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「これで、全部……と」
ようやく荷下ろしが全て終わった。時間は21時をとうにすぎている。かなり腹も減ってきた。ノアにも疲労の色が濃い。
『水と食料、心から感謝する。だが、この『コメ』という食べ物はどうすれば食べられるのかね』
ゴイルが米の袋を不思議そうに見ながら訊いた。
「ノア、紙を」
『分かった』
俺はノアに鍋を使った米の炊き方を教えていた。俺も詳しいわけではないが、ネットを見ればある程度の手順は分かる。
それを口頭でノアに説明し、イルシアの言葉で書き記させておいた。一応、予備のためコピーも何枚か取ってある。
「これを読めば分かるはずです。多少コツは要りますが」
『……なるほど。イルシアでいう『ダマル』みたいなものだな』
「これだけだと味気ないので、塩や味噌を味付けに使うといいでしょう。野菜や肉は生ものなので買いませんでしたが、これで1週間ぐらいは必要最低限の食事ができます」
『かたじけない。涼を取る魔道具も準備してくれたようだな』
俺は足元にあるアウトドアバッテリーをポンと叩いた。
「使い方はさっき説明したとおりです。扇風機のコンセントをこいつにつないでもらえれば。ただ、バッテリーは一時的にしか使えません。充電……あなたたちの言葉で言えば、おそらく魔力のチャージが必要です。明日追加しますが、充電方法は考えないと」
『それでも構わない。……本当に、水と食料だけでなく、色々してくれて感謝の極みだ』
「いえいえ、私がやりたいようにしているだけです。ただ、これはあくまで応急措置にすぎない。行政の支援が最終的には必要になります。それは明後日からの交渉次第です」
『明日ではないのか』
「明日は日曜……安息日ですので。役所も閉まっていて、まず動かないのです」
『……そうか』
そう言うと、ゴイルは深く頭を下げた。
『明日も、よろしく頼む』
*
『……やっと終わったわね。さすがに疲れ切っちゃったわ』
家に着くなり、大きなあくびをしながらノアが言う。俺も同感だ。
「これほど長い1日は本当に久々だったな。とりあえず、飯食って風呂入って寝よう」
『ご飯は、またトモが作ってくれるの?』
ノアが目を輝かせている。そんなに焼きそばが気に入ったのか。
「疲れているんで、手抜きになるが」
『それでもいいわ。で、何食べるの??』
随分と前のめりだな。そういえば、軽トラの中で菓子パンを食べてた時も『美味しい!!』とばかり言っていた。食い物に関するイルシアの事情は、かなり良くないらしい。
「ラーメンだ。本当は『ちんたつらーめん』に連れて行こうと思ったが、遅いからそれは明日な。今日は『宅麺』で取り寄せた『豚ほし』にする」
『らーめん?まあ何でもいいわ、お腹空いたし、疲れて本当倒れそう……』
そう言うと、ノアがソファーに倒れ込んだ。体力はやはりないらしい。
俺はさっき買った高めの栄養ドリンクを彼女に渡した。
「それを飲めば多少は元気が出る。王宮にも20本ぐらい渡したが」
『……ありがと』
ぐでっとなっているノアを尻目に、俺は飯の準備をする。野菜はさすがに別なので、キャベツともやしを取り出し軽く刻む。鍋は野菜用と麺用で別枠だ。スープは溶かすだけなので、電気ケトルに2人分の水を入れておけばいい。
調理しているとすーすーと寝息が聞こえてきた。カフェイン入りのドリンクを飲んだのに、疲労がそれを上回ったらしい。そのまま寝かせてやろうかと思ったが、食わないまま寝ると翌日に響くので起こすことにした。
「できたぞ」
『ん……む……ご飯?』
「そういうことだ」
テーブルにある物を見て、ノアが固まった。丼には、野菜が小さく積まれている。その横には少しのにんにくと、どでかい豚の塊。一応、栄養バランスも考えて自家製スムージーも添えてある。
女性に出す物じゃないとは分かってはいたが、手持ちでまともな飯となるとこれくらいしかなかったのだ。
ノアがうげっという顔で俺を見る。
『……これが、らーめんってやつなの?豚の餌みたいじゃない』
「見た目は勘弁してくれ。そういうものだし、味は旨い。……多分」
『まずかったら切り刻むわよ』
渋々ノアがフォークを握る。俺も箸で天地返しをした後、自家製の極太麺をすすり込んだ。
「ブイエ!!ブイエユ!!!」
すぐにノアが幸せそうに叫ぶ。
「旨いか」
『お昼の焼きそば?も美味しかったけど、こっちの方がずっと美味しい!!というか食べたことないわ、こんな味。すごく濃厚で、コクがあって……それにこの野菜!味がしっかり染みてて、甘いの!』
「まあ、店から麺とスープ、豚を宅配してもらって温めただけなんだがな。喜んでもらえたなら何よりだ」
『というか、食事についてはイルシアも帝国も、『魔侯国』も全く比較にならないわ……。ねえ、トモって本当に王宮料理人じゃないのよね??』
「だから違うって言ってるだろ。それと、こいつの本店はもっと旨いぞ。行く機会があるかは分からないが」
『行きたい!!というか、この世界のことをもっと知りたくなったわ。色々連れて行ってもらえるかしら』
俺は言葉に窮した。そうしたいのは山々だが、諸々一段落付いた後だろう。そして、そういう日が来るのかどうか、全く確信が持てない。
俺は答える代わりに、ズズっと麺を啜った。
「……そのうちに、だな」
*
風呂に入り寝床につく頃には、既に時計は日をまたいでいた。……本当に色々ありすぎた日だった。
こんな生活が、しばらく続くのだろうか。「日常」に飽いてはいたが、底の見えない「非日常」に対する恐怖も、わずかに感じている。
やるべきことは山ほどある。イルシアへの食料品の調達。そして彼らを支援するための行政との交渉。何より、国と話を付けないといけない。ここが最大のハードルだ。
……あいつに、明日連絡を取ってみるとするか。
気が進まない話だ。俺とあいつは、全く相性が良くない。財務省時代から、ずっとそうだった。だが、こういう局面では最も頼りになる。というか、それ以外に選択肢が思いつかない。
俺は両手の上に頭を乗せ、ぼーっと電気の付いていない天井を見た。
ノアは、ちゃんと寝られているだろうか。俺と一緒に寝たいとしきりに言ってきたが、やはり心細いのだろうか。
見た目通りの幼さと、実年齢らしい聡明さを彼女は併せ持っている。そんな気がする。しばらくはお目付け役として俺と一緒にいるということだが、上手くやっていけるのだろうか。
どうにも喜怒哀楽が激しくないこの性格は、異性に「退屈だ」と思われてしまうらしい。長続きしたのは、大学時代の睦月ぐらいだ。後は大体「何考えているか分からない」と3カ月ぐらいで破局というのが落ちだった。
ノアとは会ったばかりだし、そういう関係になるとも思えない。だが、しばらく一緒に住むことに対する不安感は割とある。
……考えても埒はあかない、か。
瞼が落ちてきた。悩んでいる時には眠るに限る。それがいい。
そうやって、俺の長い長い「非日常」は始まったのだった。




