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社会的主張

 本文は、前作に比べると若干かたい文章になっていますが、第二章では筆者の性別観に対する偏った本音を好き勝手書いています。後書きのつもりでしたが少し長くなったので章にしました。


 余談ですが、前作「道端セックス禁止令」にも後書きを追記しました。是非ご覧になって下さい。

 近年、女性の社会進出に伴って、日本でも様々な場所で叫ばれているジェンダーフリー。「男は外で働き、女は家庭を守る」というのは最早過去の考え方で、様々な権利に守られ、今日も女性達の世界はどんどんと広がっていっている。だが、今の日本国民の性別に対する認識は、「本当の意味での男女差別のない社会」に向かってその歩みを進めているのだろうか。


 一番の疑問は、本来差別化を無くすということを望んでいるはずの女性が、その権利を過度に主張し過ぎているのではないだろうか、ということである。人間として女性が男性より劣っているということはないだろうし、当然の権利を主張することは間違っていない。女性の政治や学問、様々な分野に置ける社会進出は、人類にとって大きなプラスだ。しかし、それを当たり前の様に感じ過ごしている現代の女性達の更なる主張は本当に必要なことなのか、甚だ疑問である。


 女性専用車両導入の話を耳にした時には、なんとも腑に落ちない気持ちになった。導入当日のニュースでは、駅での男性陣に対するインタビューを放送していた。その中には、「痴漢に間違えられる事を気にして、気を使わずに済むようになって良かった。」 と、導入を歓迎する意見述べている人もいた。しかし、元はと言えば、その様にビクビクしながら満員電車に乗らなくてはならなくなったのは、女性達が過度に騒ぎ立ててきたからではないのか。 満員電車の中が男性ばかりならば、痴漢の発生率は低いだろう。発生しても、女性ほど騒ぎ立てることはないのではないか。そこへ、男性と同じ権利を主張し、同じ様に仕事をしたい、勉強をしたい、と言って入っていくのなら、それなりの覚悟が必要である。痴漢に遭いやすそうな露出は控える、その様な格好がしたいのであれば少しくらい男性と触れ合っただけで一々騒がない、故意に触られたと感じたら止めるよう警告する、等、女性自身が毅然とした態度で対応すれば、これだけで、まず一時の感情に任せた行為は減少するはずである。

 いつだったか駅のホームで、登校中の満員電車で痴漢に遭ったという話をしているのが聞こえた。声のする方を見ると、スカートの丈をやたら短くした、制服姿の女の子数人が話しているのが目に入った。その服装では痴漢に遭うのも頷ける。自分の身は自分で守れと言うことだ。

 友人にこの話をしたところ、「女は痴漢を気にして、好きな服も着ることができないのか!」と言われた。しかし、それならば、男は痴漢を気にして、電車の中で鞄を手に下げることもできないのか、何もしていなくとも特定の車両から追い出されなくてはならないのか、と言いたい。

 以前、別の友人達と外出の為電車に乗っていた時、丁度運悪く切り替えの時間が来て、乗っていた車両が女性専用に変わってしまった。途中で気がついて車両を代わったが、気まずい思いをしたことがある。

 車内で迷惑な存在なのは痴漢だけではない。鼻をつまみたくなる程香水の匂いをさせた人、ペットを専用のケージではなく鞄に入れて半分体がでているような状態で連れ込む人、音楽を大音量で聴く人、酔っ払い、躾のなっていない子供、痴漢も含め、個々のモラルの問題である。痴漢をするのはほんの一部の人間だ。男性全員が痴漢をするわけではないのに、なぜ女性だけを優遇する必要があるのか。女性専用の車両が作られ、男性はその他の車両にすし詰めにされ、時間外に女性と同乗する際にも必要以上に気を使わなければならない。明らかに、男性が冷遇されている。これこそ男女差別ではないのか。


 雇用の面でも、女性の権利については大きく取り上げられる。男女雇用機会均等法により幾分か改善されては来たが、雇用の際、女性は男性に比べていくらか不利だと言うことは事実である。例えば同じ学歴、同じ能力の男女がいたとしたら、雇用者は男性の方を選ぶだろう。女性は、結婚を機に退社、或いは、退社はしなくとも、出産や育児の際に長期の休暇をとる可能性が高く、その際、穴を埋めるために新たに人を雇わなければいけなくなり、教育をする手間が必要になるからだ。これを女性差別だと主張する人がいるが、仕方がないことではないだろうか。 育児は男性が代わってできる事でもある。現に欧米では男性も育児休暇をとることができ、日本でもその制度を取り入れている会社が増えてきている。しかし、出産はどうだろうか。出産というのは女性だけに与えられた能力であり、男性が代わって行うことはできない。出産は絶対にしない(種族保存の為にもこの考え方はどうかと思うが話が長くなるので割愛する。)と決めていれば話は別だが、そうでなければ何ヶ月かの休みは避けられない。雇用する側としては当たり前の決断だ。


 執拗にジェンダーフリーを叫ぶ人達が一番勘違いをしているのではないかと思う点は、男性と女性という、根本的な性別の違いについてだ。男性と女性は、骨格や筋力、生殖器官といった体の造りが違うのは勿論のこと、脳の造りも違う。男性には狩猟本能があり、女性には母性があり、その他にも、個々の性格という以前に、男女の考え方には違いがある。これは科学的にも証明されていることだ。ここで重要なのは、これは科学的根拠に基づいた「男女の区別」であって、精神的な「差別」とは違う、ということである。今の社会では、この「区別」と「差別」をごっちゃにして考えている人が非常に多い。男と女の間に生物学上の差異があるのは事実であって、それに伴って自ずと違いが出るのはある程度仕方のない事なのだ。これはどちらが良い悪いという問題ではない。

 確かに女性解放運動以前は女性が冷遇されていた。当時の女性が社会的に正当な権利を得て、今日の女性の様に自由に行動ができるようになるまでには多くの人達の相当な努力が必要だったに違いない。昔の男性は何故あんなにも女性を不当に扱っていたのかと腹立たしくも思うし、女性の社会進出は喜ばしい事だと思う。しかし、だからといって、過去の仕打ちへの仕返しをするかの様に急に大きな顔をするのはどうなのか。


 この、「女性優位社会」において、最も勘違い度が高く、そして恐らくその偏った理論を広めやすいであろうコミュニティーは、主婦だ。

 現代の専業主婦の仕事は、文明の発達によって、昔に比べるとだいぶ楽になっているはずである。洗濯は洗濯機がやってくれるし、ご飯はボタンを押せば勝手に炊けるし、風呂を入れる時はお湯の蛇口を捻ればいいし、掃除も掃除機を動かせば良い。そうしてできた余った時間に見ていたテレビで女性差別の話を聞いてしまったから大変だ。急に、仕事から帰ってきた旦那に向かって、やれ自分は頑張って家事をしているのにお礼の一つもないだとか、もっと家族サービスをしろだとか言い始める。決して主婦業が簡単な事だと言うつもりはない。一家の家計を預かり、一部を機械に頼っていると言っても毎日掃除洗濯をこなし、栄養管理に気を使いながら献立に頭を悩ませ、子を持つ家庭ならば子供にも気を配らなければならないというのは大変なことだろう。自分の努力を認めて労って欲しいと思うのは自然なことだ。だが、これは主婦に限ったことだろうか?家庭を持つ夫は、良い成績を納め、家族の為に給料を稼がなくては、というプレッシャーの中で必死に働いているはずである。これに対して、果たして自分の努力を主張する世の主婦達は、「家族の為にいつもご苦労様」と日常的にお礼を言っているのだろうか。そう考えれば、外で働いていようが家で働いていようが、男だろうが女だろうが関係ない。家族サービスにしたってそうだ。男性がするものだという概念がそもそもおかしい。共通の時間を持ちたいというのなら女性がセッティングしてもいいわけだし、男性のしたいことに女性が付き合うのも家族サービスだ。平等とはギブ・アンド・テイクのはずなのに、今の女性達はギブを怠りテイクばかりを求めている気がしてならない。まず、自分を見直し、相手を思って行動すれば、相手も思ってくれるはずだ。

 主婦が女性優位論を身につけると厄介なのは、その考えが子供に伝達されやすいからだ。毎日一緒にいる母親が、父親に対する愚痴ばかり言っていたらどうだろう。外で働いているところを知らずに、家でくつろいでいる姿しか見ていない子供は、父親を大したことはないんだという目で見るだろう。そんな父親に説教をされても、あまり心に響かない。父親が子育てに協力しないという話を聞くが、現代の父親を子育てから遠ざけているのは他でもない母親自身ではないのか。父親との接点が薄くなった子供は、ますます母親の考えに傾倒するようになる。子供というのは、思った以上に大人の言っていることを聞いているものなのだ。そうして、「女は偉い、男はだらしない」という考え方は子供にも広まっていく。これでは男性の立場が弱くなっていく一方である。


 色々と具体例を上げて日本人の間違ったジェンダーフリー論について述べてきたが、要するに、男女共に性別というものを意識し過ぎなのである。性別だけではく様々なことが開かれてきた現代では、違いという事実をしっかりと認識し、その上で、大別された括りに拘らず、個々の特徴を捉えていく事が大切なのだ。

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