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「よろしク、お願イしまス……」
ノアが恐縮気味に頭を下げる。どうにも日本語を喋っている時は、普段の強気さが噓のように引っ込み思案に見えるな。
「あ、日本語話せるのね。というか、恭ちゃんの頼みじゃなかったらこの子が魔法使いなんて思わないわ。北欧系の美少女モデルにしか見えないわね」
「あの、綿貫とのお付き合いは長いんですか」
ニヒヒ、と篠塚社長が笑う。
「まあ、そこそこね?もう10年ぐらいになるかしらねえ、恭ちゃんの初めて奪ってから」
「……勘弁してくださいよ。もうそういう関係じゃとっくにないでしょうに」
「あら。でも恭ちゃんは今でも好きよ?上得意のクライアントとしてだけど」
ノアが「あノ」と遠慮がちに手を挙げた。
「お二人ハ、恋人、だったンですカ?」
「あー、どうなんだろねえ。セフレ……ともちょっと違うか。互いに本命いたし、傷を舐め合う関係?」
綿貫はまた溜め息をついて頭に手をやった。
「酔っ払ったまゆみさんに僕が『喰われた』だけでしょ……この話はもうやめにしてくれませんか」
「……おっとそうだった。このシチュエーションでこの話は禁句だったわねえ、ごめんごめん」
一瞬、篠塚社長の目線が綿貫の秘書に向いた。あまり公に知られたくない話なのだろうか。
「まあとにかく。恭ちゃんの頼みなら間違いないのよ。この子、自己中で腹黒だけど、ビジネスに対して噓はつかないしね。
何より、友達の少ない恭ちゃんの友人という時点で稀少じゃん?これでも一発で人を見抜く目には自信があるのよねん」
「えっと、篠塚さんはユーチューバーのプロデュースをやってるんですよね」
「ちょい違う。私がやるのは『PR戦略』。アメリカとかじゃ一般的だけど、政治家やアスリート、芸能人のイメージをどう高めて作り上げるかってのが専門なのよ。
例えばメジャーリーグの小嶋茂治は私のクライアント。彼、クールで無口なキャラで売ってるけど、実際はぜんっぜん軽くて女好きな性格よ。重々しさがないと、国民的スターにはなれないからああいう風に仕立て上げたってわけ」
小嶋茂治は俺でも知っている。メジャーで2年連続MVP、ホームラン王の球史史上最強の怪物打者だ。
「それは初めて知りました」
「まあ私は黒子だからね。それに、彼を受け持ち始めたのはアメリカのサヴァンPRにいた時だったから、独立後も私が受け持っていると知ってるのは相当少ないんじゃない?
とにかくいかにイメージを築き上げて、世論をそっちの方に誘導していくかが、私のお仕事ってわけ。恭ちゃんの『毒舌炎上政治家』は、正直素の部分が大きいけど」
綿貫が照れてるのか嫌がってるのか微妙な表情で頭を掻く。
「……まあ、どこまで喋っていいかっていうまゆみさんの判断なしじゃ成り立たないですがね」
「そうそう。よくいるのよねえ、コメンテーターとかでどこまでが安全なのかのラインを見抜けないの。
それはともかく、イメージ作りが私のお仕事。『国』のプロデュースなんて初めてだから、ワクワクするわぁ」
篠塚社長はそう言うとノートパソコンを取り出し、身を乗り出した。
「というわけで、もう少し詳しい話を聞かせてくれない?恭ちゃんから粗々の話は聞いてるけど」
*
「……ふみゅ……なるほどねぇ」
一通り事の経緯を差し障りのない範囲で説明し終わると、篠塚社長はノートPCのモニターを見ながら思案顔になった。
「どうなンでスカ」
「んー、結構キツいかなあというのが正直なとこ。タイムリミットが再来週の日曜、そこまでにほどほどにバズらせて、イルシアの知名度を高める。しかも、国の偉いさんに目を付けられない程度に。
持ってる素材は悪くないと思うのよ。ノアちゃんのルックス、そして魔法。あと動画で軽く見せてもらったイルシア王宮の概況。トリックとかと思わせない程度に、かつ場所を特定されないようにそれを見せるのは多分できる。
ただ、それだけじゃ出落ちになりかねない。もう一つ、『このチャンネルをもっと見てやろうか』とする工夫が要るわね」
「工夫、ですカ」
ノアの言葉に、篠塚社長が真顔で頷く。
「要はイメージの『軸』がどこにあって、ノアちゃんの、そしてイルシアの何を見せたいのか。それがないと何とも言えないわね。どうなの、そこは」
イメージの軸……考えたこともなかった。それによって、確かに視聴者の関心は大きく変わってくる。
異世界の異邦人という側面を強調するのか、難民という弱者性を強調するのか。あるいはノアの個人的魅力を押し出すのか……
「とりあえず、少しイルシアについての印象を、色々書き出してみます」
「オッケー、定番のヤツね。ちょちやってみて」
俺は思いつくままに、ノートに書き始めた。ブレーンストーミングではよくある手法だ。その中から繫がりがあるものをつなぎ合わせ、その上で考えをまとめていく。
ノアの協力も得ながら書き始めること15分。ノートの3分の1が埋まった辺りで、篠塚社長が口を開いた。
「……ここの食べ物が好きなの?」
「ハい!こンなに美味しイ料理は、シムルにはほとンどないデす」
綿貫が篠塚社長を見た。
「塩が貴重品らしいんですよ。さっきも、マックのハンバーガーをやたら美味そうに食ってたんですが」
「……なるほど、ねえ……イルシアがC市にあるという情報は、出しちゃダメなのよね」
「現地住民の抵抗が強いというのはありますね。ただ、イルシアと対立関係にある異世界の国には、もう場所がばれているか可能性があります。
前ほど秘匿しなければいけない必要性は薄れてるというのが本音です。……という理解でいいんだよな、町田」
俺は首を縦に振った。
「ある程度知名度が出てきたら、断片的に情報を出してもいいかなと思っている。問題は、C市がそれを知ったら先走らないかだが」
「それは避けたいな。間違いなくオヤジがヘソを曲げる。理想は友好協定の締結まで来て、退けなくなったタイミングでマスコミにリーク。それまではC市に黙ってもらうってことだ」
これは一度片桐副市長に会っておく必要があるな。彼とは考え方がかなり違うが、道理の分からない人間じゃない。
篠塚社長が「まあそれはそれとして」と割って入った。
「場所をにおわせる程度ならいいってことよね。例えば埼玉にあるんじゃないか、ぐらいは」
「どういうことなんですか」
「ふふん」と篠塚社長が面白そうに笑う。
「単なるイルシアの紹介じゃ面白くないじゃない?肝心なのは、視聴者にとって有益な情報を盛り込むこと。
そうすることで、イルシアの、そしてノアちゃんのイメージも向上する。とりあえず、試しに一度やってみる?」
「一度って、何をですか」
篠塚社長が笑みを深めた。
「決まってるじゃない。『食レポ動画』よ」




