かわいいあの子~ヤミ①~【禁断恋愛】
かわいいあの子 ~ヤミ~
傷ついたとき、まずあったかいカモミールティーが出てこない。次にソファで昼寝をしていても、起きたときに布団がかかってない。それに「描きたい」と思った瞬間に筆も水も出てこない。もちろんパレットに全色出された状態でもない。
ラミがいないということ。それはまるで城を追われたお姫様のようだ。
三ヶ月前、音もなく家を出た弟は、連絡一つ寄越さない。
けれどもそれは同時に、長い時間ゲームをやってても「目悪くなる」と怒られない。タバコを吸っててもからかわれない。お酒を「飲み過ぎ」と取り上げられることもないということでもある。そう。城を追われたお姫様は一転、自由でもある。圧倒的に自由なのだ。
急速に上がったテンションに乗じてしこたま買い込んだ酒に口をつける。午前十時。こんな時間から飲めるなんて、何て贅沢なんだ! この世はパラダイスか!
わほーいと録画しておいたお笑いを流しながらぐいぐい飲み進める。何を見ても面白い。 ぐいぐいぐいぐい。ぐいぐいぐいぐい。
・・・・・・。
・・・・・・。
気づくと顔に日が当たっていた。橙。夕日だった。
日焼け止めも何も塗っていない。あわてて身体を起こすと頭の中心がぐわんと揺れた。
この世の終わりかと思った。嘔吐く。腹の底から突き上げる胃酸。
あわてて立ち上がると、壁にぶつかりながらトイレに駆け込む。間に合わず吐き出された吐瀉物がヘンゼルとグレーテルのごとく私の通った道を汚した。
〈もう、何やってんの。きったな〉
水。
薄く開けた目。映るのは昏い便器。誰だよフン筋つけたまま出たの。テメェでぬぐえやちくしょう。
嘔吐く。口から何か生まれる。出産は相応の痛みを伴うと言うが、分かる気がする。今私から生まれ出ようとしているのは少なくとも人型はしていないが。
涙がにじんだ。
水。
ラミがいない。それだけでこんなにもハードモードになる。
欲しいものが出てこない。酒じゃなく水を差しだしてくれるのはラミだけだった。
「え、今起きたの?」
ドアを開けたラミは寝間着のままだった。エアリーな髪型がムダに決まっていてムカつく。いつでもラミが先に起きていて、寝起きの私のボンバーヘッドはいつも「ありえない」とけなされていた。
吐くだけ吐いてぐっすりよく寝て、マルボロさんでお口直しをして現れた私を、ゴミを見るような目で迎えると、ラミはため息をついた。
「バイトは?」
「ん。午後から。それまでレベル上げに来た」
ウソ。本当は今日は休みだ。でもそう聞くってことはラミ自身に何か用事があるのだろう。彼女と会うのかもしれない。画面を見ながら「ラミこの子使ってんだ」とつぶやく。
五月。すっかり寒さからあたたかさベースに様変わりした季節の日差しは、カーテンの隙間からでも充分明るい。顔色をうかがわれたくない私からしたらこの位が丁度いいと感じる程だ。
ラミの視線を感じる。変に詮索されたくないから顔は上げない。もうすぐ出かけたいのかもしれないから腰も下ろさない。
再びため息が聞こえた。ラミは台所に向かうと冷蔵庫を開けてペットボトルの飲料をコップについだ。見なくても分かる。コポッコポッという何ともやさしい音。
「いい加減座ったら?」という声とともに差し出された緑の液体に、不覚にも息が詰まった。少なくとも「すぐ出かけたい」という訳ではなさそうだ。
その後テーブルの向こうに腰を下ろすと、ラミはため息一つ、頭をかきむしる。
ため息はつくほどに幸せが逃げると言うが、その理屈で言うと、ラミは私のせいでたくさんの幸せを逃していることになる。手のかかる姉を持たせてしまったこと、少しだけ申し訳なく思ったり思わなかったり。
人のゲーム(もの)を遠慮なく進めていく様子を見ながら「そんなに楽しいか」と聞かれる。うん、と返した。
思い通りになるのがいい。分かりやすいのがいい。ゲームは、決められたルールは裏切らない。でも一方で、それだけじゃつまらない。その時だけはスカッとするが、後に何も残らない。だから必要なのはイレギュラー。ルールの脇にはみ出た存在。
この子は、かわいい。誰からも同じようにダメージを受ける。
火だから水だから草だから雷だから。そんな差別をしない。
誰だって攻撃されたら痛い。あなたから受けた傷も、別のあなたから受けた傷も、どれも等しく痛む。
みんなみんな同じだ。そうやって高くない防御力で二回、精一杯立ち続けてくれるこの子はかわいい。残る。どんな形でも相手の心に。私は
私は確かに存在していたと。きっと誰かが証明してくれる。




