4-2
『これが、領主の館……なの』
市役所に入るなり、ノアが落ち着かない様子で辺りを見回した。まだ人が多い所に行くのは慣れていないのだろう。
月曜日の市役所はそこそこにぎわっていた。このパンデミックの中にあっても、いやだからこそ、行政サービスは必要不可欠なものなのだ。
俺はまずどこに行くかを考えた。総合政策課?いや、いきなりは難しいだろう。市長にアクセスを取りたいが、それにしても順序ってものが要る。
まずは「よろず相談」……となれば1階の「市民課」だ。ここを足がかりに、なるべく早くしかるべき相手にたどり着かねばならない。話の分かる人が出てくるといいが。
順番待ちの札からすると、1時間近くは待たされるらしい。「しばらく待とう」と俺はノアとベンチに座った。
『そんなに待たないといけないの?意味分からない』
「まあ、もっと行政は効率化できるとは思うけどな。特に地方自治体は」
ノアが辺りを見回して、首をひねった。
『にしても、ここにいるのはお爺さんお婆さんばかりなのね。そんなにこの町はお年寄りばかりなの?』
「今日は平日だからというのを差し引いても、C市の住民は老人ばかりだよ。若い連中は、大体は東京……この国で一番大きな町に行く。そっちの方がずっと便利だからな」
『そんなものなのかな。なら、なんでトモはここにいるの』
「あまり騒がしい場所に住むのは好きじゃない。そう気付いたからだな。財務省を辞めたんで、通勤の必要性もなくなったことも大きいっちゃ大きいが。
ただ、俺みたいに進んでC市に住む奴は、多分ほとんどいない。大体は、東京に『行けなかった』連中だよ」
『行けなかった?』
「ああ。この国は、学問ができない人間には冷たいんだよ。あるいは、家庭の事情や金の問題で上京できないとか。まあ、食っていくだけならC市にいてもできるとは思うが」
言っていて苦い気分になってきた。朝会った、あの市村という青年もまた、「行けなかった」立場の人間なのだろうか。
学力がなくても、やる気と夢があれば東京には行ける。だが、そういうものすら持てない奴らも、少なからずいる。C市で高校までを過ごしてきた俺は、そういう連中を何人も見てきた。
少なくともC市そのものに、町としての魅力はない。未来もさほどあるとは思えない。ゆっくりと、静かに老いて、死んでいくだけの町。それがC市だ。
……ふと、睦月のことを思った。あいつは、何でここに残っているのだろう。
学歴は十分過ぎるほどあったはずだ。実際、睦月が早稲田を卒業して大手商社に入ったという話は風の噂で耳にしていた。
それだけに、財務省を辞めてこっちに戻ってから、睦月もまたC市にいるらしいと知って驚いたのは良く覚えている。上昇志向の強い彼女が、なぜ市役所に勤めているのかは、全く分からなかった。
『……トモ?』
ノアが訝しそうに見上げてくる。
睦月のことを考えても仕方ない。俺は苦笑した。
「いや、何でもない。時間があるから、少し近くのカフェで時間でも潰そうか」
*
『美味しかったわねえ。氷を削っただけで、あんなに美味しいのね。あのほろ苦い蜜もいい感じだったわ』
カフェを出ると、ノアは満面の笑みを浮かべた。コーヒーかき氷が、よほどお気に召したらしい。
コーヒーも向こうの世界にはないようで、俺の飲んでいたブレンドを口にすると思わず吐き出してしまっていた。『なんでこんな物を美味しいと思えるのか、さっぱりわかんない』だそうだ。
それでも、基本甘口のかき氷にすると食べられるらしく、しきりに「ブイエ!」と叫んでいた。周囲の好奇の目が、少々痛かったが。
それにしても、好奇心旺盛なノアと食べ物の話をするのはなかなかに楽しい。イルシアをどうするかで気分が重くなりがちだったが、多少は気分が晴れたかもしれない。
「この近くに有名なかき氷屋があるから、今度行こう。そこそこ行列はできるけど」
『いいわね!問題は待ち時間ね、この暑い中で長い間待つと、干からびちゃう』
「はは、まあそうだな。……っと急がないとそろそろ順番が来るな」
市役所に戻ると、ちょうど俺の前の順番にあたる老人が呼び出されたところだった。しばらくすると、表示板に俺の番号が映し出される。
「じゃ、行くか」
3番の受付窓口にノアと座る。その向かいにいたのは……
「今日はどのようなご用事、です、か……」
受付の女性の目が見開かれた。多分、俺もそうだっただろう。
なぜならば。
「……睦月、か??」
そこにいたのは、俺の元恋人。山下睦月だったからだ。




