第2話 ラムと偽牛乳 :タツミサイド
勇者アルスのナビが当てにできないので、僕はさっさとこの世界に慣れることに決めた。
まずは素直に「冒険者の酒場」に行ってみる。いつか映画で見たような中世ヨーロッパ風の石造りの建物が並ぶ街で、宿場も兼ねたこの建物は他の家より大きくて目立つ。
中に入ると、薄暗い店内で三人の男がジョッキを片手に騒いでいる。その男達の他に客の姿はない。なんだかガラの悪い連中で、あまり近づきたくない雰囲気だ。仕事が無いのか、夜からの仕事なのか、どちらにしても昼間から飲んだくれてる人間にまともなヤツはいなさそうだ。どっちの世界も一緒だな。
奥のカウンターで、ハデな化粧のお姉さんがこっちを見てニヤニヤしていた。優雅にキセルをふかしている様は、なかなか堂に入ったものだ。そんじょそこらのアラクレじゃあ太刀打ちできないしたたかさがにじみ出ている。彼女がこの酒場の女店主さんかな?
「こんにちは。えっと……ザカーリさん」
ドラストシリーズはほとんどのNPCに名前が無いから、こうして呼びかける固有人名がわかっているキャラと会えただけでちょっとホッとする。
「いらっしゃいよ。話は聞いてるわ」
チョイチョイと人差し指を手前に倒す。一応僕が噂の勇者様だから遠慮したみたいだが、そうでなければ、きっと最後に「坊や」とか入っていただろう。
彼女のセリフで僕の存在に気付いた飲んだくれ達が、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。僕がカウンターに着くなり、三人の酔っぱらいは当然のように僕を取りかこむ。そのうちの一人が馴れ馴れしく肩に腕を回してきて、酒臭い息を吹きかけた。
「勇者様ぁ、今日が旅立ちでしたっけぇ? こちらにはお仲間を探しにぃ?」
わかりきってることをわざと聞いている感じだ。
「でもせっかく酒場に来たんだし、勇者様も景気付けに一杯飲んでいかねえかい?」
「もちろんここは、勇者様のおごりでな!」
三人目の言葉と同時に、全員が爆笑。勇者だからって、誰もが諸手を挙げて万歳三唱ってわけでもないんだな。まさかいきなりカラまれるとは思わなかった。出だしから騒動を起こすのもなんだし、ここはヘタに逆らわない方がいいかな……。
「バカ言ってんじゃないよ。勇者様にタカったなんて知れたら、しょっぴかれるわよ」
ザカーリさんが僕と肩を組んでいた(というかもはや羽交い締め状態だった)男の腕を、キセルでパンっと叩いた。中の粉が飛んで、2、3度咳こんでしまう。それを見て、またもやみんな爆笑。
「いやいや勇者様、もちろん奢れってのは冗談ッスよ?」
「緊張してるみたいだからほぐしてやろうと思っただけだって。なぁ?」
ふーむ。こんなのに構ってるヒマないんだけどなぁ。
「だっけど勇者様もよぉ、酒場に来たんなら礼儀として、一杯くらいは飲んでいかな……」
ガシャン!
いきなり大きな音が店内に響いた。やいのやいの騒いでいた男達がピタリと黙る。カウンターには金貨の山。王様からもらったお金を、僕が全額ぶちまけたのだ。
「いいよ、飲もう。でもこれじゃ足りないと思うから、ここは飲み比べといかない?」
「ちょっと、無茶すんじゃないよ、坊や!」
ザカーリさんの顔がこわばった。意外といい人だったり? いや、勇者に悪さをしたら捕まるぞ、みたいなこと言ってたから、そっちが心配なのか。もう遅いけど。
「ここは酒場でしょ、ザカーリさん。お客に酒を出せないの?」
「うおっしゃ、よく言った勇者様!」
「大丈夫大丈夫、これくらいありゃあ、多少アシが出るくらいだぜ!」
「この剣とかも売れば釣りが来るしな!」
男達が再び大騒ぎしだしたのを横目に、僕は最初の一杯を注文した。
「……マジかよ、強すぎだろ……」
最後の一人が口元を押さえて表に飛び出していったのを、先にダウンした男が見送りつつ、呆然とつぶやいた。そいつの足下には、もう一人の男がいびきをかいて寝ている。しんと静まりかえった店内に、僕がくるくると揺らしているグラスの、カランと氷がぶつかる音だけが響く。
「いやぁ、おじさんたちが先にだいぶ飲んでたからだよ」
僕は残りのロックを一気にあおった。
「あ、あんた、大丈夫なの?」
ザカーリさんがカウンター越しに手を伸ばして、僕の頬に触れる。その手をやんわりと遠ざけて、代わりに空になったグラスを手渡した。
「もちろん大丈夫じゃないよ。さすがに、ちょっと酔ったかも」
ラムなんて強いお酒で勝負しちゃったしね。
「っぷ……くくくく……アハハハハハ!」
と、ザカーリさんは突然ゲラゲラ笑い出した。さっきまでの妙にシナを作った笑い方じゃなくて、ちょっと中年オバサンが入ってる品のない笑い方だ。
「参ったねぇ。お高く止まった優等生だとばっかり思ってたけど」
「へえ、そんな風に思われてたんだ」
アルスってば、こっちでも性格悪いって思われてるのかよ。ダメじゃんあの勇者。
「意地悪してごめんよ。仲間を探すんだろ? こっから選んでちょうだい」
ザカーリさんはボンっと厚い冊子を投げてよこした。開いてみると、一人1ページずつ、似顔絵付きで人物紹介がされている。これが例の冒険者名簿か。
「うわー……」
こっちの世界の文字が普通の日本語として認識できるのはありがたいんだけど。パラパラとめくってみて、僕はガックリきた。
どこまでいっても「レベル1」ばかりだ。いやゲームでもそうなんだけど、実際問題、こんな履歴書で本気で雇われたいと思ってんのか。ナメてないか?
「——そう言えば、あの人は12だったな」
城で声をかけてきた「例のアレ頼みますね」の兵士のことを思い出す。あの時はろくに話もしなかったけど、彼の胸には城の外門の紋章と同じ形をしたプレートが付けられていて、それには「レベル12」と書いてあったんだよね。う〜、いるところにはいるんだよな。連れ出せるなら、あの人がいいんだけど。
まあだけど、載ってないのも当たり前か。とりあえず最後まで目を通した僕は、使い物にならない名簿をカウンターに投げ出した。
「いい加減にしてよザカーリさん、これ全部じゃないでしょ? 何で隠すのさ」
少し間があった。——それからニヤリと笑うザカーリさん。
「ふふん、勇者の方から言ってきたなら、違反にゃならないからねぇ」
とか言いながら、奥の階段から二階に上がっていく。すぐに戻ってきた彼女は、僕が今持っているのと同じ冊子を持ってきた。ただし、こちらの表紙には大きく「特選」と書いてある。
「本当はこっちも見せるべきなんだけど、王様に止められててさ」
開いてみると、なるほど、特選と銘打ってるだけあってトップページから「レベル10」だ。
「勇者の指名は断れない、って決まりを先に出しちまったもんだからさ。優秀な人材を引っ張って行かれるとマズイから、こっちの名簿は見せるなって言われてたんだよ」
ザカーリさんはあっけらかんと真相を語る。おいおい王様、人の良さそうな顔して、それはひどくないか?
特選の名簿には、あの兵士さんも載っていた。サミエルさん。うそ! 22歳? 意外と若かったんだなー。ちょっと老け顔だったから、てっきり三〇代半ばくらいかと思ってた。
「ああ、サミエルね。ずいぶんあんたについて行きたがってたわよ?」
ザカーリさんが思い出したように笑顔をこぼす。登録時は相当意気込んでいたようだ。ということは「例のアレ」ってのは、旅仲間に指名してくれってことだったのかな。
その2ページ後で、僕はようやく、目当ての彼女を見つけることができた。
【エリス/魔法使い/女/16歳 「レベル14」】
アルスの言っていた魔法使いの女の子。さっきの名簿に彼女が載っていなかったからこそ、別冊があると思ったんだ。嫌がらせで元カノを勧めてきたのに、その子が架空の人間というのもおかしいからね。それにしてもレベル14とは。
「じゃあまず、このエリスさんを指名するね」
「あら、別れたんじゃなかったの?」
ザカーリさんが訝しげに尋ねる。さすが酒場のママ、他人の色恋話には詳しいようだ。
「うん、ヨリを戻したくなって」
面倒だから適当に答えておく。僕の淡白な対応に、ザカーリさんも簡単に流してくれた。
あとはコレを持って本人を迎えに行ってね、と三人分の契約書を渡される。レベル10以上ともなると、別の場所で働いている人も多いから、雇い主が迎えに行くのが習慣らしい。ようやく酒場を出られるな。
「全員お城勤めだから楽でいいわよ。じゃあ頑張ってね」
ザカーリさんは、すっかり僕に気を許した風だ。
だから僕は最後に、気になっていたことを聞いてみた。
「ねえザカーリさん。もし僕が特選名簿のことに気付かなかったら……レベル1のヒヨッコどもを押しつけて、世界を救えと言うつもりだったの?」
今度は、少しの間もなく。彼女は笑顔のまま答えた。
「当然でしょ。どうせあんた、精霊神様の加護がついてんだから簡単に生き返るし」
——了解。わざわざ入り口まで見送りに来てくれた彼女を、僕は二度と振り返らなかった。
店を出ると、外はすでに日が傾いていた。うわ、けっこう長くいたんだなー。
でもスマホの時計は、まだ正午を少し過ぎたあたりだ。最初はスマホの時計が狂ったのかと思ったのだが、どうやら現実とゲーム内での時間の流れが違うらしいことに気がついた。ざっと計算すると5倍くらいゲーム内のほうが時間の進みが早い。つまりゲーム内での5日間が現実での1日になる。
始めからレベルの高い仲間を得ることに成功したし、この分なら探せばまだまだショートカットできるところはあるだろう。うん、思ったより早く戻れるかもしれない。僕のフリをしているアルスがドジって正体がバレる前に元の鞘に戻らないと、面倒なんてものじゃないからね。
さて。
城に向かう前に、僕は裏路地の井戸に立ち寄った。運良く誰も使ってなかったので、桶に水を汲んで、路に沿って掘られている側溝まで持って行く。側溝にかかっている踏み板を外して、僕はその場に膝をついた。
「ゲホッ…うぇっ……ゲホゴホ!」
さすがに限界だった。いくらなんでも飲み過ぎだ。量で勝負の安酒なんて、悪酔いするに決まってる。
でも気分は悪くなかった。あの根性のねじくれた大人達が、呆気に取られている様子は見ものだった。まったく、一六歳の少年に、いい大人が揃いも揃ってとんでもない大儀を押しつけといて、よくも「お高くとまった優等生」なんて言えたもんだ。ふざけんな。だからアルスだって嫌になるんだよ。
でも……現実も、同じようなもんなんだけどね。
手酌で口の中をゆすぎながら、スマホ越しに聞いた彼のはしゃいだ声を思い出して、僕は少し、心が苦しくなった。