急な留学の話
父上に呼ばれた。
執務室へ行くと、父上は周りの人間を全員下がらせて、僕と二人っきりになった。父上と二人きりなんて……何時ぶりだろう?
しかし皆を下がらせたのに、父上はなかなか口を開かない。しばらく顎を撫でてあっちこっちを見てから、ようやく言葉を絞り出してきた。
「……マーカスとの剣術訓練はどんな感じだ?」
「まあ……グレアムは厳しくて、僕も兄上も訓練後はボロボロですね」
どんな感じ?
それはグレアムに聞けばいいだろうに。わざわざ二人きりで僕に聞くことでもないと思う。
ところがそれだけでなく、僕の勉強の進み具合や母上の様子、果てはヘザーやブランドン、ウィリアムのことまで聞いてくる。
……父上は、どうしたんだ?
「父上。僕を呼んだ肝心な話をお願いします」
はっきり言って時間の無駄だ。父上の知りたいことが僕の日常なはずがない。
父上は、ふーーーっと大きく息を吐いた。
「アルフレッド」
「はい」
「……お前を帝国へ留学させようと思う」
「留学……」
突然の話に、僕は目を瞬いた。
帝国へ?
「夏至祭のあと、1年間だ」
「1年!」
思わず叫んでしまった。
兄上も2年ほど前に2か月かけて他国を回った。そのとき帝国にも行っていたと思う。
僕だって一度は外国は見ておきたい。だから、いつかそんな機会があれば、とは思っていた。だけど、1年だって?
こんな……ときに?
アナベル嬢が毒に倒れ、犯人が分からないまま。もしかすると次はアリッサが狙われるかも知れない。
そんな状況で1年も王国を離れるのは嫌だ。
「1年は長すぎます。兄上のように2か月くらいでは、駄目なのですか」
「マーカスは留学というより、外国の視察だった。お前には、もっと深く他国のことを学んで今後に活かす形を期待している。……話は以上だ」
以上って。
しかし、父上は視線を逸らしたまま退出を促す。
こんなの……納得がいかない。
グレアムと兄上との剣術訓練は、終わったあとにグレアムの部屋で少しだけ今日の反省点を話す時間がある。
厳しい訓練なので、終わったあとに話をしながら軽く休憩する方が良いとグレアムが提案したからだが……実は僕と兄上が他を気にせず自由に話せるよう、気遣ってくれたのではないかと思っている。僕と兄上の動向は、皆の興味の的だからだ。
ちなみに、グレアムは現在、近衛騎士の特別顧問という立場である。
本人は魔獣討伐隊の隊長を退いたあとは、のんびり田舎で余生を送るつもりだったらしい。しかし奥方が「老後は都会がいい!」と猛反対(魔獣討伐隊は、地方の辺鄙なところに配置されている)。離婚騒ぎにまで発展したので、王都に住むこととなった。
で、王都にいるなら、まだ現役でも通用する力を遊ばせておくの勿体ないと、地龍公爵が特別顧問の座を用意したらしい。なお、近衛騎士たちが“なんて余計な座を作るんだ!”と恨めしく思っているというのは、秘密の話。
さて、そんな訳でグレアムには王城の一画に特別に部屋が用意されているのだが、この部屋を興味本位で探ろうという愚か者は存在しないので―――僕と兄上はここでは本音で気楽に過ごせている。
グレアムは大抵、隣の部屋に行き、僕らは二人きりだ。
今日も汗を流したあと、お茶と軽食を頂き……僕は留学の話を兄上にしていた。
「え?1年……?」
兄上もまだ聞いていない話だったようで、驚いたように聞き返される。
「はい」
「それはその……寂しすぎるな……」
「え?」
「あ、いや、ほら……王城には大人ばかりじゃないか。近い年代の者と話す機会がほとんどない。だから、アルフレッドとの時間は結構……心待ちにしているんだ……」
少しだけ顔を赤くして、兄上は向こうを向いた。
……兄上、可愛い一面もあるんだな。
「よし。私からも、アルフレッドの留学期間を短くしてくれるよう、父上に頼んでみるよ」
「ありがとうございます。アナベル嬢の件も解決していないのに、長い期間、国を離れるのは嫌で……」
兄上からも言ってくれたら、父上も少しは耳を傾けてくれるだろうか。それとも、もう決定事項だから駄目だと言われるだけ?
すると兄上は、分かっているというように大きく頷いた。
「アルフレッドはアリッサ嬢も狙われないか、心配なんだろう?とにかくそちらの方も早く解決しないとな!」
……うん。まあ、そうなんだけど。
兄上がニコニコと僕を覗き込んだ。
「青い目のクマのぬいぐるみをプレゼントしたと聞いた。家族でもないのに、お互い、毎年プレゼントを贈り合っているとも。……もう二度とアリッサ嬢をお茶会に招いてはダメですよと侍女から苦言されたよ」
想い合っているのが丸分かりでしょう?とコンコンと諭されたらしい。
うう。兄上がアリッサに言い寄らないようになるのは有り難い。有り難いけど……まだ完全に僕の一方通行なんだよな……。




