12-3
「怪物?」
玉田は小さく頷いた。曲がった右腕が、酷く痛々しい。
「ノア、彼を治せるか」
『分かった』
ノアが玉田の右腕に手をかざした。時折ノアが折れ曲がった腕を動かすと、そのたびに「うがっ……」と苦痛の声をあげる。それでも、3分ほどすると、一応見た目だけは元通りになった。
『……多分、骨はまだひびが入ってると思うし、痛みも残ってるだろうけど、これで少しは楽になるはず。あとは、病院に行けばいいわ。
それにしても、腕が使い物にならなくなるような曲げ方だったわ……何よ、あれは』
「亜蓮の持つ力だ。メリアさんも、同じことができる。あれで、心臓麻痺に見せかけて何人も殺してきた」
俺は綿貫の言葉を思い出した。「柳田はデスノートを持っている」と言われていたが、まさか……!!
「……綿貫の父親……綿貫公平も、か」
玉田は答える代わりに、目を閉じた。
「ここでは、俺からは何も言わね。一つ言えるこどは、メリアさんより遙かに、亜蓮は人を手に掛げでる」
「彼は、まだ子供だろう!?」
「子供の皮を被った悪魔だ。悪いこどは言わね、すぐに去ね」
とりあえず、玉田が焦っていた理由はよく分かった。昨日、強硬手段に出た理由も。
「そうしたいところだが、こっちにも帰れない理由があってね」
メリアは、さっきの「言葉」を聞く限り、アレンよりは遙かに話の通じる人物であるように思えた。彼女に接触できれば、進展はまだ見込める。……接触できれば、だが。
ラヴァリが消えた部屋からは、何の物音もしない。治せなかったら即座にラヴァリは殺されるのだろうか。
もしそうなれば、アレンは改めて俺たちを殺そうとするだろう。そうなったら……ここから逃げ切れるのか??
心に、荒波が立つのを感じた。こんな気分を味わうのは、恐ろしく久し振りのことだ。
部屋から、ラヴァリと亜蓮が出てきた。ラヴァリは疲れ切った顔をしている。亜蓮はというと、満面の笑顔だ。上手く行ったのか。
『大分良くなったみたいだね。さすがは、帝国が将来を嘱望する治療術士だ』
『はは……そう言ってもらえるのは、ありがたいんやけどな』
『……どういうこと?』
ラヴァリが俺に目配せをした。何かを言おうとしている。
『……ま、ただの謙遜や。あと、まだ治っとらんからな。数日に一回は、ここに来て治癒魔法をかけんと元に戻るで。何事も、継続が大事や』
『……『ペルジュード』の人たち、あなたを殺しに来るんだけど』
『そこはお前の親父か、メリアさんに言うて何とかしてもらえや』
亜蓮が額に皺を寄せると、ラヴァリの身体が宙に浮いた。まるで、プロレスラーがネック・ハンギング・ツリーをかけているかのようだ。
『ぐえっ……!!?』
『僕に命令するのか?』
『ぐっ……俺を……殺したら……治らへんぞっ……!!』
『いや、いいよ。いざとなったらおじいちゃんに来てもらうし。何にしろ、ママが治ったらあなたは用済みだ』
『……そんな……甘い病状や……ないぞっ……!!』
『……は??』
『その前に……これ……何とかせいやっ……!!説明も、でけへんっ……』
どすん、とラヴァリが床に落とされる。『ゲフッ、ゲフッ!!』と激しい咳をした後、ラヴァリは亜蓮を睨み付けた。
『俺が、今日できたのは……『病状の進行を止めて眠らせる』、までやっ……!病の巣があちこちにあって、回復にはすさまじい時間と、魔力が要るんやっ。
俺で治せん、とまでは言わん。ただ、俺以外の術士を呼んでも……たとえ『大魔卿』でも、保証は一切ないぞ!?
俺を殺せば、お前の大事な大事なママさんが助かる確率は、ゼロや!だから『ペルジュード』の連中を、なんとかせいと言っとるんや!分かるかガキ!?』
亜蓮の顔色が変わり、目線が落ち着きなく泳いでいる。混乱しているのは明らかだ。
『それ、本当なの?』
『噓やと思ったら、そこのちっこい魔女に聞いてみい。治癒魔法、あんたも多少使えるんやろ』
ノアが一歩前に出た。
『……まあ、ね。メリア・スプリンガルドに会わせて。ラヴァリの言っていることが本当かどうか、あたしならすぐに分かる』
『……分かったよ。こっちだ』
ノアと一緒に、奥の部屋に向かう。そこにはキングサイズのベッドと、その中心に眠る長い黒髪の女性がいた。
頰はこけ、顔色は黒みがかっている。医学に詳しくない俺でも、これが「死相」と呼ばれるものであるのがすぐ分かった。
『眠っている、のか』
『せや。しばらく眠らせて、生命力が高まるのを待つ感じや。病の巣がこれ以上広がるのは、一応抑えとる』
メリア・スプリンガルドに話を聞こうと思ったが、これではどうしようもない。ノアが彼女の細りきった手首に触れた。
『なるほど……噓では、ないわね』
「そんなに酷いのか」
『むしろよくこれを抑えてると思うわ。……何の病気なの?』
俺は後ろで右手を押さえている玉田に、ノアの言葉を翻訳して聞かせた。玉田が険しい顔になる。
「メラノーマ、だ」
「メラノーマ?」
「皮膚ガンの一種で、最悪のタイプ、らしい。俺も医学は詳しくねけど、もしメリアさんがちゃんとした治療を受けられていたとしても治るかは分からねと、俊さんは言ってた。転移が異常に早いらしい」
そうか、メリアには戸籍がない。だから、十分な治療を受けさせてやることが柳田にはできなかった。それがラヴァリを呼んだ理由だったというわけか。
『アレン、って言ったわね。これでも、ラヴァリを殺すつもり?これ、本当にラヴァリがいなかったら数日もしないうちに死ぬわよ』
『う……噓だっ』
亜蓮が急に涙目になる。次の瞬間。
バァァァンッッッ!!!
強い風のようなものが吹いたかと思うと、部屋の照明が割れ、分厚い窓ガラスに無数のヒビが入った。奴の髪は重力に逆らって逆立っている。
『お前たち、ママがもう治っているのに、時間稼ぎをしているだけなんだろっ!!!自分の命惜しさあまりにっ!!!』
『本気でそう思ってるの!?あんたも分かってるんじゃないの??メリアの病状は、相当深刻だって!』
『うるさいっ!!うるさいうるさいうるさいっっ!!!』
ドンッッ!!ドンドンドンッッ!!!
轟音と共に、壁やドアに、誰かがパンチしたような凹みができた。感情を制御しきれず、闇雲に魔法を使っているのだ。
このままでは、まずい。そのうち、混乱した感情に任せてこいつは俺たちを殺しにくるっ……!!
ノアが冷や汗を流し、俺を見た。
『……トモ、あたしの傍に来て。ラヴァリとタマダも』
「何?」
『いいからっ!!!もう余裕ないっっっ!!!』
その切羽詰まった表情に、俺は自分が何をすべきか悟った。ラヴァリと玉田の腕を摑み、ノアの方へと引っ張る。そして……
『転移っっっ!!!』
目の前が、真っ白になる。
……
…………
「んっ……」
目を開けると、そこは1階のエントランスだった。




