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「……ご用件は」
睦月が言葉を絞り出すように言った。俺は大きく深呼吸し、気持ちを整えようとする。
「……この子のことについて、相談事があります。できるだけ、立場の上の人を呼んでくれますか」
「もう少し、具体的におっしゃっていただかないと困ります」
「……説明が、極めて難しいんだ。あまり人には聞かれたくない」
俺は他人行儀に、敬語で話すのをやめた。事の深刻度合いは、普通にしていては伝わらない。
「事件性のある話なら、こちらではなくて警察が適切かと……」
「話をそらすな。こちらは大真面目だ。警察に言えるような話じゃない、というより警察の手に負える話でもない。C市の、行政の協力が不可欠な話なんだ」
「なぜ具体的に言えないのですか」
睦月は敬語を使い続けているが、その目には明らかないらだちが見えた。俺も、睦月の立場なら同じ気分になるだろう。
ノアが状況を察したのか、俺を見た。
『話を聞かないみたいね』
「何か、魔法を使えないか。攻撃的でないやつ」
『……そういうことね、分かった』
そう言うと、ノアはおもむろに立ち上がった。……そして。
すぅっ……
彼女の身体が、50㎝ほど浮かび上がり、その場にとどまった。眼鏡の奥の睦月の目は、最初は訝しげに細められ、やがて驚きで見開かれた。
「浮いて、る……?」
ノアに「もういいぞ」と告げると、ノアはストンと着地した。周囲を見渡したが、今の異変に気付いている人物はいないようだった。そのことに俺は安堵する。
「まあ、見ての通りだ」
「見ての通りって……マジック??」
ようやく敬語が消えた。俺は小さく首を振る。
「残念ながら、タネも仕掛けもない。紛うことなき現実だ。これで、彼女がただの人間じゃないことが分かってもらえたはずだ。そして、俺が本気だということも」
睦月は絶句したまま、身じろぎもしない。昔から、想定外のことに対しては弱い奴だったな。
俺は椅子に座り直し、身を乗り出した。
「割と洒落にならないことが、今C市に起きてる。俺も財務省時代の伝手を使って色々動いているが、国を動かすのは簡単じゃない。機動的に動けるのは地方自治体であるC市だ。
上司でも何でもいい。できるだけ、睦月がアクセスできる上の立場の人間を呼んでほしい。その上で、事の次第はちゃんと説明する」
睦月は俺とノアを交互に見た後、「本当なの」とかすれる声で言った。俺は小さく頷く。
「……少々お待ちください」
向こうに去る睦月を見て、ノアが『彼女、信頼できるの』と訊いてきた。
「昔からクソが付くほど真面目な奴だったからな。何やかんやで、話は付けようとしてくるはずだ。そこは確かだ」
『随分、信頼しているのね。……付き合いは、長かったの』
「高校3年から大学3年までだから、3年強だな。就職活動を機に疎遠になったが」
『どうして別れたのよ』
随分食らいついてくるな。「それは今話すことじゃない」とか「ノアには関係のないことだ」と適当にあしらうことも考えたが、ノアの目がやけに真剣なのに気付いて辞めた。そういうのは、誠実なやり方じゃない。
「……正直分からない。ただ、俺は生きるのに他人を必要としていなかった。少なくとも、あの頃は。睦月は、多分そうじゃなかった。俺は……少なくともその時の俺は、それを理解してやれなかったんだろう」
『今はどうなの』
「どうって何が」
『他人を必要としてない、ってこと』
俺は天を仰いだ。多分、それは変わってない。一人でもこのまま生きていけると思っていたし、それは実際そうなんだろう。
ただ、「そうかもな」と口に出かかって、何かが引っかかった。……何だろう、この違和感は。
「……よく分からなくなった」
『え?』
「本当にそうなのか、自信が持てなくなったってことだ。まあ、そのうち分かると思うけどな」
ノアは『ふうん、そう』となぜか顔を背けながら言った。気分を損ねてしまったのだろうか。
「何かまずいことでも言ったか?」
『……別に。あ、ムツキって子、戻ってきたわよ』
睦月は座らず、「少し、来ていただけますか」とだけ告げた。
「……どこに?」
彼女はカウンターを出て、無言でエレベーターの方に来るよう促した。乗り込んで押したボタンは、「3」だ。
3階と言えば、市長室などがあるC市の中枢部だ。おそらくはヒラか、それに毛の生えた立場であるはずの睦月が簡単にコンタクトを取れる所だろうか。
俺は疑問に思いながら、睦月についていった。着いた先は、かなりしっかりした応接室だ。
「ここでお待ちください」
俺はノアとソファーに座った。話が進むのはいい。むしろ、C市の上の役職の人間と早めに話せるのは僥倖ですらある。
ただ、話がスムーズに進みすぎている気がする。ひょっとすると、綿貫経由で俺たちのことが既にC市上層部に伝わっているのだろうか。
2分ほどして、睦月が初老の男と現れた。白髪で、どこか気弱な印象を与える男だ。
「あなたが、町田智宏さんですか」
「え、ええ」
そう言うと、男は深々とお辞儀をして名刺を差し出した。……そこにあった名は。
「C市副市長 片桐誠一」




