第十二話 「決戦の初デート 後編」
「水瀬ってハンドル持つと性格変わるタイプなんだな」
「えっ、そうでしたっけ? あんまり記憶が……」
「……お前は絶対免許取るなよ?」
「えぇー、ひどいですよぉ」
序盤で散々に負けまくりムキになった結果、思いの外そのゲームに熱中してしまいモールの外に出たら空はもうほとんど真っ暗になっていた。
最後らへんは勝ち越せたのでなんとか気は収まったからまぁ、良しとしよう。
その後、とりあえず電車に乗って最寄りの駅に戻り、最後に桃が行きたいとせがんでいたお洒落な喫茶店へ向かうことに。
「ここですここ」
「ああ、ここのことか」
「来たことありますか? なんか高校生じゃ入りづらい雰囲気だと思ってたんですけど、クラスの友達とかが行ったみたいでオススメだったって言ってたんですよ」
「つい最近行ったばっかだな。たしかに落ち着いた雰囲気ではあるよ」
「あ、そうなんですね。楽しみだなぁ」
着いたのは学校からわりかし近くて、しかもちょっとお洒落と密かに噂の喫茶店『憩い』というお店。
しれっと霧嶋雫に先手をイカれてたのはちょっと気に食わないけど、これでクラスメイトとの話題にも混ざることが出来るので気にしない。
「うわぁー、なんだかお洒落ですねっ!」
入ってみるとモノトーン調の変わった作りの内装になっていて所々にあるアイテムもたしかに小洒落ている。
店内に入ってまずは注文をするためにレジに並び、メニューの看板を眺めながら飲み物を選ぶ。
「私は……えっと……エスプレッソで」
「コーヒー好きなの?」
「……はい! よく読書しながら飲みますよ」
ちなみに嘘である。
生まれてこのかたコーヒーなんて飲んだことがないし、読書というのはもっぱら少年漫画の単行本だ。
おまけに桃は文字の羅列を見ると睡眠薬を飲んだかのように眠くなる体質なのだ。
にも関わらずそれを選んだ理由はここのエスプレッソ?というのが美味しいって言ってたのとちょっぴりカッコつけたいというのと、人気のカフェでカップル写真とかを撮って大衆に向けアピールをしたいから。
「……ふーん。じゃあ俺もそれを頼もうかな。飲み物は俺が持ってくから水瀬は先に席取っといて」
「はーい」
カップ一杯四百円とかいうぼったくり飲料を注文してテーブルの席に座ると少しだけ上流の気分がした。
桃は払ってないが。
しっかりと席を確保するという重要任務をこなし、待っているとお盆にカップを二つ乗せた霧嶋雫が来て、対面に座る形になった。
「ふぅ」
そんなため息をこぼしながら席に着いた霧嶋雫はややお疲れ気味な様子だけれど、桃はここに来たらまずはやっておきたいことがあった。
「先輩、せっかくだし写真撮りましょ!」
「え、俺あんまり写真好きじゃないんだよ」
が、思いの外ぶっきらぼうに返された。
せっかく特別に近距離に顔を近付けて撮ってあげようと思ったのに。
こういう反応にももう慣れてきてはいたけど、このタイミングでの応対はちょっと気に食わなかった。
「え、でも……これも思い出じゃないですかっ!」
「思い出ねぇ……まぁ、なら今日はいいか」
「はい、楽しかったので先輩との思い出を残したいです」
あんまり乗り気ではなかったようで、地球と月くらい二人の距離が離れていたもののとりあえずツーショットを撮ることができた。
ふふ、やっぱりこういうところでも記録には残して置かないとね。
さて、目標も無事に達したことだし、お目当てのエスプレッソを頂くことにしよう。
「いただきまーす」
可愛らしく手を合わせてから、徹夜明けのパパから漂う匂いと同じ匂いがするそれを勢いよく啜った。
「ブフゥッッッ」
しかし、初めて飲むその液体はおよそ桃の体内が受け入れられる飲み物じゃなかった。
はぁっ!? 苦っああぁあぁぁぁぁぁ!
なにこれ、人類の飲み物なの!?
宇宙人が飲む飲み物でしょこれ!
これを美味しいって言って好んでる奴らなんか宇宙人しかいないだろ!
……いや、それじゃパパが宇宙人ってことになっちゃうんだけど……え、これ飲むの無理なんだけど。
拒絶反応が凄すぎて、すでに手が震えてしまっていると、霧嶋雫が桃の顔を覗き込んだ。
「苦いの?」
苦いに決まってんだろ! いちごミルク飲みたいわ!
と言ってやりたいところだけど、さっきいつも飲んでいるなんて盛大にふかした手前、その震えを隠すために咄嗟に机の下に手を押し込めた。
「い、いやぁ、別に平気です。ちょっと思ったよりもまだ熱くてむせちゃって」
「そうなんだ、高校生でもブラック飲めるんだな」
「ま、まぁ余裕のよっちゃんです」
いや、お前はいくつだよ!
お前もおんなじもん飲んどるやないけ!
と、いつもの脳内ツッコミを入れようと霧嶋雫の方を見ると何と彼は大量の角砂糖とミルクをコーヒーに注いでいた。
当然桃は裏切り者を見るような目で睨んだ。
「え、なに? ブラック好きでいつも飲んでんだろ?」
「そ、そそそそうですよ? で、でもたまにはそういう調味料を入れる飲み方もいいなあって思っただけです」
「調味料って……っ。まぁいいや、じゃあ飲む?」
「あ、じゃあせっかくなんでっ!」
その返答の速さたるや自分の必死さが垣間見える。
もしも、砂漠で水を見つけた時こういう気分なんだろう。
桃は飢えた遭難者のように霧嶋雫が差し出してきたカップに手を掛けた。
「ま、それ飲んだら間接キスになっちゃうんだけどな」
が、それを口に運ぼうとした矢先に待ったがかかる。
「…………」
もしも砂漠で見つけたはずの水が蜃気楼だった時こういう気分なんだろう。
桃は飢えた遭難者のように霧嶋雫の差し出したカップを握る手を震わせた。
か、間接……キスっ!? ……だと?
確かに桃はクイーンビーとして色んな人と付き合った経験はあるけど、いわゆる恋のABCに関しては一つも許していない超純粋乙女。
その純潔をこんな一時の糖分不足の為に消費してもいいのだろうか。
好きでもない、むしろ嫌いなくらいな霧嶋雫と間接キスをするなんて絶対嫌だ。
ただ、口内は糖分を異常に欲している。
むしろ角砂糖を飴玉代わりに舐めたい程欲している。
どうする……どうする……
ぎゅっとカップを握る手に力を込めるが、
ええい、間接キスがなんぼのもんじゃい! とプライドを切り捨てて一思いにグラスを手に取った。
大丈夫、間接だから大丈夫。
きっと妊娠はしないはずよ!
そう訳わからない自己暗示をかけて瞬時に口をつけていなさそうな所を探し、涙ながらに口を付けて飲み込んで、一口、二口、
……甘んまままああぁぁぁいいいいい♡ 最高♡
刹那、口内からは幸せホルモンが分泌されていき、同時にやってしまったという敗北感が押し寄せる。
こんな奴のために初間接キスを解禁してしまったなんてもう、お嫁に行けな
「あ、そういえば俺まだ口つけてなかったわ」
いや、なんでやねんっ!
決死の葛藤を返せやコラッ!!
お決まりの脳内ツッコミ、だけど内心はとてもホッとしていた。
安堵と至福の表情で霧嶋雫を見ると、彼は呆れたようにため息をついて、砂糖とミルクを差し出した。
「ったく、しょーもない見栄なんか張らないでお前が好きなもんを好きなように飲めばいいのに」
「…え、えへへ」
なんとなく気まずい雰囲気ごと誤魔化そうと笑ってみたけど、霧嶋雫は全てを見透かしたような瞳をふいっと逸らした。
そしてすぐに視線をこちらに戻す。
「あぁ、そういえば俺から提案があるんだけど」
「あら、先輩からなんて珍しいです! どんな提案ですか?」
ようやく自発的に話を進めてくれるようになってきたのが嬉しくて、次はどんな提案をされるんだろうとわくわくしながら霧嶋雫の言葉を待った。
すると彼は顎に両手を乗せながら、貼り付けられたような笑顔で言った。
「——もうこの関係やめない?」
その瞬間、思考が急に動きを止めた。
ふいに落とされたその言葉の意味をすぐに理解出来るほど桃は賢くはなかった。
「……えー……っと……そ、それはどうしてですか?」
「飽きたから」
必死に絞り出した返答は瞬く間にピシャリと打ち返され、より意味が分からなくなっていく。
正直、今もちゃんと笑顔を貼り付けられているのか不安になるくらい動揺が走ったが、どうにかして会話を続けていく。
「あ、飽きたってなにがですか?」
「全部かな。水瀬とこうして過ごすことも、こんな訳わかんない茶番みたいな関係そのものも」
「ちゃ……茶番ってひどいです。……というか先輩も言ってたじゃないですか。この契約は途中で解約できないって」
「出来ないとは言ってないよ。破ったらあの日のことを包み隠さずに言いふらすって俺は言っただけで」
「そ、そんなのずるいですよ。それじゃあ最初から先輩にデメリットなんてない一方的な契約じゃないですか。私を弄んだってことですか?」
「水瀬がそう思うならそうかもしれないね。だけどそれは仕方ないんじゃないかな。自業自得ってやつだよ」
「自業自得って、どういうことですか?」
数分までとは比べものにならないくらい笑顔なのに淡々とした態度と冷たく突き放すような言葉。
告白したときに纏っていたような他人を寄せ付けないような雰囲気を思い出す。
なんで急にこんな風になってしまったのか考えようとしていると、霧嶋雫は再びため息をついてこちらを冷たく鋭い眼差しで見つめてきた。
「分からない? ならちゃんと言うけど、好きでもない男をたぶらかして金を搾り取り、飽きたら捨てる。
優越感と承認欲求のためにアイドルのような偶像を演じて他者の想いを踏みにじるようなことをしていたんだから、自業自得だって言ってるんだけど」
「ど、どうして、そ、そんな……そんなひどいことを……言うんですか?」
「まだ演じるのか? それなら契約を解約した暁にはこれを周りに流布しようと思ってるんだけど、水瀬はどう思う?」
一言一言に冷気を帯びた言い方をする霧嶋雫は静かに携帯を取り出すと無機質に操作をしてからそれをテーブルの上に置いた。
そして画面下にあるボタンを押すと、ある音声が流れ出す。
『私は先輩のことが好きです! 私のことは恋愛として好きではないのかもしれないけれど、私が嫌いじゃないなら付き合ってください! 私はそれでもいいです!』
『……ひどいですよ、先輩……これだけ私に優しくしておいて……こんなに好きにさせといて、振るなんて……ちゃんと……責任とってくださいよ…………』
『うぇぇぇん……ひどい……ひどいよぉ……うええええええええん……ぐすっ……ひっく……』
携帯から流れてきたのは紛れもなく告白したときの桃の声、つまりあの日、敗北を植え付けられたあの場面をあろうことか録音されていたのだ。
その音声が流れ出した瞬間から後頭部を何度も鈍器で殴られたような衝撃が走っていた。
同時に動悸と息切れが押し寄せる。
あの時点で録音をされていたということを考えると今がどういう状況なのかはすぐに察しがついた。
こいつは初めから、桃を騙してたんだ。
こんなのばら撒かれたら…………終わる。
頭が真っ白になり、手が震える、気付けば潤したばかりの喉が既にからっからに乾いている。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
「おーおーおー、だいぶ顔が青ざめてるけど大丈夫か? ようやくヤバいことに気付いてきた感じ?」
明らかに気分が悪くなってきている桃に対して霧嶋雫はわざと追い討ちをかけるかのように挑発をしてくる。
はらわたが煮えくり返るような憤り。
けれどこの状況をなんとか出来る術が見つからない。
(どうすればいい? あいつは何が狙い? 何をすれば言うことを聞く? あれをばら撒かれたら桃の人生は終わる。また惨めな想いをすることになる。あんな想いをするのはもう絶対に嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。なんで? どうして? なんでこんなことになったの? 身体でも売ればなんとかなる? あーもう、まじで意味分かんない。ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!!!)
「……消して」
出てきたのは腹の底から絞り出すように吐き出した言葉だった。
自分でもびっくりするほどに低くて冷たい声だ。
けれど、その言葉を引き出した張本人である霧嶋雫はわずかに口角を上げた。
「いいねぇ、やっと本性出してきたか?」
その言葉で桃の守り抜いていた仮面が剥がれていくような音がした。
「消せっていってんだよ!! なんでも……するから」
どうしようもなく声を荒げると、霧嶋雫は満足そうにして、ぐいと顔を近づけた。
「いいよ。だけど条件がある」
「チッ、また条件かよ。金? 身体? なんでもいいよ、今すぐその音声を消すって言うなら、もうなんでもいいから」
投げ槍に出した返答に対し、極めて冷淡に霧嶋雫は返す。
「簡単な話だよ。今から俺が言う三つのことを一生守り続けるなら、お前の面目は保たれる」
「絶対?」
「絶対だ——さぁ、それじゃあ取り引きをしようぜ」
霧嶋雫はそう言って笑った。




