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片桐と名乗る男はヘラヘラとした笑いを浮かべ、「どうぞどうぞ」と座るよう促した。
「すみませんお待たせして。山下君から極々簡単には話をうかがっています」
話といっても、ノアが宙に浮かんだという程度しかできないはずだ。副市長と言えば、実務のトップに相当する。この程度で出てくるような立場の人間ではない。
やはり、綿貫を通して既に市会議員の誰かに話が伝わっているのだろうか。話が通りやすくなるのはありがたいのだが、このスピード感はやや想定外だ。
イルシアのことを知る人間が早い段階で多くなるのは、あまりいいことではない。俺は警戒レベルを上げた。
「話、とは?既に別のルートから、私たちの話を聞いているのですか」
片桐はきょとんとした表情を浮かべた。
「別のルート?何でしょうか、それは」
演技か?しかし、とぼける理由も見当たらない。考えすぎか。
「いえ、副市長が直接お出になられるとは思ってもいなかったもので」
ははは、と片桐が笑う。
「いえ、昔の部下のたっての頼みでしたから。彼女があそこまで言うということは、おそらく重要なことなのでしょう」
俺は睦月を見た。彼女は無言で首を振る。「詮索は無用」とでも言っているかのようだ。
ノアが口を開く。いつもより、どこか表情が硬い。
『私の言葉が理解できますか?』
片桐の目が見開かれた。
「……え、ええ。しかし、これは」
ノアがほっとしたような笑みを浮かべる。
『良かった。これは『念話』と申します。私の言葉はあなたのそれと違いますが、直接その意味があなたの意識に伝わるようになっているのです』
「……彼女が魔法使いというのは、本当のようだね」
睦月が、「言葉が分かるのですか」と困惑したように言った。片桐は小さく頷く。
「君には彼女の言葉が分からないのか」
「はい。智……町田様、これはどういうことでしょう」
ノアが代わりに答える。
『私も詳しくは分かりません。ただ、念話を使うには『波長』が合うかが重要です。異種族との会話でも、たまに念話が通じないことがあります。お気になさらず』
通訳して睦月に伝えると、かすかに落胆したような表情になった。
それにしても、ノアの言葉遣いが随分と普段より丁寧だ。イルシアでは外交官的な立場であったようだから、こういった交渉の場では態度を変えているのかもしれない。
「なるほど。それで、この少女はどういった子なのですか」
『少女ではなく、淑女です。お間違えなきよう。私はイルシア国第一級魔導師、ノア・アルシエル。28歳です』
「イルシア国?」
俺は無言でスマホを彼らに見せた。イルシア国の城壁前の様子の動画だ。すぐにファンタジーランド建設予定地に連れて行けない都合上、交渉のためにさっき撮っておいたのだ。
片桐も睦月も、動画にくぎ付けになる。それはそうだろう。明らかにこの国のものではない建築物に、異形の人々。「特撮か何か、ですか」と片桐がかすれた声で言うのも無理はない。
「これは紛れもない現実です。東園大字4013、元は西部開発がファンタジーランドを作るはずだった場所で、今朝撮ったものです。
彼ら、イルシア国の国民はおととい未明に、ここにやってきた。『シルム』と呼ばれる異世界から」
「……冗談でしょう」
「しかし、だからこそノアがここにいる。彼女が魔法を使えるのは、あなたも、山下さんも見た通りです」
片桐がつばを飲み込む音がした。存外に察しはいい男のようだ。
「なるほど……すべてをうのみにするわけには現状行きませんが、確かに重大案件である可能性が高いのは理解しました。町田さんがこの案件に関わるようになった理由など、詳細は後回しにしましょう。あなたたちがここに来た理由は」
『食糧と水をいただきたいのです。我々に決定的に足りないのはその点です。そして、生命と生活の保障を』
「食糧と、水」
拍子抜けしたかのような片桐に、俺は頷いた。
「彼らは一種の難民です。ただ、通常の難民とは違い、戻るべき国家はない。目前に迫る生命の脅威も、『この世界』にはない。何より、法的な戸籍などの裏付けも皆無です。
今の状況を法的に言えば、『ファンタジーランドの建設予定地に突如として巨大違法建築物ができ、そこを500人ほどが不法占拠している』という状況です。故に、難民保護法は成立し得ない。何より、国による認定が要る。
ただ、被災者生活再建支援法を援用すれば、その辺りの状況はクリアになるはずです。彼らを一種の『被災者』としてみなすならば、自治体の判断で彼らが何者であるかという認定を下すことなく、衣食住の提供ができる」
「……随分と法律にお詳しいですね。確か、山下君とは旧知とは聞いていましたが。元、財務省の方でしたか」
「そこまで聞いていたのですか」
はは、と片桐が笑う。
「さらっとしかあなたのことは聞いていませんがね。ただ、信用できる人物であるとは言っていました。山下君のことです、変な人物を紹介はしないとは思っていました」
『ならば、私たちにご協力いただけると』
身を乗り出すノアに、片桐が首を小さく横に振った。
「すぐには無理です。我々はただの行政機関に過ぎない。このレベルの話だと、私の一存では決められないのです。議会承認と市長の決裁が要る。そして、それにはそれなりの時間がかかるのです」
『それなりの時間、とは』
「それは分かりません。できるだけ早く手続きを済ませるようにはいたしますが」
ノアの顔が、露骨に落胆したのが分かった。この国の行政は、あまりに動きが鈍い。それは分かっていたが、こう改めて目の当たりにするといらだちが湧いてくる。
『あたしたちが餓え死んでもいいと??』
「そうは言っていません。ただ、C市としてできることに限界はあるのです」
『限界、ですって……!』
立ち上がろうとするノアを俺は制した。愚鈍ではないが杓子定規な役人との交渉には、俺の方がずっと慣れている。
「既に国には話をし始めています。そのうち、こちらにも話が降りてくるでしょう。ある程度の行為は、緊急避難として認められるように手配する心づもりです」
「国?」
「財務省時代のコネを使いました。そちらにご迷惑をおかけするつもりはありません」
片桐が考え込んでいる。そう、この手のタイプには「より上位の意思決定者がこちら側にいること」を認識させた上で、「そちらの失点にはつながらない」ことを伝えるのが一番いい。
大体は、これで首を渋々とではあるが縦に振る。役人が弱いのは、権威とリスクテイクなのだ。
しかし、片桐の言葉は俺の想定外のものだった。
「国にしゃしゃり出られるのは、困りますね」
俺は思わず「え?」と口にしてしまった。これまで始終笑みを絶やさなかった片桐が、真顔になっている。
「そもそも、なぜあなたはこの件を公表しようとしないのですか?手順としては、まずそちらのはずです。それを受けてからなら、こちらも幾分は動きやすかった。
しかし、山越しに国にアクセスを取られるのは困るのですよ。こちらができる余地がなくなってしまう」
「……異世界が存在しているという事実は、世界的なニュースになります。仮にそうなれば、ノアたちの、イルシアの平穏はなくなる。
C市だってそうです。野次馬が来るならまだいい。どこぞの国の工作員が、イルシア目当てにC市に潜入しようとするかもしれない。それをあなたはよしとするのですか?」
片桐が「あなたは分かってない」と首を振った。
「C市の人口がどれほどか、あなたはご存じですか」
「……8万人ほどでは?」
「あなたが子供の頃は、ですね。今は6万人と少ししかいない。市としての基準を満たす5万人割れもそう遠くはないでしょう。
高齢化も不可逆的に進行している。かつての主力産業だった林業は衰退し、セメントの生産拠点としても存在感は薄れている。場所の不便さから有力メーカーが工場を建設することもなく、観光的な魅力も乏しい。何より、コロナでそれどころじゃない。
いわば、この市は『滅びつつある』のです。緩やかに、しかし確実に。では、どうすればいいか?」
片桐は目をつぶり、黙り込んだ。部屋を包む沈黙に耐えきれず、俺は口を開いた。
「……そんなの、答えようがないです」
「そう。どうしようもなかった。しかし、これは大きな、大きなチャンスなのですよ。何もなかったC市が、日本に、いや世界に注目されうるとてつもない絶好機なのです。
死んでいた地域は活性化され、街に移住を希望する若い人も増えるでしょう。かつてファンタジーランドに期待されていた役割を、おそらくこのイルシアという国が担うことになる。それも、10倍、いや100倍以上の効果で」
片桐が、ニコリと笑う。
「だからこそ、この件のハンドリングは我々が行うべきなのです。早期の事実関係の公表を許していただけるならば、可及的速やかに、かつ全力で支援いたしましょう」
しまった、と俺は思った。片桐という男が、ただの事なかれ主義の役人でしかないと見誤っていた。
この男の行動原理の中心は、「郷土愛」にある。その点に、想像が及んでいなかった。
そうである以上、説得は簡単じゃない。そして片桐はこのわずかな時間のやりとりで、イルシアを町興しに使う発想に行き着いてしまった。それはとてつもなく危険だが、しかし「C市の将来」だけを考えるならばかなり説得力のあるロジックだ。
……俺は考えた。片桐の提案を丸のみするわけにはいかない。何より、下手にイルシアのことが明るみになれば、帝国からの刺客にこちらの場所を教えることにもなりかねない。
だが、イルシアの状況はまだ依然として深刻だ。500人の腹を満たす食料の提供を、俺だけが担うのはさすがに無理がある。
どう反駁すればいいのか。黙っているとノアが強い口調で切り出した。
『あたしたちはどうなるんですか。あたしたちは、イルシアは見世物小屋の住民じゃない』
目が怒りに燃えている。綿貫の時のように手を出しはしないかと思ったが、震える手を見て必死にノアも耐えているのだと悟った。
片桐は一瞬目を見開いた後、微笑んで言った。
「もちろんです。だからこちらからあなた方の行動には、一切干渉しない……」
『だとしても。あたしたちが望むのは、何事もない『普通の生活』。それが望みなの。騒ぎになるようなことは、ちっとも望んでいない。
もちろん、食べ物は大切よ。でも、誇りを捨ててまですがろうとは思わないわ』
ノアが立ち上がった。言葉からは敬語が消えている。
「ノア」
『トモ、帰りましょ。彼らは当てにならない』
俺は目を閉じ、少し考えた後でノアに続いた。この件については、ノアの筋が通っている。食糧調達の問題は、仕切り直しだ。
「……今日のところは、これで帰ります。それと、この話は他言無用ですので、念のため」
部屋にはあっけにとられた睦月と、険しい表情に戻った片桐だけが残された。




