14-3
「……!!あんたは……」
阪上のマンションのエントランス前。一人で出てきた渚と呼ばれた女の前に、俺とノアは立っていた。
阪上が一足早く、どこかに消えたのは確認済みだ。後はノアと一緒に、隠密魔法をかけた状態でここまで「飛べば」いい。
「すみません。少し話せますか」
「……どいて。急いでるの」
俺を押しのけようとした渚の足が止まる。ノアが弱い「圧波」を、彼女の足にかけたらしい。
『そうはいかないわよ。昨晩はあたしの使い魔に、よくも傷を付けてくれたわね』
「け、警察を呼ぶわよ!?」
俺は小さく首を振る。
「どうぞご随意に。阪上の部屋を調べさせれば、あなたが使ったデリンジャーが出てくるでしょうから。あるいは今持ち歩いているか。どちらにせよ、銃刀法違反であなたか、阪上が捕まるだけの話だ」
「何でそんなこと知ってるのよ……」
「それはどうでもいい話だ。俺はあなたと取引をしたい。近くに喫茶店があったでしょう。そこで少し話しませんか」
「……りゅ……阪上市長を売れ、とでも言うつもり?」
「あなたは、彼が何をしでかした人間なのか、知っているんですか」
汗が渚の額ににじんだ。「何が、言いたいのよ」と絞り出すように言う。
「昨日滝川峡谷で発見された、スーツケース詰めの死体。あれは15年前に消えた、鈴木一家のものだ。そして、彼らを殺したのが、阪上龍一郎。現時点で、その可能性は極めて高い」
「え……!!?」
やはり知らなかったか。俺は軽く息を付いた。
「あなたが阪上の恋人か愛人かはしらない。恐らく、あなたかあなたの父親も、阪上に何かしらの弱みを握られていると推測します。
だが、彼にこれ以上協力することはあなたにとっても極めてまずいことになる。既に高崎ゲンは殺されかけています。殺しの片棒を担いだとなれば、あなたはもちろん父親やその組織にも影響が出る、違いますか」
渚の顔色が、明らかに白いものへと変わった。
「……あんた、何者なのよ。私のことは、どこで調べたの。それもまさか、魔法とか言うんじゃないでしょうね」
「まあ、概ね当たりです。あなたが考えるより、俺たちは多くのことを阪上について知っている」
渚が立ちすくんだ。「……私に、何をしろというの」と、かすれる声で答えるのが精一杯のようだ。
「その辺りの説明も含め、少し話そうと言っているわけです。あなたに迷惑をかけることは、多分ほとんどない。どうですか」
「……行けばいいんでしょ」
渚が唇を噛みながら歩き始めた。
*
「……というわけです」
埃っぽい、老婆が一人で切り盛りするつぶれかけた喫茶店の一角。一通りの説明を終えると、俺はモーニングコーヒーを口にした。随分と薄い。
俺が彼女にした提案はこうだ。すぐに警察に出頭し、昨晩の町田邸襲撃事件の指示を自分が出したと認める。その代わりに、阪上に関する一連の捜査に全面協力するというものだ。つまり、司法取引に応じろということだ。
彼女と阪上との関係は、明らかに阪上が優位の関係だ。いたたまれず途中で千里眼と阪上とのリンクを切るようジュリに言ったが、奴は現状の苛立ちをぶつけるかのように昨晩渚を犯している。それはほぼレイプといっていいものだった。
『最低の男ね』とノアが吐き捨てるように言ったが、それは俺も同感だ。渚の阪上に対する感情はよく分からないが、あれはただの恐怖による支配にすぎない。あるいは、そういうやり方でしか阪上は人との関係を構築できないのかもしれない。
渚はというと、青ざめた表情のまま黙っている。相当迷っているらしい。
「繰り返しますが、このまま動かないなら高崎ゲンの一件であなたは逮捕されるでしょう。そして、石川組も終わりだ。それはあなたの望むことじゃない、違いますか」
「……龍ちゃんを、裏切れない」
ノアが俺を見た。『あたしに任せて』ということなのだろう。
『それは、本当に愛情から来るものなの?』
「……ガキに何が分かるって言うのよ」
ノアが身を乗り出した。笑顔だが、心なしか額に青筋が浮いている気がする。
『残念だけど、多分あんたとそこまで歳が変わらないのよね。そして、あんたが今抱いている感情も分かる。ずばり、それは恐怖と依存』
「ふ、ふざけんじゃな……」
激高して立ち上がろうとした渚の鼻先に、ノアが銀のロッドを突きつける。
『図星なんでしょ?イルシアの1級魔導師、ノア・アルシエルを舐めないで頂戴。シェイダやシーステイアほどじゃないけど、それなりに人の感情は読めるのよ』
弱々しく座り込む渚に、ノアが溜め息をつく。
『サカガミが『遠見の水晶』を使って色々な人の弱みを握っていたのは知ってる。大方、それを使ってあんた本人か、あんたの父親の弱みにつけ込んだんでしょ。あとは飴と鞭を使えば、従順な手下ができる。
あんたがサガカミを裏切れないのは、怖いからでしょ?だからあんな乱暴なまぐわい方をされても、あんたは一切抵抗しなかった』
「……全部、見透かされてるというの」
『こちらにはサカガミの持ってた水晶の上位互換みたいなものがあるからね。もちろん、サカガミの行動はお見通しってわけ。
そして、もうサカガミは終わりよ。だから、あなたがあいつに怯える必要はないわ』
渚は目に涙を浮かべ、ブンブンと首を振った。
「……ダメ。私もパパも、龍ちゃんなしでやっていける自信がない」
『それは仕方ないわ。これ以上傷口が広がる前に、素直に降りた方がいい』
渚が黙りこくった。そして1分ぐらいして「……分かった」と呟く。
「あなたたちの提案に乗る。でも、その前に龍ちゃん……市長に会わせて。警察に出頭するのは、それからにしたいの」
「やめておいた方がいいです。あいつが君に何をするか、分かったもんじゃない」
「でも!!……せめて、別れの言葉は私から直接言いたいの。……お願い」
渚の目からは強い意志を感じる。説得には応じないだろう。
だが、もし阪上が「グレイスワンダー」を携行していたとしたら。あれは、遠隔攻撃が可能な代物のようだった。あの黒い光に当たれば、高崎のように一気に老化してしまうのだろう。
それはすなわち、彼女の死を意味する。高崎はいたぶる目的からかギリギリ生かされていたようだったが、追い詰められ余裕がなくなった阪上が、そのような手加減をするとは思えない。
これは、あまり良くない状況だ。渚の意思は予想外に堅かった。司法取引から阪上を切り崩す手段は、暗礁に乗り上げかけている。
とすれば……この手しかない。
「分かりました。ただ、2つ条件があります。まず、会うのは昼過ぎにすること。そして、その時は俺も同行させてください」
「え」
『トモッ!!』
俺はノアに「大丈夫だ」と返し、シムル語で答えた。
『策がある。これでケリを付ける』
『策?』
『危険はあるが、上手く行けば阪上を完全に終わらせる。そして、今日の会見も中止に追い込める。そのためには、2つほど仕込みをしないといけないが』
『仕込みって、何かするの?』
俺は小さく頷いた。
『ああ。まず警察に向かおう。どちらにせよ、昨日の襲撃事件の被害者として行かなきゃいけなかったところだ』
スマホを見ると、中川警部からの着信が何件か入っていた。鍵を握る1人目の人物は、彼だ。




