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「これで一応のメドは付いたな」
俺は腕で汗を拭った。レンタカーの軽トラには、水と食料品がぎっしり積まれている。
H市を中心にショッピングセンターを回り、疑われないギリギリの数量の買い物をし終えた時には、時計は正午を回ろうとしていた。
『お腹すいたあ……』
「もう少し我慢してくれ。暑いだろ、ほれ」
俺はコーラのペットボトルをノアに渡す。彼女はというと、首をかしげてしげしげとコーラを見ている。
『これ、飲み物なの?黒いんだけど』
「俺が今飲んでるだろ。暑い時にはちょうどいい」
ノアが蓋を開けるとプシュっという音がした。それに驚いたのか「ピヤウッ!!?」と叫ぶと、彼女はペットボトルを落としてしまった。
『ちょっと、何これ??』
「あー、初めてだから驚いたのか。心配するな」
俺は床に落ちたペットボトルを拾い上げる。幸い、蓋は開けかけだったのかそこまでこぼれていない。
俺は吹きこぼれないよう慎重に蓋を開け、ノアに手渡した。
『ほ、本当に大丈夫なんでしょうね……』
恐る恐る口を付け、ちびっと飲む。ノアの目が見開かれた。
『あ、しゅわっとする!それに甘くて、冷たくて美味しい!』
「こういう飲み物は、やっぱり向こうにはないのか」
『うん。甘露水みたいだけど、こんなしゅわしゅわしてない。貴族じゃなくても、普通に飲めるのね』
「平民はあまり飲めない感じなのか」
『そうね……こっちの方が、ずっと自由かも。マナは少ないけど』
「まあ、自由には自由なりで大変なこともあるけどな。ただ、この国は相当恵まれてるよ。こっちの世界でも、悲惨な国は腐るほどある」
俺は軽トラの運転席に乗り、エンジンをかけた。ブロロロという重低音が響く。
『……でもイルシア、いい国だったのよ』
伏し目がちにノアが言う。
「異種族を積極的に受け入れてるみたいだな」
『……よく分かったわね』
「ゴイルもガラルドってのも、人間じゃないだろ。あと、『御柱様』。神の御遣いとか何とか聞いたが、ある種の宗教国家なのか」
『宗教……とは違うわ。だって、御柱様は神族そのものだもの』
「神族そのもの?」
うん、とノアが頷いた。
『あたしたちの世界、『シルム』は、神族によって作られたの。これは伝説なんかじゃない。実際にそうだという証拠が、幾つも残ってる。
そして、その数少ない末裔が御柱様。大本の神族『真柱』から連なる直系で、まだ若いけどイルシアを善く治めていたわ」
「まだ会ったことはないな」
『細かな政はゴイル閣下がやってるし、あまり人前に顔はお出しにならないの。6年前に、先代の御柱様がおかくれになられたことも影響しているのかもしれないわ。それに、『大転移』で相当疲弊されたようだし』
「おかくれになった……亡くなったのか。神族というから、不老不死なのかと思っていた」
『……そう。極めて寿命が長いわ。あたしやゴイル閣下よりも、本来であれば全然長生きされるはずのお方だった。それが、突然血を吐かれて亡くなられたの。あとで分かったことだけど、シルム各地の神族ほぼ全員が、同じ時期に同じようにおかくれになられた』
俺は車をコンビニの駐車場に停めた。異世界の話だが、それにしても不穏極まりない話だ。
「毒を盛られた?」
『それは真っ先に考えた。でも、イルシアの人でそんなことをする人はいない。いるわけがない。そもそも、毒なんかで死ぬようなお方でもなかった。
魔法で殺されたのかとも思ったわ。でも、それにしても意味が分からなかった。母様もお手上げだった』
「母様……ノアのお母さんも魔法使いみたいだな」
『世界一の大魔道師、ランカ・アルシエル。先代の御柱様の娘にして、神族の血を引く者よ。直系の神族はほぼ全滅だったけど、他種族の血を引く者は生き残ったの。母様も、あたしも。
……今の御柱様がなぜ生き残ったかはよく分からない。まだ小さかったからかもしれないけど』
「他に生き残っている神族は」
『『ゾルマ魔侯国』に一人。でも、今も生きているかは知らない。神族を失った『モリファス帝国』が戦争を魔侯国に仕掛けたのは、彼らを疑ったからだって言われてるわ』
「そして、今度はイルシアか」
ノアが頷いた。
『もちろん、帝国が『聖杖ウィルコニア』を狙っているのも間違いないわ。ただ、神族を失った帝国が、御柱様を奪いに来た側面もあると思う。ウィルコニアの発動には、御柱様が不可欠だもの。
何にせよ、戦いを仕掛けられるような落ち度は、あたしたちにはないわ』
「戻ったら、その話も解決しなければいけないわけか」
『そう。だからあたしたちは協力者を必要としているの。戻った後、『帝国』を打ち破り、シルムの平和を取り戻すためにも』
なるほど。ノアたちを送り返せる状態になってからのことも考えないといけないわけか。
ただ、この世界の軍事力は彼女たちのそれとはおそらく全く比較にならない。剣と魔法の世界の住民が、どうやって銃火器に対抗できるというのだろう。こちらからの一方的な侵略になりはしないだろうか。
そもそも、この世界は「フロンティア」を渇望している。増え続ける世界人口、より乏しくなる天然資源。宇宙にそれを求めるには、余りに技術が足りない。もし「異世界」なるものが存在していると知られれば、間違いなく世界各国がシルムを目指すだろう。
もちろん、それは日本も例外じゃない。
それこそが、俺が綿貫に電話するのを躊躇した理由の1つだ。あいつは、間違いなくそういった方向に頭を巡らせる。
俺は頭を振った。その辺りのことを考えるのは、まだ先だ。今は騒ぎなく、彼女たちの身の安全を確保するにはどうしたらいいかを考えないといけない。
『……どうしたの』
「いや、何でもない。腹が減っただろ、サクッとパンでも買って帰ろう。待ち合わせの時間も近いしな」
*
王宮での荷下ろしを済ませ、軽トラを返し終わると15時手前になっていた。
アクアをカーポートに入れようとすると、黒いレクサスLSが家の前に停まっているのが見えた。……早いな。
アクアを降りると、レクサスの後部ドアが開いた。大柄で眼鏡の男が出てくる。髪形はオールバック。大仰に両手を挙げ、にこやかに近づいてきた。
「よう町田。面と向かって会うのも、随分久しぶりだな」
この男が民自党議員、綿貫恭平だ。




