7-2
『これが『電車』??こんな鉄の塊が動くの??』
しまむらを出てからずっと不機嫌そうに黙っていたノアが、一転顔を輝かせた。
「西部鉄道の『イエローアロー』だ。この時間帯だと、C市から池袋に向かう客はほとんどいないな」
逆に「西部C市駅」で降りる客はかなり多い。家族連れやハイキング目的の中高年の客が多いようだが、案の定ノアとシェイダは目立つらしく、視線が集まっているのを感じた。
『んー、結構目立っちゃってるねえ。服買わなくてもよかったんじゃ?』
「買わないともっと大変なことになってたと思うぞ。とりあえず、乗っておこう。そこそこ着くまでに時間はかかるから、昼飯も兼ねて何か買っておくか」
俺はコンビニでサンドイッチと菓子パン、それとノアの強い要望でコーラを3本買った。あの時以来、ノアはコーラが随分と気に入ったらしい。
特急券を買ってイエローアローに乗ると、果たして車両に乗っていた乗客は俺たちだけだった。数分後、ゆっくりと電車が動き出す。
『へえ、確かに変わった味ねえ。『甘露水』みたいなものだけど、こんなのが普通に買えるんだ』
コーラを飲んだシェイダが、感心したように言う。
「まあ、ごくごくありふれた飲み物だな。……ずっと疑問だったんだが、そんなにイルシアの料理は、その……薄味なのか?」
『あー、気持ちは分かるよ。というより、こっちに来て思ったんだけど、シムルのご飯はこんなに味付けはハッキリしてないよ』
「そうなのか?それはイルシアだけじゃなく?」
カツサンドをつまみながら、ノアが頷いた。
『全般的に『素材の味を生かす』のが大事って感じ。というか、塩や砂糖は本当に貴重で、ほとんど手に入らないのよ。……あ、これも美味しい!冷えてるのに、ちゃんとお肉の味がするわ』
「塩や砂糖が貴重?」
『うん……んぐ、甘さは蜂蜜で代用できるけど、塩は本当に貴重。魔侯国の岩塩が、宝石並みの高値で取引されてるぐらい。しかも、第3次人魔戦争で岩塩自体がほとんど流通しなくなっちゃったから、なおさら』
「海は……海水から塩は取らないのか?」
ノアとシェイダが信じられないといった様子で顔を見合わせた。
『……海?だって、海の水って毒でしょ?』
「……は??毒??」
『そう。海に出たら瘴気にやられてすぐに死んじゃうわ。得体の知れない魔物も多いし。だから絶対に、海に近づかない。
トモの世界もてっきりそうだと思ったわ。海の気配が全然しないもの』
海が毒?やはり似ているようで、この世界とシムルは全く違う世界のようだ。
ただ、今の言葉で少し腑に落ちたことがある。ノアが俺の作る飯を、ことごとく「美味しい」という理由だ。
戦国時代、ある姫君は「世の中で一番美味いもの」として塩を挙げたという。塩なしでは、決して美味い料理は作れないからだ。
それがまさにその通りだと、俺は今思い知った。そうか、調味料自体がイルシア、あるいはシムル全体にないというのか。
「いや、この世界は海は毒でも何でもない。塩だって海からほぼ無限に採れるんだ」
『そうなの??ちょっと、信じられないわね……』
ノアは目を丸くしながら、はむっとカツサンドをかじる。
シェイダはというと、車窓を流れる風景をじっと見ていた。
「どうした?」
『あー、うん。少し考え事。シムルからこっちに来たって奴、どう生活に適応したのかなって。
ここと私らの世界って、本当に違いすぎるからさ。騒ぎにならず、よく溶け込んだなって』
ノアがカツサンドを飲み込んで、首を縦に振った。
『そうね、それは同感。あたしだって、トモに出会わなかったらと思うとぞっとするわ。たまたま念話が通じる相手で、しかもあんなことしたのに匿ってくれるなんて……『感謝してもしきれないわ』』
ノアが最後の方、念話を切ったのに気付いた。ただ、何を話したかは分かる。
俺が「ノア?」と訊くと、『……何でもないわよ』と顔を背けた。
それを見たシェイダがニヤニヤと笑う。
『ね、あなたたちヤッたの?』
『はあ??』
「は?」
思わぬ言葉に、思わず声が出る。
『いやさ、多分あなたたち同じぐらいの歳でしょ?男女が一つ屋根の下、そういう気分になったりすることあるっしょ』
『い、いや、ないわよ!?そ、それに知ってるでしょ?性交渉するなら、嫌でも『魔紋』は見せることになるって!それはつまり……殺すか、一緒になるしかないじゃない……』
『何でそんな古いしきたり守ってるのか、私には分からないなー。いいじゃん、好きならしたって』
『それはあんたがエルフだからでしょ??そういう辺り、ぜんっぜん理解できない』
俺はこの車両に誰もいないことに感謝した。さすがに大声で喋りすぎている。
「すまん、エルフだからって、何だ」
『……エルフ、というかパルミアスは多夫多妻制なのよ。子供が生まれにくいからってのもあるけど』
うんうん、とノアの言葉にシェイダが頷く。
『まーね。でも好きなら好きですればいいじゃん。あんたらが魔力を増幅させるために『魔紋』を刻んで、『制約』付けることでその力をさらに高めるってのは分かるんだけどさ。
私たちエルフはそれはやらない。体質上魔力過剰になりやすいってのもあるけどさ。恋ぐらい自由にすればいいと思うんだけどなあ』
シェイダがコーラをゴクゴクと飲み干した。……困った、こういう話題はどうにも苦手だ。
『で、どうなの2人の気持ちは。そこが大事じゃん』
『そ、それは……』
ノアが口ごもった。そんなことを急に言われても困るのは、俺も同じだ。確かに、ノアのことは嫌いじゃない。見た目は幼いが、ルックスも相当な物だと思う。
ただ、今のところそういう目で見たことはなかった。……まだ早過ぎると思っているからなのだろうか。あるいは意識的に見ようとしていないだけなのか。
かつて、睦月と別れた際に言われたことを思い出す。「あなたはいつも自分の中で完結させようとする」、と。……俺の悪い癖だな。
その時、電車が止まり学生と思われる若い男性客が何人か乗ってきた。いつの間にか、H市駅に着いていたらしい。
「……いったん、やめにしないか。ちょっと目立つ」
男性客が好奇と好色の目でノアとシェイダを見たのに気付き、俺は切り出した。意図を理解したのか、シェイダが『そうね、ちょっと踏み込みすぎた』と苦笑しながら答える。
『まあ、一つ言いたかったのはさ。その、私らより前にこの世界に来た奴には、多分ノアに対するトモのような人がいたってことだよ。
恋人なのか、それとも別の関係なのか分からないけどさ。この世界に溶け込むようにさせたのは、間違いなくそいつにかなり親しい人物だね』
俺もノアも、この言葉には同意した。どういう人間なのだろう。
*
『んー、随分時間かかったわねえ』
地下鉄を降りると、シェイダが大きく伸びをした。電車に乗ること2時間弱。車で行くより早くて楽とはいえ、それでも疲れることは疲れる。
ノアも心底うんざりした様子で、大きく溜め息をついた。
『『デンシャ』ってのを降りる時、物凄くたくさんの人がいるとこに出たでしょ?あんなの、生まれて初めて見たわ……人の多さに頭がクラクラして、卒倒しそうになった。
しかもすっごく暑いし、通りすがりからはじろじろ見られるし……昨日トモがクルマ使ったのが、よく分かったわ』
「まあ、池袋だからな……俺も、人混みはあまり好きじゃない」
実際、池袋駅で西部鉄道から地下鉄に乗り換える時はなかなか面倒だった。男どもの目線はノアとシェイダに向かい、「モデルか何かか?」というひそひそ声は俺にまで届いた。
切符を買おうとした時など、怪しげなスカウトがやってきて追い返すのに一苦労だった。魔法を使おうとしたノアを止めなければ、もっと面倒なことになっていただろう。
『帰りがけにシェイダが感知魔法使うってことだけど、またあそこ通るの?嫌だなあ』
「まあ、仕方ないさ。シェイダ、できるだけ高いところで使った方がいいんだよな」
シェイダが頷いた。
『見える範囲のところしか感知できないからね。シムルにいた時みたいに浮遊魔法は使えないけど、そんなにいい場所があるの?』
「ああ」
「ソーラシャイン60」。かつては日本一高いビルとして有名だった建物だ。東京都庁やスカイツリーも考えたが、通行過程で必ず通る池袋に寄った方が、一番手間がかからずに済む。
そこに行くまでにまた彼女たちが注目を集めてしまうだろうが、それはもう諦めるしかないか。
地下鉄出口を出て警視庁に向かう。出口から警視庁までは、目と鼻の先だ。
受付を済ませようとした、その時だ。
「ん、町田じゃないか?」
不意に呼びかけられ、少しビクッとして振り返る。ノアが『誰、こいつ』と訝しげな顔をした。俺も全く同じだ。……その顔に、見覚えがない。
そこにいたのは、小太りの脂ぎった男だ。汗っかきらしく、ハンカチで額を拭いている。年齢はそこまで行ってなさそうだ。
「……どなたですか?」
「あー、6年ぶりだからな。しゃあないか。射手矢だ。射手矢貴」
数秒して、やっと俺は「射手矢か!」と合点した。大学時代の射手矢は随分と痩せていた。だから人相が変わり過ぎていて思い出せなかったのだ。
『知り合いなの?』
「あ、ああ。一応な」
正直、あまり歓迎できる再会相手ではなかった。こいつの押しの強い性格が合わなかった、というだけではない。
この男の就職先が、東日新聞……国内最大の新聞社だったからだ。




