19-7
「中国にもシムルの人間が、ねえ」
赤坂料亭「雲流亭」の名物であるらしい筍の酢漬けを口にし、綿貫が眉をひそめた。
「そりゃ間違いないんだろうな」
「確定だ。シムル語を話していたし、さっき話した推測は相当確度の高いものと考えて間違いない」
俺も八寸を口にする。ノアは『少し味が薄いけど、ちゃんと美味しいわね』と呟き、綿貫を見た。
「ニホンとしてはどうするつもりですカ」
「難しいな。そもそも中国政府と王って奴の関係も分からない。王が特殊な立場にあるのは分かるが、身元もちゃんと分からない。まずは情報収集だな」
「アメリカという国に協力を仰ぐのは難しいのですカ」
「それだな……オヤジ、どう思います」
浅尾副総理が日本酒を口にし唸った。
「この件を伝えれば、アメリカは間違いなく前のめりになるだろうな。多分米中間の緊張は高まるだろうし、日本ができることも減る。
そりゃアメリカの協力を得たほうが色々都合がいい面もあるがな。現状はデメリットが大きい」
「ですね。とすると、隠密裏にやるしかないってことですか」
「そうだな。調査隊の人選も含めて、急ぐ必要がある」
「とりあえず、候補としてはこんなものですかね」
綿貫がバッグからファイルを取り出した。履歴書のような感じの紙が数十枚まとめられている。
「僕と美樹とで作った。町田とノアちゃんからのヒアリングベースのものだから、もし漏れや間違いがあるなら伝えてくれ」
手渡された紙をパラパラとめくる。イルシアの人間に関するプロフィールが中心のようだ。ラヴァリについての報告書もある。
後半は自衛隊や警察から送り込む候補者のリストか。こちらは専門ではないのでよく分からないが、第1空挺団やらSATやら俺でも聞き覚えのあるエリート部隊の名前がチラチラ目に入った。
「……よくまとまってるな。財務省時代から処理能力は大したものだと思ってたが」
「お前に言われても褒められた気がしないな。それに、これは美樹の仕事がほとんどだ。あんなことがあったのに、すぐに動いてくれて本当に感謝しているよ」
内容にはほぼ間違いはない。プロフィール右上に「A」とか「B」とか書かれているが、これは現時点での評価か。俺とノアには案の定「A」と付いている。
「やはり俺とノアは頭数に入っているわけか」
「そりゃな。ただ、お前が言いたいことも分かる。こっちの厄介事をどうするか、ってことだろ」
「状況が変わったからな。中国、というか王がどう出てくるか分からん。昨日の夜にもしあいつを撃退していなかったら、イルシアに何が起きたかも不明だしな」
「お前はどうしたい」
綿貫が箸を置き、真っ直ぐに俺を見た。そう、それはその通りだ。結局は、俺の意思次第だ。
「……迷っちゃいる。ただ、問題の根底はシムルにある。そこが解消されない限り、こっちでどんなに頑張っても根本的な解決にはならない」
「その通りだな。王は俺たちに任せろ。ということは、あと7人ぐらいか。半分はシムル関係者、もう半分はこっちの人間ぐらいがバランスとして良さそうだが」
「シムルの人間としては、戦闘力だけならガラルドが高いらしい。ラヴァリもできれば連れていきたいところだ。戦闘があった場合の回復要員としては心強いからな。あと、彼が持ってきた『魔剣』も持ち出せないか」
「そうしたいとこだが……オヤジ、どう思います」
浅尾副総理は「警察庁への説得は俺がやるさ」と頷いた。精巧な偽物があればなおいいらしい。「グレイスワンダー」を手元に残したように、ジュリがまたあの「コピー」を作れればいいのだが。
『アムルはどうする?戦闘力だけなら今の手持ちじゃ最強だろうけど』
「大熊がセットでないとダメだろうから、個人的には厳しいな。大熊を危険に晒すことは、彼女がうんと言わないだろ。一回、目の前で死なれてるわけだし』
『……それは確かに。あとはシーステイアとかかな。さすがにジュリやヒビキはこちらに残ってもらわないといけないし。アレン……は色々問題ありそうね。何よりまだ子供だし』
「だな。あとは自衛隊関係者か」
そう言うと、浅尾副総理が軽く手を挙げた。
「一人、推薦したい人間がいる」
「誰ですか?」
パン、と浅尾副総理が手を叩いた。襖が開かれると、そこには長身の、陰鬱そうな顔の男がいた。
「……柳田官房副長官……!?」
俺とノア、綿貫は突然のことに言葉も出ない。
柳田は「もう官房副長官ではありませんよ」と苦笑した。浅尾副総理がにやりと笑う。
「柳田はシムル語を話せるし、どうも聞いたところによると初歩的な魔法も使えるらしい。そんなことはおくびにも出しちゃいなかったが。向こうで足手まといになることはねえだろ」
「確かに……しかし、どうしてまた」
「俺と柳田の意思が一致した結果だな。なあ、柳田」
小さく頷くと、彼は浅尾副総理の隣に座る。副総理が話を続けた。
「さすがにペルジュードの一件の責任を取って公職からは降りてもらったが、正直向こうがあんなに好戦的に来るとは思ってなかったからな。多少の同情の余地はある。
町田とノアだけじゃ交渉役も辛いだろ。何より、年配者が一人いたほうが舐められずに済む」
「確かに。……メリアさんの具合は」
柳田は小さく笑った。
「意識は戻りました。もっとも、全快はしないようですが」
「それはどういう」
「そこから先は、メリア自身が話したいと。多分、あなたたちの方がよりちゃんと理解できるでしょう。
彼女の命は、どちらにせよそこまで永くはない。残り数年の余生を穏やかに生きられるよう、私はできるだけのことをするつもりです」
完治しなかったのはそこまで驚きはないが、余命が数年というのはどういうことだろう。やや引っかかるが、そこを追求するのは後だ。
「それで、調査隊に」
「ええ。私には魔法の才能がほぼなかったようですが、それでもわずかには使える。それを使う機会は、今までほぼありませんでしたが。多少はお役に立てるはずです」
「ノア、どう思う」
ノアは少し考えた後、『いいんじゃないかしら』と同意した。
『ヤナギダはアルフィード卿との付き合いもあるし、帝国の事情も多少は知っている。こちらとしても、彼がいてくれたほうが助かるわ。
となると、アレンはどうするの?彼も一緒に連れて行くのかしら』
「亜蓮はメリアの側にいさせます。というより、C市に移住させようかと」
『……移住?』
「ええ。王という男の話は聞きました。中国はもちろん、今後どういう勢力がイルシアにちょっかいをかけるか分からない。その防衛には、亜蓮が役に立つはずです。
それと、彼自身の教育のためにもC市に移住した方がいい。集団生活というものを、彼はほとんど体験してきませんでしたから。メリアも空気の良いところのほうが身体に障らないでしょうし」
『本人は何と?』
「一応納得はしています」
ガラルドやシーステイアが抜けた穴は恐らくは大きい。亜蓮なら仮に帝国などからの襲撃があっても、十分にその穴を埋めることはできそうだ。
「ありがとうございます。とすると、これで6人、ですか」
「あとの3人は自衛隊か警察、後は自然科学系の学者だな。環境調査、及び『死病』の詳細を調べられる人間は要るだろ」
資料を読んでいた浅尾副総理が、10枚ほどの履歴書を俺に渡した。
「ざっと読んで、この辺りが最終候補だ。明日から個別に面談して決めてもらうことになる。情報を秘匿するために面談場所はこっちが指定させてもらうが、それでいいな」
「ええ」
「いちいちC市に戻るのも大変だろうから、お前らのホテルはこっちで押さえておく。落ち着かねえかもしれねえがな。
あと、大前がイルシアを訪問したがってる。視察と会談、ということだが」
「会談、ですか」
「そうだ。段取りはこっちでやっておくが、問題はイルシア側だ。誰が出て、どうするのか。その辺りの調整も頼まれちゃくれねえか」
「時期はいつ頃ですか」
「決まっちゃいないがなる早だな。情報開示しないままじゃ、またマスゴミが色々邪推するだろ」
確かにその通りだ。SNS上では色々な陰謀論が既に出始めている。イルシアが日本に受け入れられるようにするためにも、友好ムードは作っておいた方がいい。
『イルシアの代表は……やっぱりジュリよね。ヒビキもかしら』
「そうなるだろうな。ただ、市村は既に素性が割れている。『何で派遣社員が代表ヅラしているんだ』とか、『そもそもあのジュリという子とどういう関係なのか、男か女かはっきりしろ』とか、まあまあ騒ぎにもなってる。
会談前に、一度その辺りの説明をメディア経由で流しておいたほうがどうも良さそうだな」
『そうね。そこはトモに任せるわ。あのイテヤって男を使う?』
「そうだな。連絡したら、多分飛んで来るだろうな。篠塚社長にも協力してもらったほうがいいかもしれない。彼女は、この手のプロモーションではプロだ」
その時、浅尾副総理の電話が鳴った。
「俺だ。……ああ。……何??」
その怪訝そうな表情に、俺たちは不穏なものを即座に感じ取った。電話を切ると、浅尾副総理が険しい表情で切り出す。
「今、外務省から連絡があった。王だが、入国は一人じゃねえな。14歳の少女と一緒、らしい。入国自体は一昨日朝だ」
「少女?」
「ああ。一応、パスポート上の名前は『紅果林』ってことになってるが……いよいよきなくせえな」
「……どこにいるかは、分かりますか」
「それが分かりゃ苦労はねえな。ただ、シムルの人間である可能性が高そうではある。こっちも調べてみるが、俺も含め接触してこようとする人間には気を付けた方がいいな」
俺は唾を飲み込んだ。




