんごい修羅場を向かえることになるから今付き合ってる本命の彼女以外とはすぐに別れとけ」
「は? 嫌だけど。俺は全ての女の子を愛してるから」
鳴上はすかさずその助言を拒否すると、俺はそれみろとばかりに眉根をあげてみせる。
「ほらな」
「なにが?」
「こうやってせっかく忠告してんのに聞き入れないってことをお前がたった今、証明したじゃん」
「……ああ、なるほど。分かりやすいな……というか何で俺が三股してるって知ってんの!?」
「いや、適当にカマかけてみただけ。おまえ三股もしてんのかよ、やべぇ奴じゃん」
「ぬおぉぉお、嵌められたぁ!」
まぁ、人間というのは愚かな生き物である。
例えば、既に悪徳宗教に心酔してしまった人間に対してその宗教は悪いことをしていて君も騙されている、なんていくら言葉で伝えたところで洗脳は解けはしない。
どころかそれを言いすぎることによって余計に反発心を煽って心を閉ざすようになったりすることもある。
それこそ俺の母親のように。
つまりそれだけ人の考えや思想を変えるというのは難しいことだ。
水瀬に関してもそう。
これから君は不幸なことに必ず逢うからといくら口先で助言をしようとも実際に身に染みないと分からないのが人間であり、彼女のようなタイプは特に素直に聞き入れることはしないだろう。
ただ逆に捉えれば、解決の道がないわけではないということ。
「まぁ人間の性質を考えれば必然的に数十年生きた中で凝り固まった思想や習慣を変えるにはそれなりの荒療治になるってわけ」
「それでそんな面倒くさい作戦をするってわけか」
「上手くいくかはまぁなんとも言えないけど」
「……なんというか、一応聞いておくけど霧嶋君は水瀬ちゃんに対して恋愛感情はないの?」
「うん、全く」
事実なのですぐさま肯定すると、鳴上はあごを手に乗せてやはり納得しきれてない空気を漂わせる。
「それなのにわざわざこんなことしてんの?」
「まぁ……何度も言うけど、自分のためにな。だとしても彼女を悪いようにはするつもりは毛頭ないよ」
「……とりあえず君がとんでもなく優しい男なのは分かったよ。それと今更だけど、あの子はほんとに男心をくすぐる天才だから、どんな男も結局は落としてるって聞くけど、霧嶋君が惚れたら計画は破綻するよね?」
「破綻するな」
「なるほど……霧嶋君が惚れるか、水瀬ちゃんが惚れるかで勝敗が変わるね。まさに惚れた方が負けることになる恋愛戦争! これはかなり見応えがありそうだ」
「たしかにある意味命懸けではあるかもな」
「……けどまぁ、俺は結局なんやかんやお互いが結ばれるって方向に話が転ぶ方に賭けとくわ」
「勝手に第三の選択肢を作るな」
「まぁまぁ、何が起こるかは分からないから! とりあえず俺はもう一杯おかわりしてくる!」
その後も俺たちは小気味良いテンポで様々な会話を続けていき、時間は流れていった。
鳴上とは定期的な近況報告をダシにして俺が手伝って欲しい時に手を貸してもらえたり、彼の情報提供を得るという約束を取り付けた。
「んじゃ、俺は電車の時間もあるしそろそろ帰ろうかな。また進捗があったら報告よろ」
「分かった」
「あ、次回は霧嶋君の奢りね」
「言われなくても、これからは俺が奢るよ。鳴上が協力してくれるうちはね。今日はごちそうさん」
「それじゃあ」
「じゃ」
完全に陽が落ちた空の下、俺たちは互いに別れた。
鳴上は電車通学なので駅の方へ。
俺はというとまだ今日のうちにやっておきたいことがあったのもあって家までの帰路とはまた違う道を歩いていった。