18-3
ガラスの壁の向こうに、ベッドに管で繋がれた男が眠っている。表情は見えない。
俺は隣りにいる綿貫を見た。奴も顔をしかめ、信じがたいと言いたげだ。
「……本当に生きているのか」
「訳が分からん。あいつは、あのジュリって子が使った魔法の対象外なんだろ?
なのに、傷がどんどん治っている。ここに運ばれた時は心肺停止状態だったのに、少なくとも心臓は動き始めた」
「まさか、意識を取り戻したりはしないだろうな」
「分からん。ただ、医者が言うには心臓が止まっていた時間はかなり長かったらしい。脳に血が回ってなかったから、恐らく脳死かそれに近い状態ではあるそうだ」
俺はもう一度、眠っているカシュガルを見た。……あれは、人間じゃないのか。
後ろに人が立つ気配がした。50ぐらいの、初老の女だ。白衣を着てしかめっ面をしている。
「あんた、こいつの関係者かい」
「東京タワー下で、この男と対峙した者です。一応、政府から面会の許可は取ってます」
「なるほどねえ。じゃあ、あたしらよりはこいつの身体について知ってるってわけだ」
「……あなたは」
「あたしは高山静。政府の要請でね、異世界の連中の身体を調べるよう言われてる」
綿貫がふうと息をついた。
「東大医学部の教授だ。専門は解剖学。オヤジが言うには、日本の第一人者らしい」
「日本じゃなくて世界の第一人者と言ってほしいねえ。さっき、あの魔女とやらの子2人の身体検査を終えたよ。まー着替えるのは嫌がるわ採血は拒否しようとするわで大変だったね。
特にあの巨乳の方は言葉があまり通じなくて面倒だったわ。小さい方は小さい方で子供扱いしたらキレるし、どうなってんだい異世界の連中は」
「一応結果はまだ、ってことでいいんですよね高山先生」
「DNAについては結果が出てくるのが少し先だね。血液関連も分析には時間がかかる。ただ、レントゲンとCTだけでもかなり興味深い結果は出た。
あのカシュガルって奴の状態についても説明するからついてきな」
そう言うと高山と名乗る女性は早足でICUを出ていく。俺たちもその後に続いた。
「カシュガルについても何か分かったんですか」
「女の子2人の状態と併せて後でゆっくり話すつもりなんだがね。とりあえず分かったのは、アレの脊髄近くに何かが人為的に埋め込まれていて、それが『第二の心臓』のように血液を巡らせているって事実だね」
……魔洸石だ。それがあったから、カシュガルは魔法を使い続けられた。そこまでは分かっていたが、そんな機能まであったとは。
「……『第二の心臓』ですか」
「まあ医学的には仰天モノね。とりあえずここに運ばれてた時は、心臓が何らかの方法で『握りつぶされ』、完全に死んでた。心肺停止で死亡認定しようと誰もが考えた。
そうしたら脈拍が戻ったので大騒ぎよ。あの子たちの検査にかかっていたあたしが急遽呼ばれるぐらいには」
エレベーターに乗りながら高山教授が肩を竦めた。綿貫は軽く首を振る。
「脳死に近い状態と聞いてなかったらマジでヤバいと思ったね。あいつの暴れっぷりは俺も見てる。地面に潜るわ手刀で腕を斬り飛ばすわ、厄介なんてもんじゃない。
おまけにお前が見るに、自爆しようとしてたんだろ?もし自爆したら、とんでもない被害になっていたってことだが……意識をもし取り戻したら、またどうなるか分かったもんじゃないな」
「あたしにはその辺りはさっぱり分からないけどね。まあ一つ言えるのは、あれは『人間じゃない』。
後で説明するけど、少なくともあの男と魔女の子たち、そしてここに運び込まれたもう一人の異世界人は、あたしたちが知る現生人類とは違った『種』ね。しかも多分全員違った『種』」
……え??
「どういうことですか、それは」
「それをこれから説明するってわけ」
高山教授が診察室の一室に入った。そこにはノアとアムルが薄い水色の検査服に身を包んで座っている。
俺の姿を見るなり、不機嫌そうだったノアの顔がぱあっと明るくなった。
『トモっ!!』
「すまない、検査してもらっていたと聞いたが……」
『そうなのよ!やれ服を着替えろとかやれ針を腕に刺すとかあり得ない指示ばっかり!『魔紋』を万一見られたらとか、考えもしないのかしら。
トモが言うことを聞いてくれって言ってなかったら、意地でも脱走するところだったわよ。ねえアムル』
アムルも心底嫌そうに同意する。
『全くですわ。得体の知れない箱に入れられてじっとしていろとか、全く理解できませんもの。
というより、オオクマ様は無事ですの?意識を取り戻されたのは分かってますけど』
「大熊は確か、ここに入院している。あの東京タワーで一度『死んだ』人間は、経過観察も兼ねてここに集められたはずだ。……その後の状況は?」
綿貫に訊くと「特に異常なしだ」と返ってきた。ただベギルが撒き散らした「死病」の感染の有無について調べる必要があるらしく、一応経過観察となっているようだ。
俺が伝えた「死病」の情報により、東京タワー一帯は最大限の警戒の下に隔離されていた。ベギルの死体はまだ全く処理することができないらしい。土壌汚染の可能性も高く、「この情報だけはマスコミに絶対に漏らせねえな」と綿貫が渋い顔になった。
「ま、とにかく諸々の後処理は僕に任せろ。やらかしたことのケツは自分で拭け、ってことらしい。
で、高山先生。検査結果の説明をお願いできれば」
「そうね。まずコレを見て頂戴」
高山教授が画像を表示した。多分、脳のCT画像だろう。
……何か変だ。前頭葉の辺りに、小さな黒い塊のようなものがある。
「……普通のと違いますね」
「察しが良いわね、あんた。これはそこの小さなお嬢さんの脳のCT。前頭葉に何らかの別の『器官』がある」
「器官?」
「そう。良性腫瘍か何かの類かと思ったけど、腫瘍にしては妙なのよね。解剖してみないと特定できないけど、コレは多分現生人類にはない別の器官であると判断した方がいいと結論づけた」
「……解剖なんてさせませんよ」
「そりゃそうよ。意思疎通ができ自我もある高度知的生命体をどうこうするつもりなんてあたしにゃないわ。
とりあえず、この未知の『器官』の位置が、その小さな子と巨乳の子では違う。あたしが『別の種』じゃないかって言ったのは、そういう理由」
ノアが不快そうに日本語で吐き捨てる。
「当たり前でス。『神族』混じりのあたしと、『イリュミス』のアムルでは、シムルでもそもそもの種が違う」
「その点が大変興味深いのよ。この世界の人類は、人種は違うけど身体構造まで大きく違うことはない。だけれども、異世界の場合どうも持っている器官からしてそれぞれ違う。
医学的には極めて興味をそそられる事例ねえ。DNA検査の結果が分かれば、さらに色々分かるかもしれないけど」
「……何が言いたいんですカ」
「ごめん、どうにもあたしの言い方は人の気に障るみたいでね。自覚はしているけどどうにも直らない。
ここまでの話は全て前フリ。今言ったことを踏まえて、この画像を見て欲しいわけ」
高山教授が画面を切り替えた。今度は複数のCT写真が映し出される。腕や胴、脚の部分と、頭部の画像だ。
「……おかしいな、これ」
綿貫の言葉に俺も頷く。骨の形状が、明らかに俺たちの知るものではない。真っ直ぐにすぎる。
よく見ると頭部のCTも妙だ。後頭部の辺りに何かしらの塊みたいなものがあるのはともかく、頭蓋骨の形状が不自然に見える。あまりに「整いすぎている」のだ。
高山教授が険しい表情になった。
「気付いたわね。これが、あのカシュガルの画像。詳しくは死後の解剖に任せるつもりだけど、内蔵系はともかく外骨格は明らかに人工物よ」
「……は?人工物って、まさかあいつがサイボーグか何かっていうんじゃないんでしょうね??」
綿貫の言葉に’高山教授が「そのまさかね」と返した。
「繰り返すけど、詳細は司法解剖してみないとなんとも言えない。
ただ、あの男はそこの2人とも明らかに違う。あの脊髄に埋め込まれている『石』の存在も加味すると……あの男は、自然に生まれた存在じゃない可能性が高いわね」




