11-2
『やっと外に出れるんか』
カーキ色の作業服に身を包んだラヴァリが、うーんと伸びをした。それを見た岩倉警視監が、コホンとせき払いをする。
「言うまでもないですが、保釈は無罪放免を意味しません。彼にその点をキツく言って頂ければ」
「無論です。こちらからも情報は適宜上げます。現状では、多分あなたが一番信頼できる」
「……それはどういう」
「詳しくは後日。彼の持ち物は」
「引き続き科捜研で調査と。特にあの剣は、極めて興味深い組成だと聞いています」
「剣……あれですね」
ラヴァリが持ってきた「魔剣」か。これについても、分からないことが確かに多い。
魔力をビームのように飛ばせたりする代物であるらしいが、相当に貴重な物でもあるようだ。後でラヴァリに詳しく聞いておかないとな。
岩倉警視監はというと、ハハハと苦笑している。
「まあ、国家機密案件ですからね。没収についてはやむを得ないとご理解ください。私としては、彼のような人間がまた来ないことを祈るだけですよ」
俺は週末、青森に再びシムルからの来訪者が来る可能性を伝えようとして、すんでの所で止めた。多分、これは柳田が直接迎えに行く。警察を動かしたとしても、恐らく止めることはできない。
もし来訪者を捕まえようとするならば、柳田を何とかして青森に行かせないようにするか、あるいはシムルからの定住者らしい「メリア・スプリンガルド」と接触し、そいつに何とかさせるかしかない。
ただ現状、どちらも現実的な話とは思えなかった。情報と手段が足りてなさすぎる。
「……ともあれ、どうもありがとうございました。一度、綿貫議員と一緒に話し合いましょう」
「いえ、こちらこそ。本件は公安も興味を持っているようですので、その点ご注意を」
*
『後ろ、誰か尾行してるわね』
駐車場に向かう道中、ノアがちらりと後ろを向いて呟いた。俺も確認したが、それらしき人物は見当たらない。
「気付かなかったぞ」
『シェイダほどじゃないけど、精気や魔力の感知はできるわ。意識がこっちに向いてるのも分かる』
得意げに言うノアに、ラヴァリも頷く。
『連中姿消したけど、別の建物に一度入ってやり過ごしてるんや。かなり慣れたやり口やな』
『お前も分かるのか』
『一応これでも『ペルジュード』の一員やぞ。馬鹿にしてもらっちゃ困るわ。尾行しとるのは、玄人やな』
ラヴァリがにやりと笑った。そういえば、諜報部隊の人間だったな。
『玄人……公安っぽいな。ならこっちには危害は加えないだろう』
そのまま駐車場に入ろうとすると、ノアが険しい表情で立ち止まった。
『……こっちにも誰かいるわ。人数は分からないけど、多分あたしたちを待ってる』
『公安……じゃなさそうだな』
『ええ。どうする?』
このまま引き返し、車を置いたままタクシーで帰るという手はある。金は10万近く使うだろうが、一応は安全策だ。
ただ……何か引っかかる。ラヴァリを拉致しようとしているなら、その意図は何だ?
ラヴァリは自分が粛正されるのを恐れている。それは間違いない。「ペルジュード」という組織は失敗を許さないと聞いている。だからこそ、俺たちはラヴァリの保護に動いた。
ただ、冷静に考えれば週末にこっちの世界に来る連中がやればいいだけの話だ。そして、イルシアを攻めると同時にラヴァリも始末する。それでも十分なように思える。
であれば、なぜ今ラヴァリを取り返そうとする?この駐車場には監視カメラがあるはずだ。この場での拉致も、決してリスクの低い行動ではない。
まして、攻撃的な魔法を使えるノアが一緒にいる。これが柳田の意向による物とすれば、ノアが魔法使いであることは当然向こうも知っているはずだ。返り討ちにされる可能性だって十二分にある。
にもかかわらず、強硬手段に出ている理由は何だ?ラヴァリを一刻も早く殺すか、確保しなければいけない事情が向こうにあるということだ。
そして、そこまで緊急性を必要とする事情に思いを巡らす。ラヴァリの能力。シーステイアが感じた「焦り」。点と点が、一本の線で繫がる。
……恐らく、理由はこれだ。
俺はラヴァリを見る。
『お前がここに来た理由、まだちゃんと聞けてなかったな。何だ』
『……信頼が置けるか分からんのに、言えるか。イルシアに着いたら言うたるわ』
『いや、勝手に俺の推測を話すぞ。メリア・スプリンガルドの治療。違うか』
ラヴァリの表情が、凍り付いた。
『やはりそうか。重病なんだろ』
『どうしてそれを。そもそも、どうしてメリア様のことを知っとるんや』
『それは後でだ。ただ、メリアという人間は多分戸籍を持ってない。つまり、この国の高度医療を受けられない。そのことに柳田か誰かが気付いた。
そこで、イルシアとは全く関係のない文脈で、治癒魔法に長けたお前が呼び出された。そんな辺りだろ』
ラヴァリは絶句したままだ。ノアが俺を見上げる。
『確かに筋は通ってる。でも、今は推理を披露してる場合じゃないでしょ!?ここからどう逃げ出すかじゃないの?』
「いや、今これを話した理由はちゃんとある。ここで待ち伏せている奴ら、あるいは柳田と交渉ができるかもしれないからだ」
『……交渉??』
「ああ。ラヴァリを使って、メリアって奴に接触できる可能性が見えてきた。それを今からやってみようと思う」
ノアが目を閉じた。
『……ドアの向こう、4人いるわよ。そのさらに向こうに、やっぱり3人ぐらい。大丈夫なの?』
やはりいるか。ただ、ここには監視カメラがある。長時間の無茶はできないはずだ。
「ドアの向こうの連中はノアに任せる。傷付けない程度にしてくれ」
『分かったわ』
俺は地下駐車場に繫がるドアを開けた。
「いたぞっ!!」
10メートルほど先から2人、そして反対方向からさらに2人の覆面姿がこちらに走ってきた。ノアはさっと銀のロッドを取り出し、上から下に振る。
『圧波っ!!』
「ぐおっ!!?」
まるで上から突然重い何かが降ってきたかのように、目の前の2人は突然うつ伏せに倒れる。しかし、挟み撃ちしてくる2人はどうするっ!?
「大人しくしろっ!!」
ガタイのいい大男が、俺の胸ぐらを摑み投げ飛ばそうとしてきた。俺に武術の心得なんてない。まずいっ!?
『よっ!!』
横からラヴァリが男を押すと、男は「ぬおっっ!!?」と向こうに吹っ飛んでいった。ラヴァリはもう一人の懐に入り、もう一度同じようにして数メートル飛ばした。
「て、てめえっ!!?」
倒れた男が懐に手を伸ばす。俺の体温が一気に下がった。……銃を使おうとしている!?
「やめろ」
地下駐車場に、男の声が響いた。ちょうど俺の車がある辺りから、3人の覆面が現れる。俺より身長が高いのが2人、中肉中背が1人だ。
背の高い奴が、銃をこちらに向ける。血の気が一気に下がった。
真ん中の、中肉中背の男が低い声で呼びかける。
「こちらもこれ以上手荒な真似はしたくない。お互い無事じゃすまなくなる、そうだろう?大人しくその赤毛の男を渡してくれればそれでいい」
「こ、こちらも、そういうわけには、いかないんでね」
人に暴力を振るわれた経験は、ほとんど記憶にない。その衝撃で、言葉が上手く紡げない。
必死で冷静になろうと努めているが、身体の熱は上がる一方だ。
俺は素直に逃げるべきだったと後悔し始めた。たかだか10万が惜しいから、こんな危地に足を踏み入れたのか?
いや、違う。状況を、一歩先に進めるためだ。俺はそう、自分に言い聞かせる。
男たちがゆっくりと近づいてくる。ノアがロッドを振ろうとしているのが見えた。
「……やめろ」
『でもやらなきゃやられちゃうじゃない!?』
「大丈夫、俺に任せろ」
強がりだ。自分でも分かる。だが、ノアを止めなければ今までの努力がすべて水の泡だ。
ラヴァリが一歩前に出た。こちらも冷や汗をかいている。
『狙いは、俺やろ』
「そうだが、少し待ってくれ。何とか、する」
男たちとの距離が、5メートルほどになった。……まだ、もう少し時間を稼がないといけない。
……一か八か、訊いてみるか。
「あんた……ラヴァリの身元引受人として手を挙げていた、玉田って奴か」
中央の男が足を止めた。
「だとしたら?」
「柳田俊介衆議院議員の地元、青森でNPO法人をやってるらしいな。表向きは、『安らぎの里』というNPO法人で、前科者の更生支援をしている。
だが、その実は裏の実行部隊というわけだ。例えばこのように」
俺はネットで調べた玉田の情報を、できるだけゆっくりと話した。再び男が近寄ってくる。
「そうだとしでも、おめえに関係ね」
津軽訛りが、急に強くなった。
「いや、関係はあるね。なぜなら……」
ビーッ!!ビーッ!!ビーッ!!
異常事態を知らせるサイレンが鳴った。玉田と思われる男が舌打ちする。
「時間稼ぎだったか、小癪な」
「これであんたらは退かないといけなくなる。だが、これが俺の狙いじゃない。そっちも手ぶらじゃ帰れないだろ」
「……何が言いで」
「ラヴァリはこちらで引き取らせてもらう。その代わり、本来ラヴァリを連れていくはずだった先に、後日彼を向かわせてもいい」
「……は?」
「メリア・スプリンガルド。重病なんだろう?」
玉田の動きが一瞬固まった。俺は話を続ける。
「ディールを続けたいなら、新橋の純喫茶『ライフ』で待ってる。1時間以内に来なかったら引き揚げるから、そのつもりで。もちろん、警察にはこの旨を伝えるから、強硬手段は無駄だ」
バタバタと誰かがやってくる足音がする。玉田は「くそっ」と吐き捨て、「撤収だべ」と呼びかけた。
走り去る玉田たちを見ながら、ノアが呆れたように俺を見上げた。
『無茶するわね……そもそも、本当に来ると思うの?』
「分からない。ただ、事態が切迫しているなら、ラヴァリを求めるはずだ」
後ろのドアが開き、警備員が「どうされました?」と声をかけた。俺はその場にへたり込みそうになるのを、必死で耐える。
ともあれ、一つの山場は越えた。あとは、玉田が誘いに乗るかどうかだ。




