表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件について  作者: 藤原湖南
第4話「市民課主任・山下睦月と副市長・片桐誠一」
26/181

4-4


片桐と名乗る男はヘラヘラとした笑いを浮かべ、「どうぞどうぞ」と座るよう促した。


「すみませんお待たせして。山下君から極々簡単には話をうかがっています」


話といっても、ノアが宙に浮かんだという程度しかできないはずだ。副市長と言えば、実務のトップに相当する。この程度で出てくるような立場の人間ではない。

やはり、綿貫を通して既に市会議員の誰かに話が伝わっているのだろうか。話が通りやすくなるのはありがたいのだが、このスピード感はやや想定外だ。

イルシアのことを知る人間が早い段階で多くなるのは、あまりいいことではない。俺は警戒レベルを上げた。


「話、とは?既に別のルートから、私たちの話を聞いているのですか」


片桐はきょとんとした表情を浮かべた。


「別のルート?何でしょうか、それは」


演技か?しかし、とぼける理由も見当たらない。考えすぎか。


「いえ、副市長が直接お出になられるとは思ってもいなかったもので」


ははは、と片桐が笑う。


「いえ、昔の部下のたっての頼みでしたから。彼女があそこまで言うということは、おそらく重要なことなのでしょう」


俺は睦月を見た。彼女は無言で首を振る。「詮索は無用」とでも言っているかのようだ。


ノアが口を開く。いつもより、どこか表情が硬い。


『私の言葉が理解できますか?』


片桐の目が見開かれた。


「……え、ええ。しかし、これは」


ノアがほっとしたような笑みを浮かべる。


『良かった。これは『念話』と申します。私の言葉はあなたのそれと違いますが、直接その意味があなたの意識に伝わるようになっているのです』


「……彼女が魔法使いというのは、本当のようだね」


睦月が、「言葉が分かるのですか」と困惑したように言った。片桐は小さく頷く。


「君には彼女の言葉が分からないのか」


「はい。智……町田様、これはどういうことでしょう」


ノアが代わりに答える。


『私も詳しくは分かりません。ただ、念話を使うには『波長』が合うかが重要です。異種族との会話でも、たまに念話が通じないことがあります。お気になさらず』


通訳して睦月に伝えると、かすかに落胆したような表情になった。


それにしても、ノアの言葉遣いが随分と普段より丁寧だ。イルシアでは外交官的な立場であったようだから、こういった交渉の場では態度を変えているのかもしれない。


「なるほど。それで、この少女はどういった子なのですか」


『少女ではなく、淑女です。お間違えなきよう。私はイルシア国第一級魔導師、ノア・アルシエル。28歳です』


「イルシア国?」


俺は無言でスマホを彼らに見せた。イルシア国の城壁前の様子の動画だ。すぐにファンタジーランド建設予定地に連れて行けない都合上、交渉のためにさっき撮っておいたのだ。


片桐も睦月も、動画にくぎ付けになる。それはそうだろう。明らかにこの国のものではない建築物に、異形の人々。「特撮か何か、ですか」と片桐がかすれた声で言うのも無理はない。


「これは紛れもない現実です。東園大字4013、元は西部開発がファンタジーランドを作るはずだった場所で、今朝撮ったものです。

彼ら、イルシア国の国民はおととい未明に、ここにやってきた。『シルム』と呼ばれる異世界から」


「……冗談でしょう」


「しかし、だからこそノアがここにいる。彼女が魔法を使えるのは、あなたも、山下さんも見た通りです」


片桐がつばを飲み込む音がした。存外に察しはいい男のようだ。


「なるほど……すべてをうのみにするわけには現状行きませんが、確かに重大案件である可能性が高いのは理解しました。町田さんがこの案件に関わるようになった理由など、詳細は後回しにしましょう。あなたたちがここに来た理由は」


『食糧と水をいただきたいのです。我々に決定的に足りないのはその点です。そして、生命と生活の保障を』


「食糧と、水」


拍子抜けしたかのような片桐に、俺は頷いた。


「彼らは一種の難民です。ただ、通常の難民とは違い、戻るべき国家はない。目前に迫る生命の脅威も、『この世界』にはない。何より、法的な戸籍などの裏付けも皆無です。

今の状況を法的に言えば、『ファンタジーランドの建設予定地に突如として巨大違法建築物ができ、そこを500人ほどが不法占拠している』という状況です。故に、難民保護法は成立し得ない。何より、国による認定が要る。

ただ、被災者生活再建支援法を援用すれば、その辺りの状況はクリアになるはずです。彼らを一種の『被災者』としてみなすならば、自治体の判断で彼らが何者であるかという認定を下すことなく、衣食住の提供ができる」


「……随分と法律にお詳しいですね。確か、山下君とは旧知とは聞いていましたが。元、財務省の方でしたか」


「そこまで聞いていたのですか」


はは、と片桐が笑う。


「さらっとしかあなたのことは聞いていませんがね。ただ、信用できる人物であるとは言っていました。山下君のことです、変な人物を紹介はしないとは思っていました」


『ならば、私たちにご協力いただけると』


身を乗り出すノアに、片桐が首を小さく横に振った。


「すぐには無理です。我々はただの行政機関に過ぎない。このレベルの話だと、私の一存では決められないのです。議会承認と市長の決裁が要る。そして、それにはそれなりの時間がかかるのです」


『それなりの時間、とは』


「それは分かりません。できるだけ早く手続きを済ませるようにはいたしますが」


ノアの顔が、露骨に落胆したのが分かった。この国の行政は、あまりに動きが鈍い。それは分かっていたが、こう改めて目の当たりにするといらだちが湧いてくる。


『あたしたちが餓え死んでもいいと??』


「そうは言っていません。ただ、C市としてできることに限界はあるのです」


『限界、ですって……!』


立ち上がろうとするノアを俺は制した。愚鈍ではないが杓子定規な役人との交渉には、俺の方がずっと慣れている。


「既に国には話をし始めています。そのうち、こちらにも話が降りてくるでしょう。ある程度の行為は、緊急避難として認められるように手配する心づもりです」


「国?」


「財務省時代のコネを使いました。そちらにご迷惑をおかけするつもりはありません」


片桐が考え込んでいる。そう、この手のタイプには「より上位の意思決定者がこちら側にいること」を認識させた上で、「そちらの失点にはつながらない」ことを伝えるのが一番いい。

大体は、これで首を渋々とではあるが縦に振る。役人が弱いのは、権威とリスクテイクなのだ。



しかし、片桐の言葉は俺の想定外のものだった。



「国にしゃしゃり出られるのは、困りますね」



俺は思わず「え?」と口にしてしまった。これまで始終笑みを絶やさなかった片桐が、真顔になっている。


「そもそも、なぜあなたはこの件を公表しようとしないのですか?手順としては、まずそちらのはずです。それを受けてからなら、こちらも幾分は動きやすかった。

しかし、山越しに国にアクセスを取られるのは困るのですよ。こちらができる余地がなくなってしまう」


「……異世界が存在しているという事実は、世界的なニュースになります。仮にそうなれば、ノアたちの、イルシアの平穏はなくなる。

C市だってそうです。野次馬が来るならまだいい。どこぞの国の工作員が、イルシア目当てにC市に潜入しようとするかもしれない。それをあなたはよしとするのですか?」


片桐が「あなたは分かってない」と首を振った。


「C市の人口がどれほどか、あなたはご存じですか」


「……8万人ほどでは?」


「あなたが子供の頃は、ですね。今は6万人と少ししかいない。市としての基準を満たす5万人割れもそう遠くはないでしょう。

高齢化も不可逆的に進行している。かつての主力産業だった林業は衰退し、セメントの生産拠点としても存在感は薄れている。場所の不便さから有力メーカーが工場を建設することもなく、観光的な魅力も乏しい。何より、コロナでそれどころじゃない。

いわば、この市は『滅びつつある』のです。緩やかに、しかし確実に。では、どうすればいいか?」


片桐は目をつぶり、黙り込んだ。部屋を包む沈黙に耐えきれず、俺は口を開いた。


「……そんなの、答えようがないです」


「そう。どうしようもなかった。しかし、これは大きな、大きなチャンスなのですよ。何もなかったC市が、日本に、いや世界に注目されうるとてつもない絶好機なのです。

死んでいた地域は活性化され、街に移住を希望する若い人も増えるでしょう。かつてファンタジーランドに期待されていた役割を、おそらくこのイルシアという国が担うことになる。それも、10倍、いや100倍以上の効果で」


片桐が、ニコリと笑う。


「だからこそ、この件のハンドリングは我々が行うべきなのです。早期の事実関係の公表を許していただけるならば、可及的速やかに、かつ全力で支援いたしましょう」


しまった、と俺は思った。片桐という男が、ただの事なかれ主義の役人でしかないと見誤っていた。


この男の行動原理の中心は、「郷土愛」にある。その点に、想像が及んでいなかった。


そうである以上、説得は簡単じゃない。そして片桐はこのわずかな時間のやりとりで、イルシアを町興しに使う発想に行き着いてしまった。それはとてつもなく危険だが、しかし「C市の将来」だけを考えるならばかなり説得力のあるロジックだ。


……俺は考えた。片桐の提案を丸のみするわけにはいかない。何より、下手にイルシアのことが明るみになれば、帝国からの刺客にこちらの場所を教えることにもなりかねない。

だが、イルシアの状況はまだ依然として深刻だ。500人の腹を満たす食料の提供を、俺だけが担うのはさすがに無理がある。


どう反駁すればいいのか。黙っているとノアが強い口調で切り出した。



『あたしたちはどうなるんですか。あたしたちは、イルシアは見世物小屋の住民じゃない』



目が怒りに燃えている。綿貫の時のように手を出しはしないかと思ったが、震える手を見て必死にノアも耐えているのだと悟った。


片桐は一瞬目を見開いた後、微笑んで言った。


「もちろんです。だからこちらからあなた方の行動には、一切干渉しない……」


『だとしても。あたしたちが望むのは、何事もない『普通の生活』。それが望みなの。騒ぎになるようなことは、ちっとも望んでいない。

もちろん、食べ物は大切よ。でも、誇りを捨ててまですがろうとは思わないわ』


ノアが立ち上がった。言葉からは敬語が消えている。


「ノア」


『トモ、帰りましょ。彼らは当てにならない』


俺は目を閉じ、少し考えた後でノアに続いた。この件については、ノアの筋が通っている。食糧調達の問題は、仕切り直しだ。


「……今日のところは、これで帰ります。それと、この話は他言無用ですので、念のため」


部屋にはあっけにとられた睦月と、険しい表情に戻った片桐だけが残された。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=578657194&size=200
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ