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『トモ、着いたっぽいよ』
ノアが肩を揺らす。どうやら寝入ってしまったらしい。昨日はほとんど寝てなかったから、それも当然か。
西部鉄道を乗り継ぐこと1時間半。俺たちは綿貫の待つK市に降り立った。時間は13時前、飯を食ってる余裕はどうにもなさそうだ。
俺が少し寝坊したのが良くなかった。昨日から、つくづく自分が嫌になるな。
「すまん、腹減ってるだろ」
『あー、うん。でも我慢する。一応、C市からT市駅までの小一時間で少し軽く食べたし』
「……悪いな」
頭を撫でると、ノアが健気に笑う。心底申し訳なく思った。
駅を出ると、まず目に入ったのが大行列だ。ノアが不思議そうに訊いてきた。
『何、あれ。なんであんなに人が並んでるの?』
「ああ、あれは『頑固者』の列だな。ラーメン屋で、K市、いや埼玉を代表する店の一つだ」
『……この暑い中、どれぐらい待つのかしら』
「あの分だと1時間半だな。世の中には3時間以上待つ店もあるが、ここも相当な物だ」
ノアが目を丸くした。
『1時間半!?美味しいの?』
「俺も5年以上食べてないからな。とりあえず、前に来た時は旨かったが」
『うーん、食べたいけど……時間ないんだよね』
「まあ、また来ることもあるだろ。あと5分もない、急ごう」
行列の隣を横目に、K市の中心「サンロード」に向かう。もっとも、中心といってもただの商店街通りなのだが。
綿貫の事務所は、その一角にある。「日本を変える!綿貫きょうへい」のポスターがあちこちに貼られているビルが見えた。ここがそうか。
2階に上がりインターフォンを押すと、若い女性が現れた。少し地味めだが、長い黒髪と垂れ目が印象的な女性だ。女性にしては少し背が高い。
「お約束の町田様ですね、どうぞこちらへ」
事務所の会議室に通されると、既に綿貫が待っていた。
「おお、来たな。ここまではどうやって?」
「電車だ。車で来ようと思ったが、あまり体調が良くなくてね」
「……まさか熱とかないだろうな」
「寝不足だよ。大したことはない」
「ならいいんだが。ノアちゃんもお疲れ様。少しはこっちの世界に慣れたか?」
「はイ、一応」
綿貫のノアに対する言葉遣いは少しビクビクする。「ちゃん」付けが何を意味するか知ったら、またキレそうな気がするのだが。
「PR会社の人はまだ来てないみたいだな」
「ちょいトラブルがあって20分ほど遅れるそうだ。飯は食べたか?」
「いや。俺が寝坊して、着くのが遅れた」
「珍しいな。とりあえず、適当に何か買ってこさせるか」
綿貫は先ほどの女性を見た。
「美樹、マック行ってハンバーガーか何か頼む。この2人のだけでいい」
「分かりました」
美樹と呼ばれた女性は一礼してその場を去って行った。
「彼女が秘書か。そういえば、この前うちに来た時にも車を運転してたな」
「ああ。一応な」
政治家の秘書は、ああいう使いっ走りみたいなこともさせられるのだろうか。だとしたら、なかなかストレスもたまりそうな気もする。
ノアも同じことを考えたのか、少し険しい顔になって口を開いた。
「彼女は、召使イなのでスか?」
「召使いか。……言い方が難しいな」
綿貫が珍しく、困ったような様子になった。奴のこうした表情は、あまり記憶にない。
「ただの秘書ではないのか。まさか、愛人とか言わないよな」
「……訳ありでね。ちょっとその話は、勘弁してくれ」
綿貫がアイコスを口にした。そういえば喫煙者だったな。
『トモ、あれは何なの?』
「タバコだ。そっちの世界にはないのか」
『『タバコ』……『ファリュミスの葉』みたいなものかしら。まさか、『ジャディック』じゃないでしょうね』
「何だそりゃ」
綿貫が「何話してるんだ」と聞いてきた。そういえば、彼にはシムル語が通じないのだった。
「彼女の世界、シムルにはタバコがないらしい」
「ふうん。紙巻きがあれば吸わせてみるんだが」
「やめとけよ。身体にいいものでもない」
ノアがアイコスをじっと見ている。
「そレ吸うト、どうナるんデすカ」
「あー、メンソール入ってるからちょっと気分がすっとするな。まあ、気のせい程度だ」
「あア、なラいいデす。『ファリュミスの葉』みたいナもノなら」
「ふぁりゅ……なんだそりゃ」
ノアがシムル語で説明する所によると、鎮静作用のある嗜好品だそうだ。甘い香りで、すっと心が穏やかになれるものらしい。『ガラルドが好きなものだけど、ここにはないからずっとイライラしている』という。タバコとは違うが、似たようなものか。
それを綿貫に伝えると、「どこの世界も同じだな」とうんうんと納得していた。食べ物とかは違うが、こことシムルとではそこまで極端な違いはないのかもしれない。
それにしても、綿貫がタバコを吸うのはかなり珍しい。奴がタバコを吸うのは、相当苛立った時だけだった。
あの秘書との関係は、余程触れられたくないものらしい。どういうことだろうか。
*
『ちょっと脂っこいけど、これでも十分美味しいわね』
ビッグマックを平らげると、ノアが満足そうにコーラを飲んだ。ジャンクフードでも美味しく感じられるのは、少しノアがうらやましい。
それを見ていた綿貫が、少し怪訝そうな顔になった。
「……ちゃんとしたもの食わせてるのか?」
「は?」
「マック程度であんなに美味そうな顔になるって、ちょっと珍しいぞ?コンビニ飯ばっかノアちゃんに食わせてるんじゃあるまいな」
「あいにくそこそこ料理はできてね。あと、イルシア……というかシムルじゃ、塩は貴重品なんだそうだ。海が毒だとか何とか」
「……塩が貴重品、なあ。で、海が毒。話に聞いた『死病』の件といい、俺たちよりそっちの世界は余程過酷なんじゃないのか」
ノアが綿貫の言葉に『うーん』と唸った。
「そうカも、しれマせン。怪物や魔獣モ、この世界ニはいなイのでショ?」
「まあ、いないな。最近はこの世界の気象もかなり異常だし、疫病も世界中にはびこってて世の中おかしくなってるが」
「そうナんデすか。でも、シムムでハ魔法がなイと大変なンでス。例えば……」
その時、事務所のチャイムが鳴った。秘書の子がパタパタと出迎えると、すぐに「うっす」と小柄で薄手のワンピースを着た女性が部屋に入ってくる。
「ごめんごめん!!いやー、クライアントの親父がぎゃーぎゃー口出すもんだから、結局ブッチしちゃったよ。こっちゃクライアントの奴隷じゃねえっての。
んで恭ちゃん、この子たちが例の子たち?……へー!!すっごい上物じゃんっ!!というかこの子が魔法使いかあ、これは面白くなりそうだわ」
いきなりマシンガンのように早口でまくしたててきた。何だこの人は。
綿貫も「一気に言わんといてくださいよ」と、盛大な溜め息をつく。
「綿貫、この人が?」
「ああ。エムエス……」
綿貫が口を開くと、彼女は俺と綿貫の間に割り込んでさっと名刺を出す。
「あー、ごめんなさいねえ。私がエムエスPR社長、篠塚まゆみ。よろしくねん」




