7-1
「市村君か、おはよう。変わりはないか?」
シェイダを迎えに王宮城壁前まで行くと、ちょうど市村が事務所に着いた所だった。
「あ、何とか。一昨日、会社の上の人から『何で報告しねえんだ!』と物凄く叱られましたけど……昨日になって社長直々に『そのまま業務を進めてくれ』って来たんで、ほっとしてます。町田さんが、話をしてくれたんですか?」
「いや、特には」
市村を叱ったのは坂本か。恐らくは綿貫が西部鉄道に圧力を掛けて、坂本を一応は封じ込めたのだろう。
ただ、暴走リスクは常にある。片桐共々、このまま大人しくしてくれればいいが……
「ア、イチムラ。オハヨウ」
ノアの言葉に市村が目を丸くした。
「え、ノアさん日本語しゃべれるんですか?」
「トモカラナラッタヨ。……『この国の言葉、難しいわね』」
最初は日本語で、後半はシムル語でノアがしゃべった。彼女も少しずつだが、この国の言葉を覚え始めている。俺の方が上達が早いのには『何でか納得がいかない』と不満げだったが。
「すごいですね……『僕もイルシアの言葉、少ししゃべれるようになったんですけど』」
『え!!?』
ノアが叫んだ。俺も思わず声を出すところだった。しかも、俺よりも発音が自然だ。
『ちょっと、誰から習ったの??』
えへへ、と市村が照れくさそうに笑う。
『それは言うな、って言われてるんです。でも、おかげで皆さんと少し仲良くなりましたよ』
そういうと、市村は門番に向けて手を振った。向こうも『今日もご苦労だねえ』と笑顔で返す。
『……いや、ちょっと凄いわね。トモの上達速度ですら異常なのに』
「文法が英語とかに近いから、その類推でやれてただけだ。君、本当に派遣社員なのか?」
「はは……教えてくれる人が上手いんですよ、多分。あ、仕事に入らなきゃいけないんで、また」
そう言うと市村は事務所に消えていった。ノアが首をひねる。
『どういうこと?』
「俺が聞きたいよ。誰だろうな、彼に言葉を教えているの」
『さあ……イチムラには干渉するなと言われてるはずなんだけど。下手に彼に手を出すようなら、アムルが制裁加えてるはずだし。でも、今のところそんな話は聞かない。シェイダかしら』
噂をすればなんとやら、シェイダが白いローブ姿で門から現れた。
『おはよー。じゃ、行きますか』
『シェイダ、イチムラと会って言葉を教えた?』
シェイダが訝しげにノアを見る。
『……イチムラ?あの事務所の子?』
『そう。シムル語がペラペラになってて、驚いたんだけど。あなたが教えたの?』
『いや、私じゃないわよ。あの子女の子みたいでかわいいけど、さすがに手は出せないなあ。魔術局局長がそんなんじゃ、示しが付かないし』
『そうよね。じゃあ誰が?』
『まあいいじゃん、実害はないんだから。それじゃラヴァリの所に行きましょ?』
車に乗ろうとするシェイダを、俺は一度制止した。
「ちょっと待ってくれ」
『へ?』
「シェイダさんのその格好は目立ちすぎる。特に耳は、帽子か何かで隠さないと。あと、服装もこの世界に合ったものに着替えて欲しい」
『あー……なるほど。今のノアみたいな感じ?』
ノアはこっちに来た初日に俺が買ったしまむらの服を着ている。今日はデニムのショートパンツに、ゆるっとしたTシャツだ。俺にはファッションセンスの欠片もないが、『動きやすくて気に入ってる』とはノアの評価だ。
「基本的には」
『りょーかい。じゃあ、服買って行くとしますか』
*
『こんなもんでどうかな?』
『あ、いいんじゃない!?かなりかわいいと思うわ。トモはどう思う?』
「……いいんじゃないか」
ドレッシングルームから出てきたシェイダを見て、俺は目のやり場に困った。似合ってないわけではない。似合いすぎるのだ。
色白でブロンド、それでアムルほどではないにせよ胸が豊かな彼女は、間違いなく人目を引く。ノアとはベクトルが違うが、男どもの注目を浴びてしまうのには変わりがなさそうだった。
『……何顔赤くしてるのよ』
不機嫌になるノアをシェイダが『まあまあ』となだめる。
『トモだって男だし、ね?』
『……何か気分悪いわ』
俺が顔を赤くしたのは、別の理由なのだが……ノアは勘違いしてしまったか。
今日の移動手段は、車ではない。電車だ。否応なく、俺たちはこの夏真っ盛りの人混みに出ることになる。
そこで目立つことは、あまりいいことじゃない。万一、シルムから来た人間に見つかったら相当面倒なことになる。
それでもリスクを冒すのには、幾つか理由がある。まず、車だと到着時間が読めない。俺の体力もかなり消耗する。
そして何より、シェイダの感知魔法を発動させるためだ。車で向かうより、電車で移動した方がこの点では利点がある。
電車を使う場合、日本でも有数の乗降客数を誇る池袋駅を必然的に通過する。人の多いここで感知魔法を使えば、網にかかる可能性は少しは高くなる。
だからこそ「余り目立たない格好で」とは言っていたのだが、これは少々予想外だ。変な奴に絡まれないといいが……。特に喧嘩っ早いノアは、大丈夫だろうか。
『とっとと行くわよ』
苛立ちを隠さずノアが告げる。俺は思わず溜め息をついた。




