「受け入れなさい、さすれば道は開かれる?」
初めて、小説を書きました。稚拙な文章で小説になっているかもわかりませんが、子供のころからの妄想を形にしてみようと思い筆をとりました。正直、今は、この小説を読んでいただく読者の方を意識できていません。自分勝手に自己満足で書いている状態です。もし、どなたか目にとめていただけた方がいらっしゃいましたら、感想をお聞かせください。そして、楽しんでいただけたら幸せです。よろしくおねがいします。
序章
木漏れ日があふれる森に、少女がたたずむ映像、森の香り、せせらぎ。
「風薫る」って季語があったよな。
夏のはじめを表す季語だっけ。
レースのカーテンから日差しが漏れて、フローリングの床に反射し部屋の全体を明るくしていた。
目覚まし時計は、5:50。
もう少し眠れたのに‥。
目覚めたばかりの頭に浮かんだ唐突な「風薫る」‥。
一人で暮らすようになり、季節が一周した。
20歳の時、両親と妹を交通事故で一瞬に亡くした。
その時は、頭が真っ白になり何も感じず、何も考えられなかった。
茫然自失になっていた俺を祖父と祖母は、強く抱きしめてくれた。
その瞬間、涙があふれだした。
祖父母との暮らしの中で、形をなくしていた心が少しずつ、ゆっくり再生していくようだった。
大学を無事卒業してからも祖父母と暮らし仕事もそこから通った。
家から仕事場まで1時間30分。
満員電車のおかげで余計なことを考える余裕もなく、帰りは、疲れ切っていて、いつもうたた寝をしながら帰った。
祖父は、居合道道場の館長だった。
俺も父に勧められ子供用の居合刀を担いで通った日々があった。
最初は、刀や稽古着がかっこよくて意気込んで稽古に励んだものだった。
けれど、型稽古は子供には、退屈なものだ。
組太刀という二人一組の稽古もあったが、その機会はとても少なく。
なにより、同じ年頃の門下生が、いなかったのは大きかったのだと思う。
子供のころの俺は、みんなより多少、身体能力に自信があった。
刀の角度や所作を正確に覚え、美しく演武することよりも、飛んだり跳ねたり自由に体を動かしていたかったのだと思う。
様式美という言葉もそれが何かも知らなかった。
高校に入るころには、部活で弓道を選んだ。
そうこうしているうちに、道場に足をはこぶこともなくなっていた。
20歳を過ぎて祖父母といっしょに暮らしはじめるまで、しばらく刀に触れることもなかった。
居合の美しさを真に理解したのは、稽古を再開し5年たった25歳のころだったように思う。
結局、飛んだり跳ねたりといったスポーツと呼べるものは、中学高校とも選ばず。
静と動の武道を選んだのだった。
今だにスポーツには、縁遠いところに俺はいると思う。
そんなものなのかもしれない。
祖父は、
「受け入れなさい、さすれば道は開かれる」と口癖のように言っていた。
そんな祖父に、
「受け入れているよ」
「ちゃんとわかってる」と返すと、
「真に受け入れることと、受けいれたつもりになっていることはだいぶん違うんじゃよ」
「おまえのは、そんなつもりになっているだけじゃないのかい」
「それに、わかってることと、ただそれを知っていることもこれも大きく違うんじゃ」
今は、祖父の言ったことが、少しわかってきたような気がする。
そんなことを言ったら、お茶をすすり「まだまだじゃ」と顎髭をさすり微笑みながら言うのだろう。
祖父は、試合前の道場では厳しかったが、総じてやさしい人だった。
家では、より一層、両親や妹を一瞬に亡くした俺をやさしく見守ってくれていたように思う。
いっぽう、祖母は、細かな事にいちいち口を出す人で、いつもあれやこれやと忙しく立ち回り、俺にもいろいろ注文をつけては、「もう、しっかりしなさい」というのが常だった。
そんなに俺は、頼りなかったのだろうか。
そんな祖母も夕食を決めるときは、必ず俺の希望を一番に聞いてくれた。
「食べなきゃ、元気にならないわよ」、「しっかりお食べ」と言って、俺の顔を心配そうに覗くのだった。
そんなに俺は、元気のない顔をしていたのだろうか。
祖父母にも、父、母、妹を亡くした悲しみや、さみしさは、間違いなくあったのだと思う。
祖父は、黙ってそれに耐え、祖母は忙しさに紛らせ、悲しみや、さみしさから少しでも遠ざかろう、逃れようとしていたのかもしれない。
1年前、祖父が心臓を患い亡くなった。
気落ちした祖母の面倒を俺はみるつもりでいた。
けれど、それは許されなかった。
結局、祖母は、叔母の下で暮らすことになった。
しばらくして、耳にしたことだが、祖母が俺の事を気遣い、そう決断したのだと、叔母がそっと教えてくれた。
そんな祖母が、祖父を追うように逝ったのは、半年前の晩冬のころだった。
冬の風は薫らない‥、ただただ冷えびえとした風が吹いていた。
あの日、涙は流せなかった。
ただ、くちびるを噛みしめ、空をみつめた。
鼻の奥がツンとしたことを覚えている。
今年の桜がいつ咲いたのか俺は知らない。
1、『最期の晩餐?は醤油ラーメン』
木漏れ日があふれる森に少女がたたずむ映像、森の香り、せせらぎ。
目覚まし時計は、5:50。
もう少し眠れたのに‥。
ここ数日、目を覚ますときは決まってこれだ。
ストレス過多?
心が乾いてる?
別に仕事で行き詰って逃げ出したい気持ちがあるわけではない‥と思う。
自信はないけど。
「是非に及ばず」
思い切り、夏掛け布団を蹴り飛ばし勢いよく起き上がる。
「朝はパン♪朝はパン♪」と歌いながら朝食の準備をする。
一時期、シリアルに凝って「朝はシルアル♪」となったころもあったが、味に変わりばえがないのですぐに飽きてしまった。
その点、パンはジャムでバリエーションがつけられるから飽きない。
『コップ一杯の水と一個のたまごで‥』という本を読んでからは、水とたまごは朝食には欠かせないくなっている。
土曜日、午前は掃除、洗濯と一週間たまった家事をこなす。
正午すぎに、一連の用事を済ませた後の達成感と安堵感が心地よい。
日頃、健康のために控えている炭水化物を今日は、自分を許してラーメンを昼食で食べることにした。
昨夜、仕込んでおいた味付け卵を冷蔵庫から取り出して、半分にカット、うまく半熟になっている。
味付け卵とメンマ、刻みネギを添え、シンプルな醤油ラーメンをいただく。
飽きのこない定番の味が、俺の好みだ。
まずは、麺をすする、ちじれ麺がスープに絡んでシコシコした食感でおいしい。
刻み葱のシャキシャキとした触感もアクセントになる。
スープを飲んでほっと息を軽く吐き、いよいよ味付け卵。
半熟の黄味のトロミ、みりんとお酒のタレがうまくしみ込んだようだ。
口直しにメンマをカリコリ。
あとは、そのローテーションを繰り返す。
最期に残り汁をごはんにかけて掻っ込む、満足の昼食。
ささやかな幸福をあじわった。
夕方、夕食の買い物に出かけることにした。17時過ぎとはいえ初夏の日差しは、まだちからを失っていないようだ。
目深にベースボールキャップを被り徒歩でいつものスーパーに向かう。
町には、夕食の買い出しと思われる人々、休日をどこかで楽しんできた様子の人々で、そこそこの人出だ。
いつもとかわらない、休日の平和な夕暮れ。
そんな緩んだ気持ちが、女の悲鳴によって一瞬に凍り付いた。
周りの人々は、何が起こっているのか周囲を見回し、何があったのかと茫然と立ちつくしまた、声にならない悲鳴を上げた。
コンビニから一人の男が、後ろから押されたようにバランスを崩しながら飛び出してきた。
男は見えない何かを手で払うようにして、よろめき、蛇行しながらゆっくりと歩いてくる。
男の手には、ナイフがあり、虚空を切り裂いている。
ナイフはサバイバルナイフ、刃渡りが5センチはありそうなギザギザがついているやつだ。
男の行く先には、親子と思われる女性と少女が、恐怖のため、足がすくんで動けなくなっていた。
母親は、必死に少女を抱えて逃げようとしているようだが、足が立たず這うように後ずさりするのがやっとのようだ。
身体が、俺の判断を待つことなく勝手に動いた。
気が付いたときは、俺は男の行くてを阻むため、男の正面に立っていた。
切りかかってきたところを、透かして腕を取り押さえるか。
否、親子から男を引き離すのが先決だ。
近い距離で揉みあったら親子に危害が及ぶ可能性がある。
俺は、意を決して男の懐に姿勢を低くしてタックルでぶち当たった。
右肩を男のみぞおちめがけてあたって、両腕を男の太もも裏にまわし抱えこみ、思いっきり引き付ける。
高校の体育の時間、ラグビーを習った覚えがあったが無我夢中で男の懐に飛び込んでいた。
日頃の筋トレの成果もあり、男を持ち上げアスファルトに叩きつけることに成功し、マウントポジションをとることができた。
しかし、男は目を血ばらせ、怯むことなく狂ったようにメチャクチャにナイフをふりまわしてくる。両腕をクロスさせ防御し、腕を取ろうと試みる、腕には次々と切り傷が増えていく。
男の腕を掴もうとするが、傷から流れる血で手が滑ってなかなか掴むことができない。
傷は、アドレナリンのせいか、熱さは感じるが痛みは感じない。
俺は、男のナイフが左に流れた隙をついて、思い切って掌底を男の左顔面めがけて放つ。
ガツン!男の左顎付近に掌底がヒットする。
勢いで男の後頭部は、アスファルトにしたたか打ちつけられ、動きが止まった。
よし、やった!息をなでおろす。
その瞬間。
腹部に鈍痛を感じた。
腹部に目を向けると左わき腹にナイフが深々と刺さっているのが見えた。
マジかよ。
掌底を繰り出したとき、カウンターとなり勢いがついた分、ナイフは深々と腹部にめり込んだようだ。
男が、突き出したナイフに勢いよく自分から突っ込んだのだ。
腕の切り傷は浅く、出血も許容範囲と思われた。しかし、腹部からの血は、どす黒い赤をしている。
俺は、崩れるようにアスファルトに倒れこんだ。
親子は大丈夫だろうか。
横目で周囲を伺うと、母親が少女を抱きかかえ、手助けされながら立ち上がる様子が見えた。
よかった無事な様だ。
男は、数人の男性によって取り押さえられているのが見えた。
何か、叫んでいるようだが、何を言っているかわからなかった。
「あの人やばいんじゃない」
「死んでるの?」
集まってきた野次馬からそんな声が聞こえる。
(いや、まだ生きてますから。勝手に殺さないでください)心の中で叫ぶ。
(誰か救急車呼んでくれてるかな?)
(俺、死んじゃうのかな?)
途切れそうな意識の中でぼんやりそんなことを考えていた。
そんなとき、赤ら顔で胸板が厚く、腕は俺の倍以上はありそうなおじさんが、俺をのぞき込んで何か言った。
「大丈夫だ、今、楽にしてやるからな」。
(んー?)
(救急隊員さんではないよな?)
(外人さん?)
(誰、このおじさん?)
おじさんは、左手を俺の胸に当て、右手で刺さったナイフの柄に手をかけた。
(え、え~~)
(ちょっと、止めて!)
(ナイフ抜かないで~)
(止血できない状況でナイフ抜いちゃったらダメだよね)
(出血多量で死んじゃうよね)
(いやいや、出血性ショックで死んじゃうよ~!)
しかし、俺の心の叫びは、おじさんに聞こえるわけもなく。
(じっちゃん、これは受け入れられないよ、開かれるどころか、人生閉じられちゃったよ)
そこで俺の意識は途絶えた。