12-4
俺は辺りを見渡す。ラヴァリも玉田も、俺と同じように状況がつかめていないようだ。
『何をやったんや!?』
「意味が、わがらね」
ドサッ
傍にいたノアが、膝から崩れ落ちる。俺はそれを慌てて受け止めた。
「ノアッ!!?」
『逃げ、て……』
ノアは大量の汗をかいている。服越しでも、彼女の体温がかなりの高熱になっていることがすぐ分かった。
……初めて会った日の時より、さらに酷い。
血の気が急激に引くのが分かった。ノアをおぶって、俺は駆け出す。
『な……何やねんっ!!』
『いいからついてこいっ!!まずはここから離れるっ!!』
向かうは六本木ヒルズの来客者用駐車場だ。亜蓮が追ってくるにしても、追い付くには相当時間がかかる。……多分。
着くまでは3分ぐらいのはずだ。周囲の好奇の目が俺たちに注がれるが、そんなものを気にしている余裕はない。
駐車場までの時間は、とてつもなく長く感じた。先回りされていたらというあり得ない可能性が、脳裏をよぎる。
その不安を無理矢理押し殺し、俺は全速力で駆け抜けた。
「はあっ、はあっ……!!!」
そして、何とかアクアの前に辿り着いた。亜蓮や他の誰かの姿がないことを確認し、俺は心底安堵する。
高熱で意識を失いかけているノアとラヴァリを後部座席に押し込む。そして、玉田が助手席に座ったのを確認し、俺はイグニッションボタンを押した。
駐車場のゲートが開く。六本木ヒルズを出ようとしたその刹那、俺はバックミラーに小さな人影がわずかに映ったのに気付き、戦慄した。
亜蓮……!!?
ドンッ、と車の後方に激しい衝撃があった。しかし、俺はそれに構わず車を麻布方面に走らせる。
……亜蓮は、それ以上追っては来ないようだった。今度こそ、俺は安堵の溜め息を深く、深くついた。
「助かった……な」
俺は玉田に小さく頷いた。これほどの恐怖は、生まれて初めて感じたかもしれない。
「はあっ、はあっ……全く、だ……感情を、コントロールできない、猛獣か何かだな……」
「そうだ。だから、俊さんかメリアさんが、常に『手綱』を握ってた。だども、2人のいない亜蓮が、あそこまでとは思わながっだ」
そう、まさに猛獣だ。酷く切れやすく、自己中心的で、暴力に躊躇いがない。子供とはいえ、あまりに凶悪すぎる。
「怪物、と言ったな……。あいつは、何者なんだ」
玉田が目を閉じた。
「まず、俊さんの話をしなきゃならね。俊さんは、総理大臣になりがたっている。全ては、メリアさんのためだ」
「……それはどういう」
「彼女が何者か、俺は本当に最近まで知らなかっだ。だども、彼女に戸籍がねえことは知ってた。だから、メリアさんの存在を社会に認めさせてえと、俊さんはずっと思ってきた」
「狙いは……異世界の存在の開示、かっ……!!」
小さく玉田が首を縦に振った。
「あるいは、メリアさんの生まれ故郷と、何らかの交流を持つこと。
それがどこかはわがらね。でも、俊さんもメリアさんも、この20年ぐらいずっとそのためだけに生きてきた。
いや、互いに互いのことしか、映らなかったのかもしれね。だから俊さんは家庭を捨て、仕事も辞めて、地盤さ継いで政治家になった」
「2人はどうやって知り合ったんだ」
「詳しくは知らね。だども、青森に帰省したときに『拾った』らしい。そして、2人の間に生まれた子供が、亜蓮だ」
「まさか……殺し屋として育てたとか、そういうんじゃあるまいな」
「……亜蓮は、小学校も中学校も行けなかった。だから、亜蓮にとっての世界は、俊さんとメリアさんだけだ。
元々の性質もあったんだろう。とにかく、気付けば家族とその望みのためなら何でもする、化け物になってた。魔法とやらの才能が、ずば抜けてたのもあったのかもしれね」
それにしても、殺しすら平気でやるというのは正直まともな神経ではない。それを容認し、時には指示する柳田もまた、正気とは思えなかった。
車は首都高に入ろうとしている。後部座席からは、ノアの荒い息遣いが聞こえた。その様子だけでも、ただ事ではないと俺は察した。
『ラヴァリ、ノアの様子は?』
『多分、マナの欠乏症、や……治癒魔法で治せるものやあらへん。こっちも、そうとうマズイで』
俺は思わず唾を飲み込んだ。
ノアが脱出のために使った魔法は、多分「大転移」の簡易版のようなものだったはずだ。それが相当高位の魔法であるのは、容易に想像がつく。
『治癒魔法で、何とかならないのかっ!?』
『……それで治せる類いのものやあらへん。そもそも、俺もメリアさんの治療で相当魔力が切れ気味や。今すぐぶっ倒れて寝たいぐらいや……』
『このままだと、どうなるんだっ』
『……ぶっちゃけ、最悪死ぬ。すぐに『魔水』か何かで魔力の補給をせなあかんけど、んなもんこの世界にはないやろ……』
焦りが全身に広がる。C市に着けば、何とかなる手段があるのだろうか?ジュリならきっと対応はできるはずだ。
ただ、問題は……ここから着くまでの2時間、ノアがもつかどうか。
アクセルを全開にしたいという欲求を、俺は抑え込んだ。警察に捕まったり、あるいは事故ったりしては何の意味もない。時間は惜しいが、過度のリスクは取れない。
であれば、どこかで休憩を取るか??高速を降りて解熱剤なり何なりを調達することはできるが、それで回復するものなのか??
俺の頭がフルスピードで回転する。落ち着け、助ける方法は、必ずあるはずだ。
会った初日の時は、普通に看病をしていた。ゼリー飲料と経口補水液を飲ませ、それで昼には回復した。つまり、あれには「魔力」が含まれていたことになる。
だが、状態はより深刻だ。同じことをして間に合うのか?もっと効率のいい方法は……
「……あっ」
俺の脳裏に、ある考えが浮かんだ。これなら、助かるかもしれない。いや、このぐらいしか考えつかない。
アクアは池袋近辺まで来ていた。ここなら、「アレ」が簡単に入手できるはずだ。ハンドルを出口方面に切る。
「おい、どうしてここで降りるんだ」
「少し、食品スーパーで買い物だ。それほどかからない」
訝しげな玉田をよそに、俺は適当な駐車場にアクアを停める。寝入りそうなラヴァリに、『ノアを頼む』とだけ告げて、俺はソーラーシャインシティの地下にあるスーパーに走った。
幸い、店はそれほど混んでいない。スポーツドリンクを3本、ゼリー飲料を数個、そしてスパイス売り場に置いてある「アレ」を俺は手にした。
ドラッグストアで、強めの解熱剤も購入する。……これで、何とかなってくれ。
「戻ったぞっ」
俺は後部座席に入る。ノアの熱は酷く、汗の量も尋常ではない。そのうち脱水症状を起こすのは、目に見えていた。
眠りかけているラヴァリに『これを飲め』とスポーツドリンクとゼリー飲料を押しつける。そして、俺はビニール袋から「アレ」の入った小瓶を取り出した。
「……何だそれは!?」
玉田が驚きの声を上げる。まあ、無理もない。しかし、合理的な行動だと俺は確信していた。
俺が手にしているのは、岩塩の瓶だ。
「くわ原」でノアが言っていた言葉を、俺は何とか思い出すことができた。「岩塩は多量の魔力を含んでいる」、と。
であるとすれば、これを摂取させれば……!!
ノアの口を無理矢理開く。そして、岩塩をその中に振りかけた。……反応は、ない。こんな微量では、やはり意味がないのか。
そもそも、意識を失っている彼女では、モノを自分で飲み込むことすらできないかもしれない。無理して飲ませないといけないのだ。
俺は、覚悟を決めた。
口の中に大量の岩塩を放り込み、その後でスポーツドリンクを口にする。恐ろしくしょっぱく、吐きそうになる。しかし、もうこうするしかない。
そして、彼女の口に自分のそれを合わせ、無理矢理に流し込んだ。
『……ングッ……!?』
口の中が、異常に熱い。高熱のせいなのだろう。しかし、多少は漏れたがある程度は飲んでくれたようだった。
それを確認し、俺は、2度、3度と口移しでの水分補給を続ける。しょっぱさに、口の感覚が麻痺していく。
4度目の口移しで、彼女の飲み込む力が少し強まったのが分かった。……効いている!?
俺は解熱剤のカプセルを彼女の口に入れ、スポーツドリンクをそこに注いだ。『ンク、ンクッ』と自発的にノアはそれを飲んでいる。
まだ意識は戻らない。しかし、さっきまでの状況からすれば、大分マシになっているように見えた。
『……何しとんねん』
ラヴァリが目をこすりながら言う。
『とりあえず、それを飲んでくれっ。あと、これも少し口にするといい』
岩塩の瓶を渡されると、彼が『何やこれ』と首をひねった。
『岩塩だっ。そっちじゃ高価らしいが、俺たちの世界じゃそこそこ手に入りやすい。魔力回復には効くんじゃないのか?』
『……岩塩っ!?ほんまか!?』
『噓だと思うなら口にするといいさ。それで体力が戻ったら、ノアの手当をしてやってくれ。水分補給も適宜、な』
俺は運転席に戻り、大きな、大きな息を付いた。これが効いてくれることを、祈るしかない。
*
そして、2時間後。
……ノアの意識は、まだ戻らないままだった。




