2-1
ノアが門番の方へと歩いていく。門番は汗を拭うと、緊張したように敬礼した。
「アリル・ヴィナ・アルシエル!」
「デア・ブスタ・ジュ・ラディーナ。アカン・セルウォ・デュラ・ゴイル?」
「アヴ!!」
門番はギイィと門を開いた。かなりの大きさだが、よく開けるものだ。相当な膂力があるらしい。
「何を言ったんだ」
『宰相に会う手配をして、ってこと』
門番の一人が、俺の背後に付いた。槍をこちらに向けているのに気付いたノアが、顔をしかめる。
「カレ・ヴェスタ・ディナールヨ!ジュシ・ディ・アルクナスタ・ノハルディ」
「……アヴ」
門番は槍を下ろした。それでも、俺に対する警戒を解いていないのか、いつでも捕まえられる距離を保っている。身体をろくに洗ってないのか、結構体臭がキツい。
「……歓迎はされてないらしいな」
『重要な客人とは伝えたのだけど、万が一のことがあったらということなんでしょ。トモがあたしたちに害をなす者ではないと分かるまでは、ちょっと我慢して』
門をくぐろうとしたその時、ノアが足を止めた。
『……妙ね』
「妙って何が」
『人が少なすぎる』
門の向こうには、純白で統一された町並みがあった。中東か北アフリカかにこんな感じの町があった記憶があるが、かなりエキゾチックな印象を与える。
そして確かに……道を歩く人は少ない。兵士が1、2人歩いている程度だ。
「この暑さだと外を出歩きたくもなくなるだろ」
『それもそうなのだけど……』
大通りは300㍍ほど続いている。その向こうに、やはり純白の城が見えた。ドーム状の屋根がある辺り、どちらかといえばモスクに近い。学生時代に訪れたイスタンブールのブルーモスクを、少し小型にして白で塗ったような感じだろうか。
「町並みが、全部白なんだな」
『イルシアは神族の血を引く聖なる国家だからね。ここに住めるのは、神職者か国の要職にある人間か、どちらか』
「……なるほど」
やはり、エリート層が住む町ということか。しかし、よく見ると所々破壊された跡のようなものがある。壁の中には、矢が刺さったままのものもあった。
俺は、遥か西で行われている戦争のことを思った。こいつらも、そういった戦争から逃げてきたのかもしれない。
『何難しい顔をしているのよ』
「いや、考え事を……ん」
城の正門の前に、誰かがいる。男が3人、しかもかなりの重装備だ。
特に真ん中の漆黒の鎧を着込んだ男はかなりの図体だ。長い赤髪に頰の傷痕、一目で軍人と知れた。褐色の肌には入れ墨のようなものが掘られている。頭には角状の物が生えているが、人間なのだろうか。
男たちの前まで5㍍ほどのところまできて、ノアが俺を制した。偉丈夫がニヤリと笑う。
「ジャルド・グラヴェン・ノア・アルシエル」
『……帰りが遅くなったのはわざとじゃないわ、ガラルド。どういうつもり?』
『……念話を使っているのか。その男に聞かせるためだな』
急に男の言うことが理解できるようになった。どうも、この男も魔法とやらを使うらしい。
『彼は大切な客人よ。ゴイル様に会わせないといけないの、そこをどいて』
男はおもむろに鞘から大剣を抜き、俺の方に突きつけた。思わず後ずさりする。
『俺がこいつを斬り捨てれば、全ては予定通りというわけなんだが』
『冗談はやめて』
『お前が一向に戻らないから、ほぼ出陣の準備は済んでしまってたんだがな?なぜ遅れた』
『倒れたところを助けられたのよ。それに、出陣は次善策。あくまで第一は交渉、そういうことでしょ、ガラルド』
ガラルドと呼ばれた男が、俺にすごんで見せた。
『俺の望みは戦いなんだがな。それに、そんなに悠長にしていられねえんだよ。で、お前がここの領主か、国王ってわけか?鎧も何も付けてないし、服装も平民そのものだがな』
「俺は国王でも領主でもない。ただの平民と言えば、その通りだ」
『はあ!?』
ノアが俺を庇うように前に出た。
『彼はここの大臣か誰かの知り合いみたい。とにかくただの平民じゃないのは、あたしが保証する』
『どうしてそう言える』
『勘。それに、この世界はあたしたちのいた『シルム』とは全く違う。出陣は下の下策よ』
ガラルドのククク……という小さな笑いは、やがて「ハハハハハ!」という大きな嘲笑へと変わった。
『傑作だなあおい!お前たち魔法使いの勘なんて信じられるかよ。勘が当たってたら、俺たちはこんなクソ暑いところになんざ来てねえ』
『……勘は当たっても、力がなければどうしようもないのよ』
『言ってろよ。それに、俺たちイルシア近衛騎士団は一騎当千だ。帝国の物量には負けるが、局地戦で負けた試しは一度たりともねえ。
荘園の一つや二つ、あっさりと制圧できる。偉いさんとの交渉は、食い物を確保してからだ』
『そういう問題じゃないの。とにかくゴイル様に会わせて』
『そのゴイル様が出陣命令を下されようとしているんだがな』
『……え?』
ノアの表情が固まる。
その時、城の門がギィィと空いた。
「ダルヴァ・メルト・シデ。ノア・アルシエル」
護衛と思われる騎士を従え、漆黒のローブを身にまとった初老の男が現れた。髪は短く白髪交じりで、細く鋭い目がどこか神経質そうな印象を与えている。肌は青白く、生気という物を感じさせない。
『遅くなりました……宰相ゴイル様』
ノアは緊張した面持ちで跪いた。……この男が、宰相か。