幕間5-4
「……僕からの報告は以上です」
一通り話し終えると、沈黙が部屋を包んだ。ジュリは『うーん』と天井を仰ぎ、町田さんは目をつぶり何か考えている。ノアさんはふうと溜め息をつき、ゴイルさんは額に皺を寄せていた。
口火を切ったのはシェイダさんだ。
『……とりあえず、何から話すか決めない?どれも関係しあってる話だけど、このまま黙って悩んでても埒が明かない』
『それもそうだな。まずは、ペルジュード対策。これが喫緊の課題だ』
ゴイルさんの言葉に、町田さんが頷いた。
「アルフィード卿の要求は、先程話した通りです。隊長のカシュガル・マルディグを殺害するか、この世界にとどめておくこと。
その上でペルジュードとの戦闘は避け、極力平和裏に明後日を乗り切らないといけない。極めて困難なミッション……事案です」
『さっきの口ぶりだと、妙案があるようなことだったが』
「一応。『魔剣』の存在を抜きにすれば、カシュガル……ないしはペルジュード全員を殺害することは可能です。しかも、ほぼ悟られることなく」
「殺害」の二文字が町田さんの口から出たことに僕は驚いた。人を傷つけるような策を弄しない人だと思っていたからだ。
実際、町田さんは苦渋の表情を浮かべている。
『自分で言っておきながら、乗り気じゃないみたいじゃない。見込みが薄い策なの?』
シェイダさんが言うと、町田さんが首を横に振る。
「いや、多分可能性はそこそこ高い。一種の毒殺だからだ。『ソルマリエ』が何でできているのか、俺には推測がついた。あれに近いものなら、比較的簡単に入手できる」
『……は?』
「魚介由来のグルタミン酸などの旨味成分に塩分。
晩飯をノアと食べている時に分かった。この国のラーメンという食べ物のスープに多く含まれている成分だ。
ラーメンそのものを出しただけでは多分難しいだろう。だが、それらの旨味成分と塩分を凝縮したようなスープ『佛跳牆』というものがある。それを交渉前の会食で出せばいい。
『ソルマリエ』は神族用の薬で、それ以外のシムル人にはかなりの毒なんだろう?ノアには神族の血が混じっているからいいが、それでも少ししか飲めなかった。そうだな、ノア」
ノアさんがコクンと頷く。
『一応、理屈の上ではトモの考えは成立するわ。私たちにとって薬でも、一般人にとっては猛毒。その通りよ。
あのラーメン程度の濃度でも、ラヴァリが飲んだらそれなりのダメージにはなる。同じものを飲んでいるはずなのに自分たちだけ苦しむ、そういう意味ではとても都合のいい『毒薬』と言えるわ』
『そうだ。ただ、これには大きな問題が幾つかある。
まず、人殺しなんて俺はしたくない。これが最短距離の策なのは分かっている。ただ、これは本当に代案がない場合の、最終手段だ。
むしろ戦闘に持ち込まれた際の手段だと思った方がいい。水鉄砲のように使うだけでも、それなりの効力は見込めそうだからな。
第二に、カシュガルに神族の血が流れている可能性を俺は否定できない。万一そうであるとすれば、これはむしろ逆効果になり得る。
そして……市村君の話を聞いていて生じた第三の懸念が『魔剣』だ。カシュガルを殺したとしても、そっちこそが本当の問題だとしたら……かなり厄介なことになる」
『そう、トモの言う通り。だからこの案は中心には据えられない。戦闘になった際の予備と考えるべきね。あるいは、あたしの戦力を高めるための手段。トモは『どーぴんぐ』って言ってたけど。
ただ、戦闘になった時点でイルシアはかなり危機的な状況に陥るわ。アサオはここを制圧する口実を欲しがっている。そしてあたしたちじゃ、この国の武力に対抗しきれない。
だから、もっと別の考えが要るわ。『魔剣』の話を聞いて、それは確信に変わった』
ノアさんの視線が僕に向いた。
『で、ヒビキ。グレイスワンダーの中に誰かいるって、本当なの?』
『間違いないです。そいつは『ブランド』って名乗ってました。ジュリ、この名前に聞き覚えは?』
ブンブンと首を振ってジュリが否定した。
『知らないよ。というか、そんなの初めて聞いた。そういうのはゴイルさんの方が知ってるんじゃない?』
『『魔剣』は持ち主に大きな力を与えるが、その心を狂わせる。故に『魔が宿った剣』とは言われていた。ランカもそのようなことは言っていたように思う。
だが、本当に魔が宿っているというのは初めて聞いた。しかも、シムルの真の支配者とは……』
『母様はそれが何か知ってたと思う。本当なら『継承の儀』で母様の知識は全部受け継ぐはずだったんだけど……。
ヒビキ、向こうの部屋に置いてあるグレイスワンダー。持ってきてくれないかな』
グレイスワンダーは奥の部屋――僕が一時的に女の子に変えられた部屋に置いている。「ブランド」は存外にお喋りで、始終脳内がうるさいのだ。それが我慢出来ないので、こうやって距離を離している。
距離を離すか、トランクのように隔絶した場所に置いておけば「ブランド」の言葉は聞こえなくなるようだった。
『でも、あいつの言葉は僕にしか聞こえないけど』
『んー……ちょっと待ってね』
ジュリは千里眼の水晶の前に行き、何か弄り始めた。両手がポウと光ると、『これでよし』と満足げに呟く。
『今、ヒビキに念通が使われた場合、それを音声化して全員に流すようにしたよ。これで『ブランド』とボクらが会話できる』
本当にジュリは何でもありだ。というか、前々から思っていたけど彼女は魔法使いというよりエンジニアか何かのようなことをする。
もちろん魔法は使っているのだけど、どういう仕組みで千里眼を操っているのだろう。
とにかく、「ブランド」には聞きたいことが山ほどある。それはこの場にいる全員がそのはずだ。
僕はグレイスワンダーが収められた金属製の箱を開く。途端に「ブランド」が喋り始めた。
『俺を遠ざけたかと思ったら、ジル・オ・イルシアの娘とその臣下とのご対面か。だが俺はお前にしか話さんぞ。神族の連中に協力はしな……』
『ごめん。その言葉はここにいる全員に聞こえてる』
『……なっ!!?』
「ブランド」が絶句した。さすがにこの状況は想定していなかったらしい。
『質問したいことは皆山ほどあるんだ。ペルジュードの奴らと彼らが持っている『魔剣』に好き放題されたくないのはお前も同じだろ?『利害関係は一致している』、そうじゃないか?』
『……お前に伝えればそれで十分だろう』
『そうもいかないんだ。僕は当日、ここを離れられない。それに、実際に交渉に赴くのはそこの町田さんとノアさんだ。彼らにも協力してやって欲しい』
『……そのガキも神族の一族か』
ノアさんの血相が変わる。
『ガキって子供扱いしないでくれる?そりゃあんたよりは遥かに年下だけど、立派な成人よ。あまり舐めたこと言っていると圧し折るわよ』
『やれるならやってみ……』
ノアさんがロッドを取り出すと、その先端が黒く光った。
その魔力の「密度」の高さは僕でも分かる。あれが放出されたら、本当にグレイスワンダーは真っ二つに折れるだろう。
『冗談に見える?』
その威圧感に、「ブランド」も『前言撤回だ、許せ』とあっさり折れた。剣単体では何もできないというのもあるけど、「ブランド」は案外へたれなのかもしれない。
ノアさんのロッドから光が消えた。
『いいわ。ここであんたを折っても、こちらには何の得もないもの。その代わり、次はない。覚えておきなさい』
『……何が聞きたい』
『『スレイヤー』と『クリムディア』の情報。十大魔剣全部の話も聞きたいけど、それは後でいいわ。とりあえず、こっちに確実に持ち込まれるその2振りだけでいい』
『人が俺たちを封じた剣にどういう名を付けているかは知らないし、興味もない。だが、『スレイヤー』は分かる。俺たちの次男が愛用していた剣と、同じ名だからだ』
『……次男?』
『そうだ。俺は六男に相当する。力では他の兄弟に引けを取ったつもりはないが、長兄と次兄は別格だった』
魔剣に封じられているのは兄弟だったのか。そして、「ブランド」がその次兄を恐れているのも分かった。思わず僕は唾を飲み込む。
『……何者なのよ、そいつは』
『『ジェラード』。全てのモノの性質を歪め、変化させ、そして断ち切る。あの男に斬れないものは、ない。
そして、シムルを最も愛し、最も神族を憎んでいた男だ』




