12-2
「来たが」
六本木ヒルズレジデンスに着くと、既に玉田が待っていた。俺は持っていたアタッシェケースを玉田に突き出す。
「約束の金だ。もちろん端数なく、全て入っている」
玉田はそれを部下に渡し改めさせると、納得したように小さく頷いた。
「わがった。これから連れて行くが、決して騒ぐな」
「もちろんだ」
俺は玉田が汗をかいているのに気付いた。もちろん、今は真夏だ。それは当然なのだが、量がやけに多い。
『何か妙ね』
ノアもそれに気付いたようだ。極度の緊張、あるいは恐怖。それを玉田から強く感じる。
「上に、誰かいるのか。柳田官房副長官?」
「……違う。詮索は、するな」
言葉少なに玉田が答える。……何かがおかしい。
玉田が昨日やりとりしていたのは柳沢だと思っていた。その意向で、俺たちはここに呼ばれているとばかり考えていた。
だが、柳沢を相手にそこまで玉田が恐れるものだろうか?それとも、メリアが恐ろしいのか?死ぬか死なないかの瀬戸際の、病人がそこまで怖いとは、少し考えにくい。
……柳沢でも、メリアでもない、もう一人の人物がいる。俺は直感した。
レジデンスの入り口で部屋番号を玉田が押すと、数秒後に自動ドアが開いた。『ひっ』とラヴァリが驚いたのを見て、ノアが『騒ぐなって言ってたでしょ』と小声でたしなめる。
エレベーターは31階で止まった。そのうちの一室の前に着くと、向こうからドアが開く。
「来たね、待っていたよ」
現れたのは、中学生ぐらいの少年だ。ハーフのような顔立ちのその少年は、にこやかに俺たちを迎え入れ、「こちらへどうぞ」とリビングへと案内する。
そのリビングはスイートルームかと思うほど広い。そのソファーに、俺たちと玉田は向かいあわせに座らせられた。少年も玉田の方に座る。
「玉田さん、お久しぶり。この人たちが、言っていたイルシアの人たちだね」
「はい」
玉田が敬語で答えた。少年は笑顔で俺たちに会釈する。
「僕はアレンと言います。はじめまして、よろしくお願いします。左の人が、ノアさんですね。最近話題の『イルシアチャンネル』。僕も見ましたよ」
「あ、ありがとうございマス」
「で、右の人がラヴァリさん。『こっちの言葉は話せないんでしたね』」
少年がシムル語を使ったのに、ラヴァリが目を見開く。
『どうしてこっちの言葉を??まさか、あんた……』
『まあ隠す必要もないんで。メリア・スプリンガルドはママです。今日はよろしくお願いしますね』
ニコニコと、アレンと名乗る少年が笑う。しかし、目は笑っていない。
ノアをちらっと見ると、身体を硬直させていた。冷房が効いている部屋なのに、彼女も汗を流している。これは、どういう……??
アレンは笑顔のまま、玉田の方を向いた。
「それにしても、1日遅れですよ?僕は『即日』連れてくるようにと言ったんですけど」
「す、すまね……です。ごいつらが、どうしてもと」
「僕もパパと相談して、あなたの申し出を受け入れたわけですけど。でも、万一ママの様態が悪化して死んじゃったら、どうするつもりだったんですか」
「そ、そんときは、責任を……」
「責任なんて言葉を、軽々しく使わないでほしいなあ」
グギイッッ
「ぐあああああっっ!!!」
リビングに、玉田の絶叫がこだまする。彼の右手は、酷く不自然にねじられ、あらぬ方向に曲がっていた。
な、何だこいつは??
「まあ、ラヴァリさんを連れてきたからこのぐらいで許してあげるよ。『で、ラヴァリさん』」
笑顔のまま、アレンがラヴァリの方を向く。ラヴァリも状況の深刻さを理解したのか、顔が一気に引きつった。
『ははは、取って食いやしないよ。何よりこうして来てくれたわけだしね。
でも、あなたは絶対にやっちゃいけない失敗をした。パパがコロナにかかって迎えに行けなかったという理由はあるけど、騒ぎを起こして警察に捕まったのは本当にひどい失敗だよ。
そりゃ『ペルジュード』の人たちが、激おこなのも当然だよね』
『あ、あんた……お、俺を殺すつもりなんか』
『殺しはしないよ、『まだ』ね。ママを治してもらう役割が済んだら、けじめを付けてもらうけど』
アレンから笑みは消えない。それが一層、恐ろしさを増していた。ラヴァリの汗の量は、さらに増えている。
「……何者だ、君は」
「自己紹介なら済ませましたが?それより、あなたたちも自己紹介するのが筋でしょう」
「……町田、智宏だ。横にいる、ノア・アルシエル、及びイルシアの支援をしている」
「ああ、あなたが。パパからちらっと話は聞いていますよ」
パパ……あの男か?
「柳田俊介の息子、か」
「ええ。これを隠す必要も、あんまないんですけどね。あなたたちには消えてもらおうと思ってるんで」
ビッ
ノアが銀色のロッドを抜いた。
『そんなことは、あたしがさせない』
『君、手が震えてるよ?力の差ぐらい、分かってるんじゃない?』
『うるさいっ!!!『爆しゅ』……』
『『見えざる剛力』』
アレンが手をノアに向け、握ったその瞬間。
『ぐっっっ!!!??』
ノアの顔色が急に青白くなり、胸を押さえてうずくまった。
「何をしたっ!!!」
思わずアレンに摑み掛かる。奴は不機嫌そうに俺を見た。
「何?あなたから死にたいの?」
「ノアを解放しろっっ!!」
「全く、力もないのに馬鹿だなあ。じゃあ、お望み通りあなたから……」
『おやめ……なさい……』
その刹那、頭の中に、声が響いた。女性の声だ。アレンが真顔になる。
「ママ?」
『パパから……無闇に殺すなと……言われませんでしたか?』
「だって敵でしょ?殺した方が早くない?」
『……いいから、やめなさい』
「……はーい」
アレンは口を尖らせて手を開いた。ノアが、『はあっ、はあっ……!!』と激しく喘いでいる。
「命拾いしたねー。ま、場合によっては後で殺すけどさ。とりあえず、ラヴァリさんだけママに会わせるよ。話はそれからだね」
アレンは立ち上がると、ラヴァリを手招きした。ラヴァリは躊躇していたが、『殺されたい?』と言われ渋々奴に付いていく。そして、奥の方の部屋へと消えた。
「ノアッ、大丈夫か??」
ノアはまだハアハアと荒い息をしている。そして、小さく首を縦に振った。
『一応……でも、心臓を、無理矢理止められたような気がした。まるで見えない手に、握られたみたいに……』
「見えない手?」
『あんな魔法、初めて見た……そもそも、あの若さで、あの魔力……母様にも、匹敵するかもしれないなんて……』
こんなに怯えたノアを、俺は初めて見た。俺も、この場から逃げ去りたいという気持ちを必死に抑えている。
人を傷つけることに、一切の躊躇いがない。小説や漫画ではよく見るタイプの人種だが、ああいうのを「サイコパス」というのか。
完全に、見通しを誤った。俺は唇を噛む。
「町田、だったな」
腕を押さえて、玉田が言う。骨を折られているせいだろう、脂汗が流れている。
「あいつは、何者だ?柳田とメリアの息子なのは分かってる」
数秒の間の後、玉田が吐き捨てるように言った。
「怪物、だ。俊さんとメリアさんが作り出した、『天下取り』のための怪物だ」




