個人的主張
最初はもう少し考えて書くつもりだったのですが、途中で面倒になってただ自分の思っていることを羅列しただけになってしまいました。雑談を聞いているようなつもりで読んでください。
文章に流されて結びをなんとも穏便に済ませてしまったが、十六歳の時これを書いたのは、「現代の女は少し態度がデカすぎる。そしてそれは女の価値を貶めている。」と思ったからだ。
個人的には「女は女らしく」という考えは間違っていないと思う。本文にも書いたが、男と女というのは肉体的にも精神的にも違うものだからだ。どんなに男らしい女がいたとしても、結局は女なのだ。そして男には男の考え方やテリトリーがある。それを、大して考えもせずにずかずかと入っていく。本来それを察して気遣えるのが、女としての役割なのではないかと思う。科学的に見ても、女の方が精神的に成熟しているらしい。つまり、男と同等になろうとしているという事は、社会的地位の向上に伴って精神な面を下方修正していることになる、と思う。これについては何か根拠があるわけではないが、性別の境を乗り越えようとしている女より、自分の立場をわきまえ、その上で最大限努力しようとしている女の方が精神的に安定しているように思うからだ。
ここからは単に個人的な好みの話になるが、男らしい女らしいというのは、様々なロマンに繋がることだと思う。また、男女が家庭を作り共に過ごす上で、お互いが良い距離を保って生活していくための上手い例とは考えられないだろうか。
例えば、自分は音楽が好きだ。ロックンロール、パンク、ロカビリー、ブルース、ジャズ、ハードロック、メタル、クラシックと色々聴く。
その中で、こと格好良さ、ストイックさを求めるバンドに関しては、圧倒的に男がやった方がいいと思っている。力強さ、見た目、世界観、泥臭さ。これぞ男の世界だ。夜な夜なガレージに溜まって酒や煙草を飲みながら激しく音をぶつけ合う。今の日本にはアメリカやイギリスの郊外の様に集まって騒げる広いガレージはなかなかないので、スタジオかライブハウスか誰かの六畳一間と場所は限られるが、それでも男ばかりのバンドマンの集団というのは独特のものがある。
ちなみに、ジャズに関してはこの限りではない。女性特有のしなやかさがジャズの渋い雰囲気を作り出すことは少なくないのだ。
誤解がないように言っておくが、これはあくまでも個人的な好みの問題であって、決して女はバンドをやるな、と言っているわけではない。更に言うと、ジャニス・ジョップリン、シナロケのシーナさん、ロリータ18号のマサヨさん、腐レディー・マーキュリーのニック・ジャガイモさんなど、女性で素晴らしいバンドマンもちゃんといる。見た目は怖いが話してみるとなんとも気さくな彼女達である。(もちろんジャニス・ジョップリンには会ったことがないので"彼女達"の中には含まれない。念のため。)
これも本当に筆者の個人的な意見だが、三歩下がってついてゆく女というのは、いい。現代では三歩だと行き過ぎな気がするので「半歩下がってついてゆく女」。これだ。
男を立てるどころか、プライドをぐしゃぐしゃに踏みつぶすような女が多い。男はそれになれてしまって、今度は少し誉められると、すぐいい気になる。こうして、立てられるような男がますますいなくなり、女はどんどん態度がでかくなっていく。これではどうかと思う。
半歩下がって、といっても、男はただ威張り散らしていればいいというわけではない。黙って俺について来い、と言いたいのならば、基本はきちっと前を向き胸を張って、そしてたまに女のことを気遣わなければならない。前を歩いている男が自分勝手にずんずん歩いていってしまったのでは、女がいくら頑張っても追いつけないし、下を向いて自信なさげに歩いていたんでは、女の方が追い越してしまう。半歩の距離を保には、お互いの努力が必要なのだ。
家庭では、この関係を子供が見ることになる。父は、母を気遣いながらも自分の意志を強く持ち、家族のために懸命働く。母は、そんな父を尊敬し、陰ながら支える。こんな両親を見ていれば、目上の人を敬い他人を気遣う心が育つだろう。間違っても、お父さんうざいだのキモイだのといった言葉は口からでないはずだ。
最後にもう一度念を押すが、色々な事を書いているがこれらはあくまで個人的な好みの話である。世の中全ての人がこうあるべきだなどと横暴なことは思っていない。筆者自身もここに書いてあることに忠実に沿った生き方をしているわけではない。女らしくない女は嫌いだというわけではないし、男にしても同じだ。現にゲイの友人もいる。そこに関しては誤解しないで頂きたい。
しかし、自分なりに性別に関して色々な考えを持っている事は事実である。また、他の人達がどのように考えているのかということにも興味がある。これを読んで何か感じることがあれば、男性にも女性にもそれ以外の方にも是非意見を述べて頂きたい。