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「どういうことだ?」
綿貫が大きな溜め息をついたのが分かった。そこそこ長い付き合いだが、こんなに焦燥している奴は初めてだ。
「朝から、姿を消した。今日は明日に向けての段取りとか、色々予定が詰まっているのは分かっていたはずだ。どういうことだか、僕にもさっぱり……」
「電話とかにも出ないわけだな」
「当たり前だ!……警察にも連絡した、今行方を探してもらっている。とりあえず、一度切るぞ」
このタイミングで失踪?確かにかなり変だ。綿貫の秘書とは数回しか会っていないが、地味で大人しい印象はあるものの仕事はしっかりこなす女性だと思っていた。理由なく消えるタイプではない。
綿貫が彼女に秘書以上の感情を抱いているのは知っている。血を分けた肉親だというのもあるのだろう。奴がパニックになるのは当然といえば当然だ。
だが、調整能力に優れた綿貫の不在は、正直痛い。秘書の失踪を岩倉警視監に告げると、彼も「参りましたね……」と頭を抱えた。
「ひとまず、一旦は綿貫先生抜きで進めるしかありませんね。柳田先生にもそのように伝えます」
「すみません、恐縮です」
妙な胸騒ぎがする。本来、俺は「日本政府特使」という立場で交渉する予定だった。その手続きは綿貫がやることになっている。
その綿貫がいないと、俺が交渉に臨む大義名分が消えかねない。浅尾副総理経由でやることになるのかもしれないが、間に合うのか。
……というより、なぜ綿貫の秘書、郷原は姿を消した?今日と明日、綿貫にとって政治家人生を左右しかねない大仕事があることは分かっていたはずだ。極めて私的な諍いで、綿貫の元を出ていったのか?……にしては、奴の焦燥が激しい。
それに、綿貫は皮肉屋で癖はあるが、そこまで攻撃的な振る舞いはしない男だ。郷原の控えめそうな性格も考えると、彼女がキレて出ていった可能性はかなり低いように思えた。
『トモ、これは何かあるわよ』
ノアの言葉に俺は同意した。可能性が高いのは、第三者の介入。それも、ペルジュードとの交渉を破綻させようとする人物の介入だ。
だが、それが誰かは見当が付かない。柳田も浅尾も、交渉自体を穏当にまとめて欲しいという考えではこちらと一致している。姿を消したアルフィード卿もそうだ。
あと考えられるのは阪上の残党だが、阪上が死のうとしている今、会談を邪魔して得られる利益はないはずだ。そうなると、誰が一体……
「……一度、綿貫に会ってみる必要があるかもな」
『そうね。彼がいないと、色々面倒なんでしょ?』
「……そうだな」
もやもやが更に広がっていく。何かがおかしい。
*
俺は事情を話して、一度警視庁を出ることにした。アクアに乗り込み、一路綿貫の事務所があるK市に向かう。
『俺も連れて行くんか。もう俺の素性バレたんに、お前らもお人好しやなあ』
呆れたように後部座席のラヴァリが言う。助手席のノアが振り向いた。
『今のあんたはさほど脅威でもないからね。イルシアの牢獄に閉じ込めてもいいけど、あそこは臭いしじめじめしててキツいわよ』
『補足するなら、お前は味方でもなきゃ敵でもないってことだ。ペルジュード、ひいては帝国に忠誠を誓っているわけじゃない。本当の上司は、あくまで『ジェラード』だ。
というか、カシュガルに気付かれずどうやって『ジェラード』は指示を出しているんだ?お前と『リナルド』は意識や記憶を共有しているようだったが』
ラヴァリが『あー』と間を置いた。
『カシュガルのおっさんと『ジェラード』は、そこまで適合しているわけやないんや。カシュガルのおっさんの意識が薄くなる深夜と早朝だけ、『ジェラード』が身体を支配できるようになる。その短い時間で、俺に指示出しとったってわけや』
『お前以外に『ジェラード』の存在を知っているのは?』
『どうやろな……魔剣の中にいる奴と意思疎通し、記憶まで共有できてたのはペルジュードでは俺だけやないか。とりあえずプレシアはないと思う。ヴェスタはあり得るかもしれんけどな。
確実に言えるのは、もしカシュガルのおっさんが『ジェラード』の真意を知ったら抵抗するやろなってことや。あの『二人』のウマが合うとは、未だに思えんしな』
『エオラっていう副隊長は』
『……よう分からんのや。女狐という渾名があるぐらいで、肚が読めん。カシュガルのおっさんとは男女の仲というのは有名やけど、色んな男と寝てるって話はあるしな。俺も一度誘われたことあるわ……あ、しとらんからな!?』
勝手に焦っているラヴァリを尻目に、俺はハンドルを切りながら頭を巡らせた。なるほど、状況は複雑だな。
ペルジュードの中にも、「ジェラード」の命令を受けて動いている者がいればそうでないのもいる。少なくとも、ラヴァリが粛清を恐れている理由は何となく察した。カシュガルにとって、「ジェラード」の支配下にあるラヴァリは不穏因子なのだ。
そして、カシュガルと「ジェラード」はその意図は別にあるものの、渋々行動を共にしているようだ。あるいは、一度持ち主と認定されると、簡単には手放せないのかもしれない。
問題は、ペルジュードのうち誰が話の通じる人物で、誰がそうでないのか、だ。あるいは、「魔剣」の中でも派閥のようなものがあるのかどうか。
ラヴァリに聞いたところ、『『クリムディア』とかのその他の魔剣の『真名』は知らない』、らしい。そこまで「適合」とやらはしていない、ということなのだろうか。ともあれ、判断には材料がまだ不足している。
パーキングエリアに着くと、岩倉警視監からのメールが入っていた。ペルジュードの面々は予定通り青森に現れ、特に騒動を起こすこともなくバスで東京へと移動し始めた、とのことだ。
ご丁寧にその際の画像まで添付している。「念のため、ラヴァリ君にも誰が来たのか確認するために見せて下さい」とのことだ。
『一応、誰がどれだか説明してくれないか』
『あー、この白髪交じりで口髭の男がカシュガルや。んで、その後ろの金髪がヴェスタやな』
口にメロンパンを咥えながら、ラヴァリがスマホの画面を指差した。カシュガルは目が細く、どこか剣呑な雰囲気を漂わせている。ヴェスタは逆に小柄で、快活な印象の男だ。『ホビットの血が混じっているらしいで』とラヴァリが付け足した。
『んで、この子が……プレシアや。後ろの男は見覚えがないから、こいつがベギルという奴かな』
プレシアを見るなり、ラヴァリが少し悲しそうな顔をした。見たところ10代後半、短めの茶色の髪で沈んだ表情を浮かべている。ベギルは相当大柄な男で、肌の色が灰色に見える。そういう種族なのだろうか。
最後の写真を見るなり、ラヴァリが訝しげな表情になった。
『で、この女がエオラ……エオラかこれ!?』
そこにいたのは、長く赤みがかった髪の妖艶な女性だ。豊かな胸を強調するかのように胸元が見える服を着ている。少し厚めの唇が、その艶めかしさに彩りを咥えていた。
『別人なのか?』
『……顔の作りはほぼエオラや。ただ、明らかに違う所があるんや。……ここや』
ラヴァリが指差したのは、右目の泣き黒子だ。
『これがどうかしたのか?』
『エオラの黒子があるのは左目や。右目やない』
『……え?』
ラヴァリはメロンパンを飲み込み、もう一度画像を確認し頷いた。
『間違いないわ。こいつは別人……あるいは魔法によって作り出された、分身や。
本体は、ここにはおらん。シムルに残ったか、さもなきゃ……先にこっちに来とったか、や』




