第十話 「決戦の初デート 前編」
五月二十二日土曜日。
今日はいよいよ霧嶋雫との初デート当日。
五月十二日に付き合い始めて早十日、気付けば既にお試し期間の三分の一を消化してしまっていた。
「うっしっ!」
なので今日、今回こそはとかなり早起きをして鏡の前で小一時間以上の手間をかけて最高品質の学園アイドルたる水瀬桃華を作り上げた。
休日は校則という妨害も無いので、いつもよりもやや濃いめの化粧、ふわふわしたお嬢様のようなワンピース、小柄なスタイルをよく見せる為にかなり高めのヒールと完璧なデートスタイル。
「これで今日こそはあの朴念仁を虜に!」
そう意気込んでみたものの、ここだけの話、桃の中での霧嶋雫への評価が最近かなり高まっている。
なぜなら初登校を共にしたあの日以来、奴は彼氏としてはほぼほぼ完璧な立ち振る舞いをしてくるからだ。
毎朝必ず早めに待ち合わせ場所に居てその日の気温などに配慮した飲み物を用意。
登校中も車道側をキープしたり雨の日は桃が濡れたりしないように最大限の対応を常に取る。
それ以外にも桃がふと口にしたわがままや、ましてや口にしてもいないことまでもをスマートにこなすなど気遣いレベルが尋常じゃない。
そんな霧嶋雫の姿を客観的に見ている周囲の女子からの霧嶋雫の評価も鰻登りに高まり、その彼女である桃への羨望の眼差しもかなり強く当てられるようになった。
これほど付き合って承認欲求を満たされたことはなかったのでその点では満足もしている。
たーだ!
最近になってふと気付いたこともある。
あの男……、今日までこの桃に対してかわいいという言葉を一片たりとも言ってない!!
そう、霧嶋雫は桃に対して褒めてくれることはあっても、桃の中で最も重要な見た目に関しては全く褒めてくれていないということに気付いた。
そんなに見た目がタイプじゃないのか、それとも単にあいつの目が腐ってるのか。
今までにかわいいと言われないなんて経験がなかったのでかなりの屈辱だ。
確かに本来の目的である男を使って精神的欲求を満たすことには成功しているけど、霧嶋雫を惚れさせるという最重要ポイントに関しては全くといって達成されてない。正直やばい、焦る。
だからこそ今日こそは絶対かわいいって言わせてみせるし、なんなら今日で完全に惚れさせてやる!
そんな決意を込めて待ち合わせ場所に向かう。
今日行く場所は電車で二駅先の隣町にある駅併設型の大型ショッピングモール。
そこは釣り上げた男をフルイにかけるための場所。
そこで優秀な成績を収めた男は晴れて桃と最低一ヶ月間は付き合える権利を得られることになるいわば試験会場なのだ。
ま、今回は試験どうこう言ってる場合じゃないんだけどね。
それはさておき、今は待ち合わせだ。
最寄り駅の広場にある"怒る天使の像"通称『イカ天』という地元定番のスポットでの待ち合わせなんだけど、……ん?
…………えっ!? 待って?
いやいや、流石に早すぎじゃない!?
念の為に三十分前に来てみたというのに、なんと霧嶋雫はもう既にベンチに腰を掛けて読書をしていた。
抜かりのない徹底的紳士行動、いや、これはもはや狂気! 一体いつから居たのよ?
流石にこれにはドン引きしつつ少しだけ小走りになって彼の元へと駆け寄った。
「先輩、お待たせしちゃってすみません」
霧嶋雫は桃に気付くとパタンと本を閉じてこちらに視線を向ける。
「おはよ、全然待ってないよ。むしろ早くね?」
「それを言うなら先輩の方ですよ! いつから居たんですか?」
「ついさっきだよ」
「え〜、ほんとうですか〜?」
「ほんとほんと」
「ふふ、じゃあそういうことにしておきます。改めまして……おはようございます、先輩っ!」
「ん、おはよ」
完全に出鼻を挫かれた感はあるけど、今日の目的は何と言っても霧嶋雫に『かわいい』と言わせることにある。
なので気を取り直して彼が桃の全身を見れるように一歩、二歩と後退ってちょこんと立ってから改めて霧嶋雫を見据えて首を傾げてみる。
「あ、あのっ……! ど、どうですか?」
流行りの森ガールをガーリー系にして合わせたふわふわした妖精界のお嬢様スタイルを披露した。
化粧はチークが濃いめなぶりっ子風の全体的に男ウケを意識したもの。
どうや! かわいいやろっ!
桃は褒め言葉を催促するかのようにかわいらしく上目遣いで霧嶋雫の目をチラッと見つめた。
「似合ってると思うよ」
ただ、と続けて霧嶋雫は顎に手を当てるとなにやらじっと険しい顔でこちらを見つめ返してきた。
「水瀬はもっとカッコいい系の服の方が似合いそう。あとメイクも元々の素材が良いんだし、ナチュラルの方がより水瀬の良さが引き立つんじゃないかな」
「あはははは……(はぁ? 死ね!)」
初手の反応で薄らと漂った嫌な予感が見事に的中して地味なダメ出しが降り注いだ。
たぶん桃の眉間には目には見えないシワが寄ってると思う。
おのれはファッションリーダーか!
褒めてんのか貶してんのか分からんし!
というかデートなんだからまずは無条件に褒めろよ!
ったく、もう!
いくつも考えていた褒められ妄想は何ひとつ掠ることなかったが、今日はこんなことでめげてる場合でもない。
とりあえず今日はこの怒りをモチベーションに変えていこうと思っているのに、
「って、ずっと思ってたんだけど、実際に見てみるとなんかそういうファッションもすごく良いな」
「……っ……、あ、ありがとござます」
不意打ちでそんなことを平然と言われて瞬間的に顔を背けた。
こいつは毎度毎度、こうして下げてから上げたりその逆しかり引っ掛けたり振り回すようなことをしてくるので、どうにも怒りが沸いてこなくて困る。
ああ、もう……素直にかわいいって言ってよ!
ここまで言われて、ただ言われぱなしも嫌なのでこちらもお返しとばかりに褒め返し。
「先輩こそ今日もかっこいいですよ」
「そ? ありがと」
憎たらしいほどあっさりと認めた霧嶋雫のファッションは一言で言うならば無難。
無地の黒いTシャツに濃いめのジーパン、足元は白を基調としたスニーカーとシンプルな服装。
なのに彼は身長が高めなのでそれでも充分にサマになっていた。
今日がデートだから特別にオシャレをしてやったぞ!みたいなやる気は感じられないけど。
「髪型もいつもと違うけど似合ってるよ」
「えへへ、そういえば先輩は好きな髪型とかありますか?」
「ポニーテール」
「……あぁ、覚えておきますね」
ちなみに桃の今日の髪型はお団子ヘアーなんだが?
これから絶対にポニーテールにはしてやんねぇ、と心の中で強く思った。
「それじゃ、とりあえず行くか」
「は、はーい」
ひとまず待ち合わせを無事に終え、気を取り直してまずは目的地に向かうため電車に乗ることに。
「はい、これ」
「えっ?」
と、渡されたのはショッピングモールまでの駅の切符、しかも往復分の二枚。
「目的地は決まってんだから、買っといた方が手間が省けるだろ?」
「あ、じゃあお金払いますっ」
少し驚きつつ、スタスタと先を行ってしまう霧嶋雫に追いつこうとしながらバックから財布を出す素振りをするが、その前に霧嶋雫の手がそれを制した。
「いいよ。俺が勝手に買っといただけだから」
「そんな……えと、ありがとうございます」
もちろんはなから出す気なんかなかったけど、その対応に桃は満足していた。
電車賃から奢ってくれる人は今までもいたけど、こうして事前に準備してしてくれた人は初めてだ。
ふむふむ、なかなか洒落たことしてきよる。
そこから二人でホームに降りて、時刻通りにやってきた電車に揺られて二駅。
シートは一席しか空いてなかったがそこは当然のように桃を座らせてくれたのでその数分間を快適に過ごすことができた。
「さて、着いたけど予定どおりでいい?」
「はい」
「それじゃ、こっちだな」
モールに到着してまず向かったのは映画館。
何を観るかは当日やってるシアターから観たい映画を選ぶことにしていた。
「何が観たいとかある?」
「色々ありますけど、悩みますねー」
ラインナップには絶対泣けると絶賛されている余命がわずかな花嫁と花婿の物語や今をときめくイケメン俳優が沢山出演者するヤンキー達の話、それに漫画原作のスポ根実写化モノなど錚々たる作品が並んでいた。
うーん、迷う。
正直なことを言うと桃はスポ根実写モノが前々から観たいと思ってた。
けど、よく考えたらデートの雰囲気にはちょっとばかしそぐわないかもしれない。
それにこの場合は恋愛感動系とかがぴったりなんだけど、桃ってこういう系ほんとに泣いちゃうんだよなぁ。
告白した時も泣いちゃったし、こいつの前でまた泣くのはちょっと抵抗が。
なんて各パネルの前を右往左往しながら真剣に迷っていると横からポンと肩に手を置かれた。
「迷ってそうだし、俺が観たいのでもいいか?」
「えっ? あ、ど、どうぞ先輩が選んでください」
普段は亀のように受身な霧嶋雫から出た珍しい自己主張に驚き、その提案にあっさりと頷いた。
それを確認した霧嶋雫は迷う素振りも無くひとつのパネルを指さす。
「んじゃ、これ」
そのチョイスに無意識に口角が弛む。
「先輩が観たいならそれにしましょう!」
霧嶋雫が選んだのは桃がイチオシしてたスポ根映画だった。
ラッキーと思いながら、席に行く前に二人で飲み物とポップコーン(キャラメル味)を売店で買い込み、いざシアターへと向かった。
「……ぐすっ……ひぐっ……よがっだ」
「ふっ」
「なんれすか?」
「いや、水瀬って結構泣き虫だよな」
「ないでないれず」
「その主張は無理あるだろ」
結局のところ桃は泣いた。
また泣き顔を見られたのは癪だけど、この映画を見れて本当によかったと思える出来だった。
「途中、生意気でムカつく後輩が先輩のために必死になって激昂するとこも良かったし、最後ピッチャーの主人公がこれまでの日々を思い出して泣きながら締めて全国行きの切符を手にしたとこなんてもう……ずび」
「心が折れそうだったとき、準決勝で敵だった奴らが喝を入れて奮い立たせたとことかもよかったね」
「ですですっ! 最初は憎たらしかったけど、昨日の敵は今日の友的なやつ! よがっだぁー、あぁ、また泣けてきたー」
「満足したなら良かったよ」
映画のエンドロールの最後の最後まで堪能したあとに映画の感想を語り合って余韻を堪能した。
この映画を選んだセンスもだし、コメントも共感できてちょっぴりこいつを見直した。
あと余談だけど、この映画代や飲み物とポップコーン代も桃をトイレに行っとけよと誘導しながら、その間にしれっと払ってくれていた。
「わぁっ、かわいいのいっぱい!」
ハンカチを涙で濡らしたあと、次にやって来たのはショッピングエリアにある人気の洋服ショップ。
女子高生に人気の流行りモノを数多く揃えており、ここで買い物をすればファッションに関しては間違いはない定番な店。
お値段が相場より高めなのは玉に瑕。
「先輩はどういうファッションが好きですか?」
さぁて、映画もよかったけどここは気持ちを切り替えてアピールタイムと行きますか。
ということでまずは目に映る洋服を指差しながら奴の好みをチェックしてみる。
「俺は似合ってればなんでもいいと思うけど」
「むぅぅ、それはそうですけど……あ、これとかどうですか?」
「水瀬ならなんでも似合うだろ」
けど、なかなかはっきりとした成果は得られず、とりあえず良さそうな服を手に取ってみることにした。
「先輩が着て欲しいのあったら、頑張って試着とかしちゃいますよ?」
そんでかわいいって言わせてやる、なんて思惑を抱えながら、あれやこれやと物色して、ある服を霧嶋雫に見せた。
「……水瀬はそういうのが好きなの?」
手に取っているのは今季のトレンドで中高生に一番人気のレースの付いたかわいい系のワンピース。
万人が良いと思うものだろうに、何とも引っかかるような聞き方をされた。
「まぁー……好きですよ」
そりゃ皆んな好きなんだからトレンドに入ってるし人気なんだろうよと当たり前のように答えたのに、霧嶋雫は全く違う方へと向かいマイペースに服を選び出した。
「俺はこっちの方が水瀬に似合うと思うよ」
死んだ魚のような目で持ってきたのは黒のショートパンツと紺色で大きめのパーカーだった。
いや……たしかに悪くないけど、これはあんまり桃のイメージとは合わないような気がした。
それは桃が手に取っている女の子らしい系統とは真逆でややボーイッシュな印象で普段はあまり着ない系統のもの。
とはいえ普段から彼は全く自分の意見を押し付けようとはしてこないので、いざそう言われるとなんだか従ってあげたくなる。
「じゃあ、それ着てみますね」
そそくさと試着室に入り、着替えてから鏡を見る。
わっ、意外とかわいいかもっ!
……でもやっぱ桃のイメージにはそぐわなそうだし、なにより今はこういうのってあんま流行りじゃないしなぁ。
そう思いながらもカーテンを開けて恐る恐る感想を待ってみると、
「え、めちゃくちゃ似合ってるじゃん」
改めてそう言われると急に顔が熱くなった。
「あ、ありがとうございます……これ買ぃます」
なんだか照れ臭くてそれだけ言ってカーテンを閉じてしゃがみ込んだ。
そして無意識に小声で呟いていた。
「素直に可愛いって褒めろバカ……」
その後、霧嶋雫がこれもと言ってスニーカーとキャップも一緒に購入してショッピングを終わらせ、なんとなくほくほくした気分で洋服屋を出た。
少しぶらぶらとモール内を歩きながら、チラッと腕時計を見ると時刻はまだ十一時過ぎ。
「……(やばい)」
なにがやばいかと言えば空腹なこと。
朝早くてご飯を食べてないせいで早くもお腹が空いて、油断するとお腹の虫が大声で鳴きそう、かもしれない。
けどまだお昼ご飯には時間的にちょっと早い。
ここでお腹がなったりしたら、食いしん坊って思われるよね?
ここはとりあえず腹筋とかに力入れたり、話す声を若干大きめにして耐えるしかないか。
と耐久レースを覚悟したそんなとき、
「なんか腹へらね?」
なんと霧嶋雫がそんなことを呟いた。
なんてタイミングなのっ!と感激しつつも、ここで前のめりに同意したらそれはそれでハングリー彼女の汚名を着せられてしまう恐れがある。
「たしかに、私も少ーしだけお腹空いたかもです。お、お昼どきになると混むので少し早めにお昼にします?」
だがしかし、ここは乗るしかない、この波に、とばかりに建前を付け加えてから提案をしてみる。
「いや、水瀬がまだあんまりお腹空いてないんならもうちょい我慢する」
が、馬鹿が変に紳士的なせいで流れが悪くなった。
頼むからここは空気を読んで欲しい。
「いやいや、私も先輩に我慢なんかさせたくないんでお昼にしましょうよ。私もちょっとなら食べれますから」
「どうせあと一時間くらいだしお互い腹へってからしっかり食べた方が絶対美味いから」
「……が、我慢は体に猛毒なんですよ? 先輩の体調が心配なので私がお腹空いてないことなんて全然気にし」
と静かなる譲り合いという名の言い合いをかまして押し切ろうとしたその一瞬の隙に、
—— グゥゥゥー……
と下手なソプラノ音が鳴り響いた。
「……」
「……」
まるでいてもたってもいられずに必死に自分の存在をアピールしようと鳴いた腹の虫。
もちろんその飼い主は桃。
顔が茹で蛸のように熱くなってどう誤魔化そうかと考えようとすると、
——ググルゥゥゥー……
と今度はテノール音のそれが追唱した。
「……」
「……」
しかし今回の飼い主は桃じゃなかった。
ちらりと霧嶋雫に視線を送ると、ちょうどこちらを向いてきた奴の目と目がパッと合う。
「……ぷふっ、あははは」
「……ふふ、ふっ、あははは」
気付くと、なんだか二人して昼前にお腹を鳴らしている様子がおかしくて笑っていた。
よく考えたら霧嶋雫も同じ時間に待ち合わせしてるんだし、ご飯抜いてたらお腹空くよね。
なんか気にして損したかも。
「ちょうどお腹空いてきたみたいです、ふふふ」
「だね、ぷふふ、じゃあちょうどよかったよ」
「ちょ、笑いすぎですよ」
「いや、タイミングがぴったりだったし、なんかね」
「ふふ、そうですね。まるで本当の仲良しカップルみたいでしたね」
「たしかに。そうなれたら良いよな」
「……っ!」
霧嶋雫からふいにそんな前向きな発言が出てきたのでびっくりして言葉に詰まってしまった。
やばい、これは今までにないくらいの好感触。
ようやくあの朴念仁も桃のかわいさに気付き始めたってことかな。
「……はいっ! ぜひぜひ私のこと好きになってくださいね?」
「っ…善処する」
顔をぷいと逸らした霧嶋雫の様子にしめしめと思いつつ、こっちはこっちであまり見せない無邪気な笑顔に思わず視線を奪われたことは、絶対にバレないようにしよう。
「とりあえずレストランモールに向かうか」
そう言って歩き出す霧嶋雫の後ろに倣うようについて行った。




