幕間7-3
『皆さん、慌てずに乗って下さい』
僕が呼び掛けても、ざわめきは収まらない。それもそのはずだ。イルシアの大半の人にとっては、大型バスを見るのは初めてだ。そもそも、この世界の文明がこれほど高度なものであると知った人がほとんどだろう。
一応、ゴイルさんやシェイダさんが事前に説明はしていたみたいだけど、見ると聞くのとは大違いだ。こんな鉄の塊が動くということなんて、にわかには信じられないだろう。
その代表格が彼、近衛騎士団長のガラルドさんだ。
『おいヒビキ。これに乗れっていうのか』
『はい。これに乗って、温浴施設に向かってもらいます。説明はさっきした通りですが』
『いや……こっちの世界にはシムルにはない物が多いって聞いてたが、こんなのがマジで動くのかよ』
コホン、と咳払いが聞こえた。シーステイアさんだ。
『団長、外の世界を見てきた私が言うのですから間違いありません。そこまで怯えずともいいかと』
『なっ……!?お、怯えてなんてねえよ!の、乗ればいいんだろ??』
そう言うと半ば自棄気味に彼は3号車に乗った。シーステイアさんは『はあ』と息をついてその後に続く。
『大丈夫かな……トラブルがなきゃいいけど』
『ヒビキが心配することはないよ。皆常識は弁えてるさ。そこはボクが保証する』
『……そうだね』
ジュリがポンと僕の肩を叩いた。僕もちょっとナーバスになっているのかもしれない。
マスコミとの取材なんてもちろん受けたことがない。人前で話すことは「イルシアチャンネル」で少し慣れたけど、それとこれとは多分別だ。
射手矢さんという人は町田さんの同級生であるらしい。悪い人ではないらしいけど、「少し強引なところがあるからそこは注意してくれ」とさっきLINEが来ていた。ジュリも同席しているとはいえ、大丈夫だろうか。
ジュリはというと、どこか上機嫌だ。彼女にとっても久しぶりの外出だから、テンションは上がって当然か。
『ところでヒビキ、ボクらの行く所ってどこか聞いてる?』
『1号車は『清流の湯』だったかな。僕は行ったことがないけど、母さんはちょくちょく行ってるみたい。天然温泉で、サウナとか色々充実してるって聞いてる』
ジュリの目が輝いた。
『温泉かぁ。パルミアスにはあるって聞いたけど、どんなのなんだろね。あとサウナって何?』
『高温の水蒸気で満たされた部屋に入って温まるってヤツだよ。最近ブームらしいね』
『へぇ、楽しみだなぁ。ヒビキと一緒に入れたりしないかな?』
『いや……それは無理でしょ。だってジュリは女の子だし……』
僕の脳裏に朝の情事とジュリの裸がよぎった。おっぱいはそこまで大きくなかったけど、とても敏感ですごく気持ちよさそうだったのを覚えている。さすがに同じ空間にいたらこっちの理性が危ない。
ジュリはきょとんとした様子で僕を見ている。
『え、ダメなの?』
『水着とかを着るという条件で男女混浴のところはあるけど……さすがにないと思うよ。岩盤浴なら一緒に入れるけど』
『がんばんよく?』
『あ、ごめん。さっきのサウナの一種ね。とにかく、この世界だと男女一緒にお風呂とかは公の場ではまずないんだ。いや、一応一部ではあるにはあるけど』
『ふうん。じゃあ、ボクが男の子になればいいんじゃないかな』
『……は?』
ジュリは『あれ、言ってなかったっけ』と苦笑した。
『ボクとか純粋な神族は、ある程度自由に性別を変えられるんだ。見た目や声はほぼ変わらないけど。何なら、両方というのもできるよ。
ボクは女の子の方が基本だし、母様もそうだったけど。ヒビキはかわいいから、男の子としてまぐわってみるのもいいかもね』
『……あ、いやいやいや、そ、それはちょっと……』
一瞬「それもいいかも」と思った自分に、正直焦った。ジュリが僕を女の子にしたがっていたのは、そういうことだったのか。
『と、とにかく。……一緒に裸でいたら、僕のが収まりそうもないから……それはなし。この後に大事な仕事が控えてるわけだし』
『むう、残念。ま、それはこの次の機会かな』
口を尖らせるジュリに、僕は大きく溜め息を付いた。彼女にプレッシャーはないのかな。その肝の据わりっぷりの半分でもいいから僕に分けて欲しい。
とはいえ、話していると少し気が紛れた。意外と、ジュリは分かっていてこの話を振ったのかもしれないな。
*
「……ふう」
露天風呂に入るなんて何年ぶりだろう。家族旅行自体ほとんどしていなかったから、子供の時以来かもしれない。
少し赤みがかった湯には鉄分が含まれているらしく、貧血に効果があるという。血行促進効果も普通の温泉より高いとのことだ。僕はそれを顔にかけ、もう一度ふうと息をついた。
周りの人たちは初めての温泉に少しはしゃぎ気味だ。ただ露天風呂を使う人は多くはない。ジャグジー形式のお風呂やサウナの方が人気みたいだ。僕にとってはその分ゆっくりできていい。
『ヒビキ、そっちの湯加減はどう?』
向こうから声がした。ジュリも露天風呂にいるらしい。
『うん、凄くいいよ。でもあまり長湯すると、予定の時間に間に合わなくなるからそろそろ上がらなきゃ』
『そうだね。お化粧とかする時間もあるしね』
『だね。それにしても、こんな眺めのいいところがあるんだねえ』
露天風呂からは荒川の渓流が見える。「清流の湯」とはよく言ったものだ。
夕暮れの空には大きな鳥が舞っていた。確か、オオタカがこの近くに生息しているんだっけ。それにしても、随分身近にいるんだな。
……何か様子が変だ。
円を描くように旋回するオオタカは、こちらを警戒しているかのように、少しずつだけどその距離を詰めている。まるで、こちらを監視しているかのようだ。
『……ヒビキ』
ジュリも何か気付いたようだ。
『あのタカだよね。何かおかしい』
『うん。微かに魔力を感じる』
『……魔力?』
『普通のタカじゃないよ。ここから早く出た方がいい』
僕は頷いて立ち上がった。タカは一度こちらに近づく素振りを見せた後、諦めたかのように去っていく。
『あれって一体……』
『分からない。魔法で誰かが使役しているのかもしれないけど……』
強い胸騒ぎがした。使役しているとしたら、それはイルシアの人間じゃない。ペルジュードの残党?いや、それなら町田さんが把握しているはずだ。
残る可能性、それは……王という男か、彼が連れてきたという紅という少女だ。だとしたら……
僕は慌てて更衣室に向かった。もう、岩盤浴をジュリと楽しんでいる暇なんて、ない。




