祖父と孫娘の戦い、2【エッセイ】
二
久しぶりに墓参りをすると、祖父は噛みしめるように何度も「しほが来てくれたぞ」と墓石に声をかけた。感じたのは後ろめたさ。
一人で辿り着けなかった。そのために祖父に先導をお願いした。墓地までの道のり。数ある墓石の間を、痛みのある左膝をかばいながら祖父はスイスイと進んだ。
実に十年の年月が経っていた。最後に来たのも親に連れられてだ。その場所は分かっても、その場所に自分が向かうという発想自体がなかった。この墓参りだってある種気まぐれに過ぎない。九十歳を目前にしても背筋の曲がっていない背中。その小ささに愕然とする。
一通り掃除を済ませて線香に火をつけた。合わせた手は節高。この人は間違いなく自分の知っている祖父なのだ。
思えば父方母方関係なく遠方に住んでいる祖父母とはめったに会うことがなかった。幼い頃は年に一度、高校を卒業してからは四五年普通に会わなかった。何かと用事があったこともあるが、逆を言えば、当時年イチで会うか会わないかの祖父母の存在より、その時の用事の方が優先順位が高いと判断していた、ということでもある。当時はそうだったのだろう。でもそのことを今、少しだけ後悔している。
子供は残酷だ。大事に大事に育てても、巣立ったら最後、前しか向かない。子供を産んで新しい家庭ができればそっちにかかりっきりになる。
それは本能。種の保存のための至極まっとうな在り方。けれど。
人は、老いる。
社会での役割を終えて、幸か不幸か寿命は延びて、新しい技術が、薬が開発されて生きながらえる。その期間の無限たるや。
増える薬。大好きなまぐろの刺身もあつかんも母は制限をかけない。
「この年で我慢させるのも気の毒かと思って」
その時点で、という訳ではないが、タイムリミットが見えてきていた。
寿命が見えたらいいのに、と思う。それなら逆算して貯蓄したり、大切な人にきちんと挨拶をして回ったり、思い残すことのないよう、身辺整理ができたりする。
『生まれ変わり』というのは、それができず、思い残したことのある人の魂を鎮めるために生まれた言葉なんじゃないかと思ってしまう。あるいはそんな無念を残していく可能性を秘めた未来の自分を先に救っておくための概念。いずれにしても
寂しさと戦う期間は決して短くない。ただでさえ祖父は二十年も前に伴侶に先立たれている。私は祖父が何度も墓石に声をかけずにはいられない程の間墓を離れていた。
祖父という生き物は何でも与えたがる。それはおもちゃであり、お菓子であり、大きくなれば金銭であり、与え得るもの全てを片っ端から何でも与えようとする。分け与える、なんて生やさしいものではない。最低限生きていくのに不自由しないもの以外全て与えようとするのだ。押しつける勢いで。
それもまた本能なのだろうか。どんな形でも生きていくことの足しになるのなら与えようと。各家庭それぞれ与えられるものは違っても、与えようとする気持ちの割合に差はないんじゃないかというのは、都合の良い見方だろうか。
不安を覚えるのは、与えられる側が過剰だと感じるためであって、こっちはこっちで自分を大切にして欲しいと思うのだ。
私は貧しさを経験したことがない。何の不便も感じたこともない。それは苦しい中生き抜いた先代の恩恵を享受しているものであって、本来時代に見合った快適な家に住むのは、本当に大事にされるべきは、それだけの労力や努力を重ねた人であるはずだ。中には退職金で潤っている人はいるかもしれないが、少なくとも祖父にそんな余裕は見られない。久しぶりに行った祖父の家は、台風のせいでゆがんだ大窓のカギが閉まらず途方に暮れた程だ。
しかしその結果生じる軋轢こそがきっと「寂しさ」と戦うための術であり、武器になり得る。
言葉が生み出される瞬間はいつだって落差を感じたときで、通常より暑いと感じれば「暑い」外に出て寒ければ「寒い」それと同じで「見合ってないよ」「こんなにもらえないよ」という、与えられる側に生まれる感情こそが与える側の心を護る。与える側が正当と感じる対価を払って心の安寧を得る。それこそがどこの家庭でもみる正月のやりとりの本質。
じゃあそれが本当に正当と言えるのか。違う。違うなら徹底的に抗戦しなければいけない。




