サンダーボルト
四時間目のチャイムが鳴り、昼食の時間が訪れる。
慌ただしくなった校内の部活棟の一室で、私は一足早く昼寝をしていた。
ここはどこだったか――確か、文学部だったような。幽霊部員しかいない為、私のような部外者しか利用者がいない。部屋の半分が畳敷きになっており、半分のフローリングにテーブルが置かれている。私は畳の上でぐったりと横になっていた。…何だかこの状況は文学的な気がするので、寧ろ、文学部の部室としての利用方法としては至極真っ当な気がする今日この頃である。
と、何の生産性もない考えに勤しんでいると、部室のドアが開いた。
誰か入って来たのか? と、私が身を起こすと、そこには後輩の姿があった。――挨拶もそこそこに、彼は私の側に腰を下ろした。無礼な奴だ。
「不躾にすいません。ちょっと聞きたいんですが」
「何だ?」
「サンダーボルトってあるじゃないですか」
「…まぁ、あるな」
本当に不躾だ。まぁ、それは良いとして。
ある、あります、ってのも変な会話だなぁ、と内心呆れる。
と、彼は深刻な表情で私に尋ねた。
「ボルトって、何なんでしょうか?」
「ボルト…」
そういえば、某有名な忍者漫画の続きがそんな名前だったな。
前作の主人公の息子が主人公になってるらしいけど…。正直、前作の最後らへんから随分とあいまいになってるし、ボルトにいたっては全然読んですらいない。
「忍者…?」
「え、忍者?」
そんなわけねえでしょうよ。
と、彼は困惑の表情を浮かべ、こちらを見つめている。
そんな表情をされても、私だって困る。ただ、罪のない思考が口から漏れ出ただけじゃないか。
咳ばらいを一つし、頭を振ってみる。
「サンダーとサンダーボルトを辞書で引いて、違いを見れば分かるんじゃないか?」
「調べてみたんですが…。ですが、何だか要領を得なくて。先輩なら分かるんじゃないかと」
分かるわけがないだろう。お前は私をwikipediaだとでも思っているのか。
と、切り捨てるのは簡単である。しかし、後輩に頼られているのだから、応えてやるのは先輩の義務だ。
私は私なりの解釈で、彼に応えてやろうと思った。
たとえ、正解でなくても、別に構わないじゃないか。仮説を立て、そこから真実を導き出していこうとするのが学問というものだ。人間は考える葦とも言うし。
それに、そんな知識を植え付けられ、被害を受けるのは目の前の後輩だけだ。日頃から無理難題を押し付けてくるこいつが恥を掻くと思うと、それだけで飯が美味い。
さて、思考実験を始めよう。
「君は、サンダーの比較級と最上級は何だと思う?」
「比較級と最上級って、あれですか。good、better、bestみたいなやつですか?」
「そうだ」
「サンダー…。あの、雷にそんなもんあるんですか?」
「ある。君も覚えておけ。サンダー、サンダラ、サンダガだ」
「サンダー、サンダラ、サンダガ…」
「ちなみに、ファイアは、ファイラ、ファイガになる」
「…もしかして、ケアルは、ケアルラ、ケアルガだったりしますか?」
「お前はふざけているのか」
「あ、すいません」
「ケアルは、ケアルラ、ケアルダ、ケアルガだ」
ケアルダが一体何に入るのかは知らんけど。私はこれらの並びの中だとケアルダが好きだ。
ヒャダインも好きだ。なお、芸名の方ではない。元ネタの方のヒャダインだ。
「ふざけてるのは先輩の方でしょうが」
彼は眉間に皺を寄せて顔を近づけてすごんで見せる。しかし、童顔の為全然怖くはない。後輩だしな。
私は、ちっちっち、と指を振った。
「そこで、サンダーボルトだ」
「はい?」
「moreにボルトはつくか?」
「記憶にないです。つかないんじゃないでしょうか」
「そうだな。同じように、比較級、最上級のある言葉なのに、ボルトはつかない。これが意味するところが分かるか?」
「分かりません。先輩が何を言いたいのか、全然分からないです」
「つまりだな…、サンダーボルトというのは、比較級、最上級が作られた時代には存在しえなかった単語なんだ」
「? どういうことです?」
どういうことか? そんなもん、私にだって分かるわけがない。
が、敢えて説明してやろう。何と言っても私は先輩だからな。
「言葉というのは、時代によって変質していくものだ。私たちの使用する日本語も、当然、平安時代の頃から考えると随分と変化してってる。別物と言っても良いくらいだ」
「つまり、サンダーボルトってのは、…え、っと、どういう意味です?」
「つまり、サンダーボルトのボルトってのは、後付けされた、何の意味も持たない言葉だと言うことだ。サンダーとサンダーボルト、お前はどっちがカッコいいと思う?」
「え、サンダーです「そうだな。サンダーボルトの方がカッコいいな」…はい」
彼は私の言葉に首肯した。
「つまり、ボルトってのは、カッコいいから後付けされた言葉、だ。ボルトとかナットとかカッコいいだろう。何かパンクでロックな響きがするだろう?」
「いや、別に…、何でそこからパンクでロックな響きがするのかさっぱりですけど…」
「いつかは私たちも歯車になる。ボルトになる。組み込まれて行くんだ、この世界に。サンダーボルト、痺れるような、ボルトになるんだ」
「? あの、先輩、さっき、ボルトには意味なんてないって仰って「つまりだ!」…はい」
マリオネットよりはニッチだったかもしれない。
「労働者の権利が極めて弱かったころ、彼らは抵抗をしたわけだ。自分たちを虐げてばかりの世界、資本家たちの支配する世界に対して、彼らが出来た唯一の反抗――それは、言葉で世界を作り替えることだ。彼らはサンダーをサンダーボルトと書き換えることで、世界を動かすのに欠かせない電気に、自分たちの立場、ボルトを組み合わせることで、自分たちもまた世界を維持する為に欠かせない存在であることを明示したわけだ」
「先輩、電気はエレクトリシティ―で「つまり、だ!」…はい」
彼は私の言葉に首肯した。
「ボルトは、未来の私たちってことだ。…分かったか?」
「………はい」
思考実験の結果、サンダーボルトのボルトは未来の歯車と言うことになった。
「分かってもらえたなら良かった。私はまた深い眠りにつくことにしよう」
「いや、先輩、授業思いっきりサボってますよね…。先生がぼやいてましたよ…」
「こんなにも博識なのに、授業を受ける必要などないのでは…」
「このままじゃ留年することになる、って先生言ってましたけど…。俺、嫌ですよ。同級生を先輩扱いはしませんからね」
むぅ。
頭を掻きむしり、時計を眺める。まともに授業を出る、となると、急いで昼食を食べなければ間に合わない。
「仕方ないな。雷光の速さで食事を摂るとするか…」
「え、先輩、今なんて」
私はのそのそと部室から出、教室へと急いだ。…何だか後輩が後ろから呼びかけている気がするが、まあ、どうでも良いことだった。