幕間7-2
「ちょっと見ないうちに、何か顔つきが変わったな」
綿貫さんの言葉に篠塚さんも同意する。
「あー、分かる。覚悟が決まったというのかな?ちょっと男の顔になったかも」
隣のジュリはニコニコと上機嫌だ。日本語が通じないゴイルさんは怪訝そうな顔をしている。
『何かあったのか』
『あ、いや、何にも』
『……そうか』
この場にシェイダさんがいないことに僕は少しほっとしていた。感情を読み取れる彼女なら今朝の情事にすぐ気付いていてもおかしくはない。
綿貫さんが一枚の紙を手渡した。彼らは、明日の大前総理との会談の前準備に来たのだった。
「とりあえず明日の予定だ。正午に大前総理がこっちに来る。会談の冒頭部分だけメディアを入れて撮影させる予定だ。
会談自体は僕と町田で振り付けをしておく。日本とイルシアの友好関係の確認、それとシムルの状況についての簡単な説明をしてくれればそれで構わない。
むしろ大事なのは今日だ。君の素性は割れているし、なぜ君がイルシアの代表のような立場にいるのか訝しむ声は段々と増えてる。事情を知ってる僕や浅尾の親父はともかく、民自党内にもそういう声が多くなっている」
篠塚さんが「そこで私の出番ってわけ」と身を乗り出した。
「ひょっとしたらもう聞いてるかもしれないけど、『イルシアチャンネル』を使って君とジュリちゃんの自己紹介を改めてしてもらう。
ただ、一方的にこちらの主張を流しても、どこまで信用されるかは分からないわ。そこで、インタビュー形式でやってもらうわ」
「インタビュー、ですか」
「そ。マッチーの大学の同級生に、東日新聞の記者がいるわ。彼に協力してもらう。連絡はもう行ってるから、夕方ぐらいに撮影を始めるつもり」
「夕方……ちょっと時間がありますね」
「マスコミである彼はここには自由に入れないわ。私みたいに政府関係者として潜り込むのも難しい。だから、撮影はここの外でやる」
「でも、僕らの移動は自由にできないんじゃ」
綿貫さんが小さく頷いた。
「基本その通りだ。ただ、日本政府の厳重な監視があれば話は別だ。
あと、イルシア内部でも移動の自由がないことに不満を漏らしている向きが相当あると聞いてる。というわけで何回かに分けて、リフレッシュ目的での制限付き外出を認めることになった。これは町田の提案だな」
「制限付き外出?」
「ああ。C市とH市にある日帰り温浴施設3ヶ所を政府で貸し切った。単なるリフレッシュだけじゃなく、日本の文化を知ってもらうという意味でもいいだろうという判断だな。
あと、衛生面の問題もある。一応水道は通っているし石鹸やシャンプーも手配しているとはいえ、水浴びだけじゃちとキツい。今は夏だからいいが、これからはそうもいかなくなる。
電気やガス、水道などのライフラインがイルシア王宮に正式に通るまでは、定期的にこういう取り組みをしていこうということで町田からは提案があった。どうだ?」
「ありがとうございます。異論はないです」
僕は安堵した。確かにお風呂どころかシャワーもここにはない。ジュリとのセックスの後処理にも難儀したぐらいだ。
着替えは一応町田さんや東園集落の人たちが手当てしてくれているけど、イルシアでの生活が衛生的かと言われると確かに疑問ではあった。明日の会談の前に身を清めるというのは、マナーの面でも筋が通っている。
「了解だ。16時頃にスモークを貼ったバスを3台こちらに向かわせる。行き先は全部別々、マスコミが尾行しにくいように的を散らせるのが目的だな。1回あたりで150人移動できるから、3回1クールという形だ。
君とジュリちゃんは最初のバスに乗ってくれればいい。その行き着いた先に、射手矢という記者が事前に入っている。さすがに風呂までついて来ることはないから安心して欲しい」
話を聞いていたジュリが手を挙げた。
「すみません。シムル語を使える人って町田さんの他に誰かいるんですか?」
「1号車は君たちがいるから問題ないな。2号車と3号車には、ノアちゃんの協力を得て『念話』とやらが通じる政府職員を2、3人配置しておいた。
シェイダ嬢とそこのゴイル氏が別々に乗れば、一応の混乱は防げると判断している」
「了解です。それなら大丈夫そうですね。……問題は、警備体制ですけど」
「そこも抜かりない。さすがに帝国とやらも、そんなに急には襲ってこないだろうさ。まあ、中国の問題はあるが」
「チュウゴク?」
一瞬、綿貫さんの動きが止まった。少しの間逡巡した後、「仕方ねえな」と彼が切り出す。
「……多分町田から聞いてると思うが、一昨日ここに侵入しようとした奴がいる。中国という大国の人間だ。ここまではいいな。
問題はここからだ。その中国には、シムル人がいる。ノアちゃん曰く、ゾルマという国の人間の可能性が高いって話だ。……そして、多分そいつは日本に来てる」
「……は?」
思わず間抜けな声を出してしまった。ジュリも表情が抜け落ちている。ジュリから綿貫さんの言葉を通訳されたゴイルさんは『馬鹿な……』と絶句した。
「それは、確かなんですか」
「まず間違いない。イルシア王宮に侵入しようとしたのは、王という中国の二等書記官だ。シムル語を理解していたことから、さっきの事実が分かった。明確な裏は取れていないがほぼ確定的だ。
今、こっちでも詳細は探っている。何をしようとしているのかはさっぱり分からないが、最大限の警戒はしている」
「……帝国との関係は」
「今のところ不明だ。ただ、ペルジュードの連中とは繋がりがないらしい。生き残りのヴェスタに話を聞いたが、全く初耳だって言ってたな」
「ジュリ、ゴイルさん、心当たりはありますか」
二人とも首を横に振る。まあ、そりゃそうだ。
「……ということは、この世界にいてもイルシアへの脅威はまだ残っているというわけですね」
「そういうことだな。今日町田にはシムルに送り込む調査隊の人選をやってもらうが、ある程度こっちに戦力を残しておかないといけない。
とりあえず柳田のおっさんは協力してくれるって話だ。ただ、向こうの狙いが分からないのが難点だな」
「……日本に来たという人物って」
「『紅果林』という14歳の少女らしい。成田空港に着いた時の映像はあるが、粗くて正直特徴はほぼ分からん。身長140cmそこそこしかない小柄な少女で、帽子をすっぽり被っていたことぐらいだ」
ジュリが「まさか……」と口を開いた。
「何か気付いたことがあるの?」
「年齢はカミユ……ゾルマにいる神族と同じぐらいだと思う。でも、単独でシムルからこっちの世界に来る意味が分からない。かなり気をつけたほうがいいとは思うけど……」
綿貫さんが頷いた。
「そうだな。だからこちらも最大限警戒する。とりあえず、心には留めておいてくれ」
*
それから数時間後。僕らは思いもしないその人物の正体を知ることになる。




