15-2
「よお」
議員会館の受付には、既に綿貫がいた。郷原という秘書もその後ろにいる。綿貫にはいつもの陽気な笑顔はない。
「浅尾副総理は、もう部屋にいるのか」
「いや、まだだ。というか『わざと』30分時間を早くお前に伝えた。万が一のことがあっちゃまずいと思って念のためにそうしたが、まさかこういう事態になるとはな」
綿貫の部屋に入ると、法律の書籍が整然と並べられている。昔のこいつは整理整頓が得意ではない方だったはずだから、秘書の郷原がそこはやっているのだろう。
ソファーにどすっと座ると、綿貫は大きな溜め息をついた。
「どういうことなのか説明してくれ。阪上の一件は概要しか聞けてない。そっちが腹を割って話してくれねえと、僕も全面協力できない。
一応言うが、僕にとっての優先順位はオヤジが上だ。そこのところは見誤るなよ」
「……まあ、そうだろうな。その前に、東大の殺傷事件の話を聞かせてくれ」
「ざっくりだが、物品の調査をしていた花巻教授が助教の南原ってのに刺された。花巻教授は意識不明の重体だ。
南原はいきなり錯乱し始め、『剣から電流を出して』研究室を焼こうとしたらしい。とりあえず取り押さえて現行犯逮捕したが、錯乱状態って話だ」
血の気が引いていくのが分かる。「魔剣」が意識を乗っ取ろうとしたのだ。阪上のように自我を持ってコントロールできるのは、やはり例外事例なのか。
ノアも同じことを思ったのか、『まずいわね』と呟いた。
綿貫がさっきよりも大きな溜め息をつく。
「やっぱ何か知ってるな。阪上の一件とも絡みがあるんだろ」
「ああ。……『魔剣』の存在は話したことがなかったはずだが」
「警察からの情報提供だ。情報統制で阪上が昨日どんな暴れ方をしたのかは封じてるが、黒い剣で警察官1人が老人にさせられたらしいじゃねえか。
そっちも、地元の警察にはある程度事情を話してるんだろ?そのぐらいは僕もオヤジも知ってるさ」
「隠しても無駄、というわけだな」
「当然だ。僕はともかく、オヤジはお前らのことを危険因子と認識して全然不思議じゃない。
下手をすると、これまでまゆみさんと一緒にやってきたイメージ戦略も一瞬でパアだ。オヤジに何の協力を求めたいのか知らんが、さっき話した通りそれは簡単じゃないぞ」
その通りだ。浅尾副総理をこちら側につけ、柳田と対抗するというシナリオは瓦解しつつある。少なくとも、状況は当初想定よりかなり悪い。
険しい表情の綿貫に、ノアが小さく頷いた。
「それは分かっていまス。ただ、これから起きることは知ってもらいたいのでス」
「これから起きること?」
「はい。ヤナギダが、シムルの人間を妻にしていることは聞いてますネ?多分、彼がサカガミが暴れた現場にいたことモ」
「……一応な。阪上の求めに応じて、と聞いたが」
「ええ。ただ、それだけじゃないのでス。彼の妻、メリア・スプリンガルドの父は、こちらに刺客を送り込もうとしていまス。それにどう対応するか、の相談でス」
「……刺客、だと??というかまさか柳田のおっさんがそいつらを手引きしようとしてんのか?」
郷原が置いたお茶を一口すすると、ノアが首を横に振った。
「最初はそのつもりだったかもしれませんガ、今は違うようでス。ヤナギダの目的はあくまで自分のため……余命幾ばくもないメリアの治療のために、聖杖ウィルコニアを使うこと。
そのために刺客、ペルジュードを利用しようとしたというのが本当のところでス。今となっては、彼らは厄介者でしかないのでス」
「……状況がよく飲み込めないが、おっさんは敵ではないわけだな。ただ、おっさんの身内は違うと」
「ご理解早くて助かりまス。そして、刺客としてニホンにやってくるペルジュードを、何とか追い返したいのでス。できるだけ穏当なやり方デ」
「連中の目的は?」
「危機にある、シムルの救済をウィルコニアを使って実現することでス。深刻な流行り病が、かの地を蝕んでいるのでス」
「そっちの方が正義な気がしないでもないが……」
ノアが睨むと、綿貫は「おっと、冗談だから本気にするなよ」と冷や汗をかいた。
「彼らはイルシアの侵略者でス。私たちがここに来たのは、彼らからウィルコニアを守るため。
一度奪ったものを、彼らが返すとは思えませン」
「人道的見地も、最低限の信頼あってこそか。しかも軍事力に頼ってくるのだから、ノアちゃんの言わんとすることも理解はする。
で、オヤジに彼らの撃退に協力しろと?んなの柳田のおっさんがやるべき話だろ。自分で蒔いた種なんだから」
俺は息をついて綿貫を見た。
「そうも言っていられない。これは本当に、ごく最近分かった話だ。ペルジュードは、ラヴァリ同様全員が魔剣持ちだ」
さっと綿貫の顔が青くなるのがわかった。
「……マジか?」
「ああ。柳田は、自分の息子と私兵だけで何とかなると思っている。ただ、万一のことがないとは言えない。
魔剣は、人間の精神を蝕むものらしい。魔力に乏しい人間ほど、そうなるとは聞いた。阪上はある程度の自我を保った、かなり例外的な事例のようだ。
ラヴァリはそもそもそこまで魔剣を使い込んでいなかったからまだマトモだが、ペルジュードの連中がそうだとは言えそうもない。極力、人手は多い方がいい」
「……阪上は、生身で旅館の壁を突き破ったりしたと聞いたぞ。多分、魔剣とやらの力だよな」
「ああ。つまり、ペルジュードの来日は、一種の安全保障上の危機と考えて欲しい。
さりとて、下手に軍事力で排除すれば、メリアの父親、ギルファス・アルフィードを完全に敵に回すことになる。彼はシムルにおける最高権力者の一人だ。
異世界間での全面戦争なんてことになっては目も当てられないし、それは俺も柳田も望んじゃいない」
「だからノアちゃんは、『できるだけ穏当なやり方で』と言ったのか。だが、有事の備えも要るから、オヤジに話を通しておきたいってことだな」
察しが早くて助かる。理解力の速さは、綿貫の長所の一つだ。
「そういうことだ。ただ、浅尾副総理にとってイルシアも同一視される可能性はある。多分、イルシアの自由を奪うようにはしてくるだろうな。
あと、柳田との関係がどうなるかも問題だ。多分、今言った話をそのまま副総理にしたら……」
「まあ、激怒だろうな。ペルジュードの話なんて、僕も今知ったことだ。おっさんを外患誘致罪で立件しようとするかもしれない。少なくとも間違いなく、おっさんを『干し』にかかる。
んで、それはお前やイルシアの人たちも望ましくないんだろ?ある程度の自由が奪われることになるから」
「ああ。副総理を刺激せず、しかもある程度の人的支援が欲しい。虫の良い話とは理解しているが、それがこちらの願いだ」
綿貫がふう、と天井を見上げた。
「まあ、無茶だな。普通に考えたらそれは通らない。だが、見返りも用意しているんだろ」
「ああ。こちらからシムルへの調査隊を送った場合の全面協力。現地での『共同調査』の確約。もちろん、調査によって発見した資源権益の一定量がリターンになる。
今行われている戦争については介入しないこととする。これはあくまでイルシア側の問題だが」
「それで足りるか?というか、そんなもんずっと前に決められる話……」
俺はノアをちらりと見た。彼女とは、ここに来る前に一度それについての話をしている。
ノアはさすがに相当に渋った。だが、これぐらいしか浅尾副総理が無条件で飛びつきそうな話はない。
「いや、まだある。『魔法』のメカニズムの解明調査に対する協力だ。
一応、魔剣と違って無害なマジックアイテムを幾つか持っている。阪上が使っていた『遠見の水晶』もその一つ。
触れた人間の視覚と聴覚を、水晶を通して知ることができる代物だ。言ってみりゃ、『どこでも監視カメラ』みたいなものだ。マジックアイテムの量産化ができれば、相当な経済的価値を生むんじゃないのか」
「……なるほど、な。それは今」
俺はバッグを開けた。そこには、小ぶりの水晶がある。
「これがそうだ。この他にも、幾つか今の技術では実現不能なマジックアイテムがあるらしい。
もちろんイルシアの許可は要るが、リターンとしては相応だと思うが」
「……ちょっと聞いていいか。あの、イルシアチャンネル第2回の『ヒビキ』って子も、もしかして」
「ああ。会ったことがあったかもしれないが、西部開発の派遣社員の市村響だ。動画の中で猫に変化したのも、ある装置でそういうようにできるようにしたらしい」
「……冗談みたいな話だな。というか、シムルの文明レベルって、この世界より上なんじゃないか?」
綿貫の言葉を聞いて、俺はハッとした。確かに、その可能性はある。
あるいは、酷く歪な文明構造なのかもしれない。社会システムや工業だけが中世並みで、そうでない部分……「魔法」に関連する部分はこの世界のはるか先を行っている。そんなことがあるのだろうか。
とにかく、シムルの技術解析はこの世界に福音をもたらすことになる可能性がある。浅尾副総理が、そこに価値を見出してくれるかどうか。
綿貫が腕時計に目を落とした。
「……そろそろ時間だな。後はオヤジ次第だ」
俺は首を縦に振った。ここからが、最初のヤマになる。




