大海原を行く
甲板で周囲を見渡せば、青い空と大海原だけが広がる。
夏至祭を終え、すぐに僕は王都を出立し帝国への旅路についていた。
ずっと忙しくて息をつく暇もなかったけれど、ようやく、周りを見渡す余裕が出来た。
初めて見る海は……不思議なほど開放的な気持ちになるとともに、言いようのない怖さも感じる光景だった。今まで、僕はこんなにも延々と遮るもののない広大な景色を見たことがない。そして、こんなにも自分は矮小で頼りない存在だと実感したこともない。あまりにも海は広く大きくて、もしも船に穴が開いて海中に落ちれば……どれほど頑張ったところで陸地に辿り着くことなく海の藻屑となって消える運命なのは間違いなかった。
船乗りたちは凄いな。
嵐の夜など、どれほどの恐怖か。
1年のほとんどを海の上で過ごすなんて、僕には無理そうだ。
「そうですか?陸と違って、ここにいると宮廷のゴタゴタなど些事だという気がしてきませんか?海は人間の思惑を簡単に超えるほど無慈悲で、自由で……とても落ち着きます」
僕と一緒に甲板に立つ男がにこやかに言う。
彼はバート・オズボーン。グレアムの弟で、港町リーバルの統領だ。
第二王子の海での安全を考えると、バート以外は有り得ないと四龍一致で今回の帝国までの船旅の船長に決まった。
四龍全員が推すなんて……そんなにもバートはすごい人物なのだろうか?
まあ、グレアムの弟なら、剣技の腕も並ではないだろうけれど。
ちなみに、グレアムとはビックリするほど似ていない。あの巨漢の元魔物討伐隊長の弟が、こんなにスマートでダンディだなんて冗談みたいだ。
オズボーン家はみな大柄だと思っていたけど、そうじゃない者もいるんだな。
「僕はとても落ち着けません。ずっと揺れているのも落ち着かない」
「はは!そうは仰るが、殿下は海と相性が良いと思いますよ。従者どのはまだベッドから起き上がれない」
そう。ウィリアムは、絶賛船酔い中だ。
普段、憎らしいほど飄々としているウィリアムだが、どうやら船には弱かったらしい。カールトン領の領都から川を船でリーバルまで下る途中も、ずっと真っ青な顔で寝こんだままだった。
対して僕は、一向に平気である。
とはいえ酔わないというだけで、船内を移動する足取りはいまだ不安定で危なっかしい。
「でも……ようやく船内をまともに歩けるようになってきましたが、走ったりできないし、マストに登るのも無理です」
船員たちは、細いマストの上をひょいひょいと歩く。信じられない。
「おや、殿下は冒険心がたくましいですな。さすが兄の元で剣術を学ぼうとするだけはある。しかし、こっそり一人で挑戦するのは勘弁してくださいよ。急な波で、海原へ放り出されかねない」
「……グレアムに鍛えられても、一向に強くなっていませんけどね」
褒められても皮肉にしか聞こえない。
僕はグレアムに一撃を入れられたことは一度もないのだから。いつも片手で簡単にいなされてばかりだ。
バートにも……たぶん、手も足も出ないんだろうな。
「兄は規格外です。王子殿下が兄と渡り合えるほど強くなると、周りの者の面目が立ちませんでしょう」
「ですが、教わる以上は強くなりたい。バート殿、あなたも強いと伺いました。折りをみて手合わせ願えますか」
「おやおや。私など兄の足元にも及びませんが」
「謙遜を」
鮮やかな青緑色の瞳が楽しげにキラリと光った。
「第二王子殿下は案外、好戦的ですな。いいですよ、お受けしましょう」
冷やした水を持ってウィリアムの船室に顔を出す。
「ウィル。冷たい水を持ってきたけれど……何か食べることは出来そうかい?」
「殿下……さっき、少しだけ果物食べました……」
「そうか。少しでも食べられて良かった」
「すみません~……殿下の護衛なのにぃ……」
ウィリアムの横へ行き、水をベッド横に置く。
彼が身を起こすのを手伝い、水を飲ませる。そしてつい、苦笑してしまった。
「僕がウィルを看護するなんて初めての体験だね。気にしなくていい、ゆっくり休んでいればいいよ」
「ううう、船……船の上では休めないんです~。陸に降りたい……!」
「そうか。でも、次の寄港地に着くのは明後日らしいし。とりあえず、少し外で風に当たりながら遠くを見ていたらどうだろう?その方が酔いはマシになるとか聞いたよ」
「一面の海なんて、見たくないですよーう。この酔いの憎き原因!うっ」
また吐き気が襲ってきたようだ。
背をさする。
酔い止めになるという少し変わった味の飴は、ウィリアムには効かなかった。人によっては船酔いは数日すれば慣れるというし、一生無理だという人もいる。
早めに慣れてくれるといいけれど……今の調子じゃ、帝国についてもすぐに動けないかもなぁ。
夜になり、船首でぼんやり星を眺めた。
船首は揺れが大きいけれど、風を切るのが気持ちいい。
後ろでは、船員が心配そうにウロウロしている。僕が落ちないか、気になるらしい。そんなにそそっかしく見えるのかな、僕は。
―――結局。
アリッサには留学の件を話さないまま来てしまった。それに気付いたのは、王都からカールトン領へ転移したときだ。
その瞬間、全身から血の気が引いた。
何度も機会はあったのに、どうして僕は愚図々々とそれを逃してきたんだろう。
行きたくないという気持ちが大きかったのは確かだ。そして……アリッサから「帝国へ行くの?気をつけてね、いってらっしゃい!」と笑顔であっさり送り出されてしまったら、精神的に大きく傷つくと思っていたからかも知れない。
馬鹿だ。
僕は本当に馬鹿だ。
嫌なことから目を背けても、消えてなくなる訳じゃないのに。
だから覚悟を決め、短くていいからアリッサと会って話をする時間を作ってもらおうとしたけれど。
なんと彼女は祖父のオーガスト殿と一緒に、夏至祭の祈祷のために村々を回っているとのことだった。
いろいろと理由をつけて先送りしたツケだな……。駄目なときは何をやっても駄目だ……。
あーあ、何に言わずに僕が留学したことをアリッサが知ったら……怒るかなぁ。それとも、それこそ「ふうん」で終わるんだろうか。
せっかくアリッサと仲良くなったのに、帝国から帰る頃には“ただの知り合い”になってしまうのかも。
更新再開です!でも……ごめんなさい。今、少し予定が立て込んでいるため、お盆過ぎまで週1更新になります。
書きたいのに、書くのが追いつかない~!




