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そして、俺はこの少女と向き合っている。
『で、国王か領主はどこなの。返答次第では、次はあなたの胴体がああなる』
背中に伝う汗が冷たさを増す。その場でへたり込もうとしたくなるのを、俺はすんでの所でこらえた。
「……国王か、領主」
『そう。あたしたちは、交渉しないといけないの』
「交渉?」
『ここから帰るまでの身の安全と、当面の食糧の確保。場合によっては同盟の構築。平民のあんたに望む物は何もないわ。ただ、どこに行けば国王か領主に会えるのかを知りたい』
混乱する頭で、必死に情報を整理した。来ているのは、この魔法少女だけではない?
俺は大きく深呼吸した。肺の中の空気が、清廉なものに入れ替わる。少しだけだが、冷静さを取り戻した。
これは、紛れもない「非日常」だ。それも、とてつもないほどの。
しかし、感じているのは恐怖心だけではない。久しく味わうことがなかったスリル。そして、近年はほとんどフルで働かせることがなかった頭脳を動かす興奮。
……少しだけなら、構ってやるのも悪くはない、か。
「……面白い」
『は?』
俺は思わず笑みを浮かべていた。少女は怪訝そうな表情を浮かべている。
「すまんな。馬鹿にする意図はなかった。一つ訊くが、来てるのは君だけではないな」
『……そうよ。それがどうかした?』
「何人ほどだ。5人か、10人か。それによって話は大分変わる」
彼女が何者なのか、あるいは異世界の人間なのかは知らない。だが、どちらにせよ行政マターだ。下手に騒ぎにするよりは、市役所か、あるいは入管か、それとももっと上かが対応した方がいい案件なのは明白だ。
そして、何せ本物の魔法を俺に向かって使うような奴だ。それも、結構強力な攻撃魔法を。
メディアにばれたら確実に大騒ぎになるし、事件でも起こされたらたまったものではない。ここに来たのが数人ならば、一応は優秀とされる日本の官僚機構が内々で何とかしてくれるはずだ。
だが、彼女の答えは予想にないものだった。
『……知らないわよ、正確には』
「どういう意味だ」
嫌な予感がした。こういう時の嫌な予感は、大体当たる。
そして、やはり今回もそうだった。
『イルシア国の王宮と城下町に、どれぐらいの人間がいるか正確に把握できるわけないじゃない』
俺はしばし絶句した。……まさか。
「国ごと転移したわけではない、よな」
魔法少女は後ろを振り返り、ロッドでファンタジーランドの建設予定地のある辺りを指した。
『そうよ。あの向こうに、あたしたちの『国』がある』
「マジか」と口をついた。ここからは何も見えないが、何かが広大なファンタジーランドの建設予定地にできている、らしい。
これは下手をしたら、国が、いや世界がひっくり返りかねない案件だと、俺は即座に理解した。
そして、もう一つ分かったことがある。
この「非日常」からは、どうにも抜け出せそうもない、という事実だ。
向こうから、エンジン音が微かに聞こえてきた。恐らくは、さっきの杉が倒れた音に反応して、近所の住民が様子を見に来ようとしているのだ。
まずい。額の汗が、目に入りそうなほどになった。数年間感じたことのない焦りだ。
この魔法少女を見て、そいつがどういう反応を示すのか。そして、それに対して彼女が何をしでかすのか。
威嚇のためとはいえ、ひどく暴力的な魔法を俺に対して使うような奴だ。万一殺すようなことがあったら、事態は完全に取り返しが付かなくなる。
「逃げるぞ」
『……は?何でそんなことしなきゃいけないわけ?』
「何が何でもだ。一度、俺の家に……」
少女の様子がおかしい。明らかに汗の量が尋常ではない。唇も、心なしか青くなっている。
「おい、大丈夫か?」
『だ、大丈夫……』
と呟いた直後、彼女はその場に座り込んだ。
「おいっ!!」
『噓……念話と『魔刃』だけでこんなに魔力を消耗するなんて……』
彼女に触れる。すごい熱だ。呼吸もひどく荒い。
過労なのか、それとも別の何かかはしらないが、とにかくどこかで休ませねば。
「コア……メネソ……ジュリ……」
力なく、彼女が何か呟く。何を言っているかさっぱり分からなくなっているが、その瞳の弱々しさは、さっきまで俺に高圧的に対応していた少女のそれとは全く異なっていた。
この少女は……脆い。
向こうから、白のライトバンがやってくるのが見えた。俺は立ち上がり、大きく手を振る。
魔法少女の意識は、すでに失われていた。