ちょっとだけ、自分を見失いかけました
気が付いたら長椅子に横になってて、アルが手を握っていた。
「ああ、目が覚めた?お茶でも飲む?」
……ぐるぐる、頭の中もお腹の中も、気持ち悪い。
ずっと、目を背けていたことが突き付けられた。
私はこの世界の“異物”だ。
この世界で生まれたはずなのに、この世界ではない世界が恋しい。本来の居場所ではないと、心のどこかで思っている。
そう、前世のあの世界が……私はどうしようもなく恋しい……。絶対に戻れなくて、写真とかで見ることも出来なくて、誰かと懐かしいねと話をすることも出来ない、あの世界が。
私は、この世界で独りぼっち。異物だ。
「アリッサ!」
アルから強く呼び掛けられた。
頬をアルの手で挟まれ、アルの青い瞳がこちらを真っ直ぐに見据えている。
「こっちを見て、アリッサ。僕が誰か、分かる?」
「……アル」
「うん。君の名前は?」
「アリッサ……アリッサ・カールトン……前の…………ま、前の名前は……もう、お、思い出せない……」
「前の名前なんて無いよ。アリッサはずっとアリッサじゃないか。大丈夫、さあ、ゆっくり息を吐いて。……吸って。ほら、お茶を飲もう。美味しいお菓子も用意したから」
アルに促されるまま息を吐いて吸って……お茶を飲んでいるうちに、少しずつ落ち着いてきた。前もこんなこと……無かったっけ?
……ああ、そういえば。
天恵者が不安定になるって話、今さらだけど、その理由が分かったかも。
アイデンティティーが突然、崩れる感じ。
ホームシックなんて軽いものじゃない。心にぽっかりと物理的に穴が空いたみたい。忘失感が半端ない。二度と戻れないって自覚したら……こんなに辛いんだ。私、自分のことなのにどこか他人事のように見ていたよ。もしかしてそうやって……無意識に精神を守っていたのかしら。
その後、お茶を飲みながらアルとどうでもいい話をした。何を話したのか、覚えていないくらい。
だけど、そのおかげで胸の奥に開いた穴から“自分”が流れていきそうな感覚は薄れて消えた気がする。
───やがて王城を辞する時間になった。
「今日の午後は、中止しよう」
転移陣へ向かう途中、アルがそう提案する。私は首を振った。
「ううん。もう落ち着いたから、大丈夫。何かすることがある方がいい」
「……分かった」
アルは──―私とウォーレンさんがどういう話をしたか、聞いたのかなぁ?私には何も聞いてこないのだけど。
ちなみに塔を出るときに見たウォーレンさんは、すっかりショゲていた。迷惑かけちゃって申し訳ない……。
───転移陣の間へ到着する直前。
私は大事なことを思い出した。
しまった。こういうタイミングで渡すつもりはなかったけれど……。
後ろを歩くイアンに目配せして、彼に持たせていた袋をもらう。
少し早いのだけれど、アルへの誕生日プレゼントだ。直接渡せる機会が少ないので、早めに持ってきた。
「あのね、アル。えっと、これを……」
「ん?なに?」
「誕生日プレゼント……」
途端にアルが目元を綻ばせた。そして、ふわっととっても綺麗な笑顔になる。
う、ま、眩しい。この笑顔、好きなんだけど……ドキドキするよぉ。
「ふふ、気にしなくていいのに」
「アルの方こそ。あんな可愛いクマのぬいぐるみをくれるんだもん。何をプレゼントしようか、すっごく悩んじゃった」
「見てもいい?」
「……どうぞ」
そんな、目をキラキラさせて期待するほど良いものじゃないけど。
袋の中身は……剣を下げるための剣帯だ。丈夫で実用的な革製のやつ。アル、すごく剣術を頑張ってるって聞くし。
ちなみに女性が男性に剣帯を贈るとき、普通は式典などで使うための、厚地の布に刺繍を施したものが一般的らしい。もちろん、手ずから刺繍をする。
だけど私は……アルの婚約者じゃないしね。刺繍も上手じゃないからね。無難に実用的な革にしたのだ。
ただ、飾り玉は付けてみた。
アルがブレスレットをくれたので、私も同じように護符の機能を持つ飾りを贈ろうと思って。ちゃんと私の手で彫っている。
アルはすぐ飾り玉に気付き、目を細めた。
「これは……衝撃が軽くなる印?」
「そう。剣を打ち合ったときの衝撃緩和がメインだけど、身に付けていたら、身体に掛かる物理攻撃全体に効果はあるはずなの。でも、あくまでも軽減だからね?その代わり、防御の印なら一回の攻撃で壊れるけど、これはそう簡単には壊れないんだって」
「えっ、それはすごい」
うふふ。これでもいろいろ、考えたのよ。
アルは飾り玉を明かりに透かした。
「聖輝石?」
「うん。一番、力が強い石」
石の色は紅じゃない。無色透明だ。
前はマシューに言われて何も考えずに紅蓮石を選んだけど、今はもう……ねえ?自分の色を贈るって、恥ずかしくって出来ないもん。なので、無色透明で、前世でいうダイヤモンド的な一番いい石を選んでみたのだ。
「もったいなくて、使えないなぁ」
「ダメだよ、普通に使ってくれなきゃ!式典で使うような、刺繍入りのやつじゃないんだし」
「んー、でも剣帯自体、初めてもらったから。まだ僕は剣術の練習時しか剣を持たせてもらえないからね。毎回、騎士見習いから借りているんだよ」
え?王族なのに、借りるの?
首を捻っていたら、アルがにっこり笑って思いがけないおねだりをしてきた。
「いつか……刺繍入りのやつも欲しいな」
「えっ……」
思わず返事に詰まってしまう。
そーゆーのは、婚約者とか、恋人が贈るやつ……。
「し、刺繍は……その、へ、下手だから……」
「そっか。残念」
アル……どのくらい本気なんだろう?
 




