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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件について  作者: 藤原湖南
幕間1「派遣社員・市村響と御柱ジュリ・オ・イルシア」
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幕間1-3


「ビバウ!ジャル・ビバウ!」


「ヒーヒャー!!」


事務所の外では、男たちの叫び声が聞こえる。ここからじゃよく見えないけど、彼らがはしゃいでいるのは疑いなかった。

水道はずっと全開で出っぱなしだ。一体今日一日でどれぐらいの水道料金がかかるのだろう。別に僕が払うわけじゃないのだけど、やけに気になった。この辺りの折衝も、町田さんが会社とやってくれるのだろうか。


たまに兵士たちが興味深そうに、窓から僕の様子を見てくる。さすがに中にまで入ってこようとはしないのだけど、まるで自分が檻の中にいる動物園のパンダのような気分になってくる。正直、あまりいい気持ちではない。

僕は気を紛らわせようと、仕事に専念しようとした。とはいっても、やることはいつもの雑用だ。仕事を押しつける正社員もいないからか、すぐに大体のメドが付いてしまった。


「……暇だなあ」


イルシアの人たちと話をしたいところではあったのだけど、それはとりあえず禁じられてしまっている。町田さんたちが帰ってくるまでは、僕はこの「檻」でじっとしていないといけないらしい。

僕は溜め息をつき、昼飯を食べることにした。普段なら近くのコンビニまで行って買ってくるか、余裕があるときは東園の「ちんたつラーメン」まで足を伸ばすのだけど、今日はそういうわけにもいかない。

正社員の誰かが買ってきたカップラーメンでも食べようかと思ったけど、水道は使われてしまっている。……さて、どうしたものかな。



『どうしたの?』



入り口の方から高い声がして、僕ははっと振り向いた。そこにいたのは、長い金髪の人物だ。



全身を覆うマントのような白い服には、複雑な文様の金と銀の刺繍がされている。目鼻立ちははっきりしていて、まるでルネサンス期の絵画から抜け出たみたいだ。

男性か女性かははっきりとしないけど、とんでもない美形であるのはすぐに分かった。さっきの魔法使いのノアさんとは、またタイプが違う。人にあらざる美しさというか、そんな感じだ。


ただ、ぽかんとしたその表情には、どこかあどけなさも感じさせた。背は僕より高いけど、年下なんだろうか。



……いや、そもそも……入ってきた気配すら全く感じなかった。何者だ、この人は。



僕は、思わず飛びのいた。


「い、いつの間に??」


『えっと、普通に入り口から入ってきたよ。ああ、『隠密魔法』使ってたから気付かないのも当然だよね。ごめん』


「隠密魔法?」


『うん。姿とかを気付かれないようにさせるんだ。ボクが出歩いていると分かったら、大変なことになるから』


ニコニコしながら、彼……彼女?はテーブル近くの椅子に座った。


「……君は何者なの?」


『ん?ボクはジュリ。君は、この世界の人、だよね?』


僕は頷いた。


「市村響。ここで派遣社員やってる」


『イチムラ……呼びにくいからヒビキでいいかな。はけん何とかはよく分からないけど、ここで働いているんだね』


「ま、まあそうだけど……」


随分馴れ馴れしい人だな。でも、そんなに不快じゃないのはこの人が美しいからなんだろうか。それだけじゃない気もするけど。


ぐぅ、とお腹が鳴った。そういえば、ご飯をどうしようか考えていたのだっけ。


『お腹すいてる?』


「ま、まあ……でも、水は使われちゃってて」


『水があればいいの?』


「そう、だけど。この電気ケトルに、このくらいまであれば十分……」


『分かった。ちょっと待って』


そう言うと、ジュリと名乗る人は両の掌を合わせた。目を閉じてしばらくするとその合間からチョロチョロと水が流れ始め、ケトルは数秒後にカップラーメンを作るだけの量の水で満たされた。


「……これも、魔法なの」


『まあ、そんなものかな。あ、ちゃんときれいな水だから安心して』


僕は電気ケトルのスイッチを入れようとしてふと気付いた。


「君もご飯、食べる?」


ジュリがきょとんとした表情を浮かべた。


『え、ボクも?』


「だってお昼時でしょ。お腹すいてないの」


『ボク、ご飯とかそんなに食べないから』


僕は首をひねった。そもそも食事の習慣がないみたいな言い方だ。

ただ、この暑い中で何も食べないのは体力的によくない。僕はカップ麺をもう一つ棚から取り出した。


「食べた方がいいよ。今年は酷く暑いし。もう少し、ケトルに水を入れてくれないかな」


『えっ……いいの?』


「遠慮しなくていいから」


ジュリが水を足したのを確認して、僕は改めて電気ケトルのスイッチを入れた。すぐにブツブツとお湯が沸き出す音がする。


『これ、何かの魔道具なの?』


「魔道具?いや、ただの電気ケトルだけど」


『でんきけとる?というか、ここ外よりずっと涼しいけど、これも何かの魔道具を使っているのかな』


「エアコンを入れてるだけだよ。この世界には、魔法なんてないんだ」


『魔法が、ない……??』


ジュリは目をぱちくりさせると、急に心底嬉しそうな、満面の笑みになった。



『やったあ!!!……本当に、ここは異世界なんだ!!』



その笑顔に、僕はつい見とれてしまった。ジュリの性別がどっちかは判断できないけど、女の子だったら……いや、もし男だとしても、惹かれてしまうような魅惑的な笑みだった。


僕はふっと我に返った。……いけない。「また」キモいと思われる。


『……ヒビキ、どうしたの』


僕が顔をそらしたのに気付いたのか、ジュリが不思議そうに訊いた。


「いや、僕が見てて気分を悪くしたらと思って……」


『気分を悪く……?どうして?』


ジュリが首をひねる。取り越し苦労だったかな。


「何でもない。そろそろ、お湯が沸くから準備するね」


カップラーメンのふたを開け、かやくとスープを取り出す。そして器に静かにお湯を注ぐ。

その作業の一つ一つを、ジュリは小さな子供が初めて手品を見たときのように、目を輝かせて見つめている。


『これで、ご飯ができるの?』


「うん、まあそう。ジュリの世界には、こういう食べ物はない?」


『全然。ヒビキは魔法使いみたいだね』


ジュリにほほ笑みながらそう言われ、僕の顔が熱くなった。


「そんなことは全然ないよ。僕らの世界では、ごく当たり前の食事」


『そうなんだ。ゴイルから少し話を聞いたけど、この世界だと誰でも、最高位の魔法を使わないとできないことができるんだねえ。すごいなあ』


「……そう、なのかな。僕からしたら、本当に魔法が使えたらと思うよ」


『何で?』


「……僕は、何もできないから」


そうだ。僕は何もできない。背も小さいし、運動神経もない。勉強は人より少しだけできたけど、それにしたって上には上が全然いる。

だから、僕はずっと「弱者」だった。小学生の時も、中学生の時も。高校に上がってからは、人と接することそのものが怖くなってしまった。



もし、魔法が使えたら。人と違う、特別な何かだったら、どんなによかっただろう。

でも、それは叶わぬ願いだ。だから僕は、静かに生きて、そのまま朽ちようと思っていたんだ。



俯く僕に、ジュリが首を振った。


『……魔法なんて、そんないいものじゃないよ』


「え」


『人を傷つけたり、苦しめたり。そんなことにばかり使われるもの。ボクも、魔法のせいでずっと王宮に閉じ込められてきた。外に出るのも、6年ぶりなんだ』


「……まさか、監禁?」


『違う違う。……ゴイルたちのやったことは、正しいと思うんだ。ボクのことを思って、王宮周辺に『結界』を張ったのは理解できるの。

でも、ボクはずっと外の世界に出たかった。結界が張られる前でも、イルシアからは一歩も外に出たことがなかったから』



ああ、だからか。僕はジュリの笑顔の理由が分かった気がした。

あれは、「自由を得たことに対する喜び」だったんだ。



時計を見ると、もう5分を過ぎていた。蓋を開けて、かやくとスープを入れなくちゃ。


「……そっか。とりあえず、ラーメンできたから食べようよ」


『そうだね。ごめん、こうやって普通に人と話すの、本当に久しぶりだったから』


寂しそうに笑うジュリを見て、僕は思った。



……ジュリは一体、何者なんだ?




『んー!!美味しかったあ。ヒビキ、料理上手なんだねえ』


ジュリが満足そうにお腹を撫でた。僕は苦笑する。


「ただのカップラーメンだよ。誰でも作れる。僕に料理なんてできっこないし」


『でも、本当に美味しかったよ。ボク、ご飯食べるの本当に久しぶりだったけど』


「……どのくらい食べてないの」


ジュリは天井を見上げながら『1、2、3……』と指折り数え始めた。


『……そうだねえ。1カ月は食べてないかな』


「1カ月!!?え、ちょっと、それで何で生きてられたの??」


『ボク、そんなに食べなくても平気だから。あと、ご飯そんな美味しくないんだよね……』


食べなくても平気といっても、限度ってモノがないか。ジュリは本当に人間なんだろうか。異世界で異種族もいるような感じだから、僕らの世界の常識は当てはまらないのかもだけど。


「……ジュリって、イルシアの王様なの?王子……いや、姫?」


指を口に当て、『んー』とジュリが思案する。


『……なんだろ。王様、とは違うのかな。みんなはボクのことを『御柱様』って言ってる』


「おんばしら?」


諏訪大社に「御柱祭」って祭りがあったけど、それとは関係あるのだろうか。いや、異世界にそんなのはないか。


『ま、いいじゃない。ここは僕たちのいた『シルム』じゃないんだし。それより、この世界のことを色々教えて……』


外が急に騒がしくなった。ジュリが『あ、まずいかも』と呟く。


「何かあったの?」


『ボクがいなくなったことがバレちゃったかも。すぐに戻らなきゃ』


そう言うと、ジュリは事務所のドアの方に向かった。


『じゃ、ヒビキ。また来るね』



振り向いて笑顔で手を振った次の瞬間、ジュリはその場から消えていた。





それが、僕と「御柱」ジュリ・オ・イルシアとの長い付き合いが始まる、最初の日だった。




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