祖父と孫娘の戦い、1【エッセイ】
祖父と孫の戦い
一
幼い頃からムダに勝ち気だった。
同じものを好きになった時、いかに自分の方が愛が深いか熱弁するタイプで、そこに共有、仲間意識が生まれないことを、よく母に嘆かれた。負けることが大嫌いだった。
そのせいか「誰かに何かをしてあげること」の方が好きだった。してもらうことに対して過剰に気が引ける。受け取るのが下手クソで、何度受け取り損ねたか知れない。受け取ろうとしなかったことさえ多々あった。全ては己の心の平穏のため。
距離にして一時間弱。昔は親の運転する車に乗って、原発を横目に通っていた道。海沿いの茶色の建物の多い通り。ただただ東西に伸びる一本道をひたすら東に走った。
あの通りの方が好きだった。出発地点の変わった今、高速をおりて走る凹凸のないコンクリートに描かれた交通標示ははっきりくっきりしすぎていて、命令されているような冷たさを感じる。役割は同じでも、目の粗いのコンクリートの消えかけた表示の方が自分にはよくなじんだ。
思えば「誰かに何かをしてあげること」の方が好きだった。全ては己の心の平穏のため。そのことに何の疑問も抱かなかった。医療の現場で働いていても。
きっかけの一つ一つはとてもささいなこと。一つ一つ積み重なって一杯になってようやく発露する。
〈親切にしてくれてありがとう〉
そう言って患者さんは曲がった腰をさらに折るようにして頭を下げた。メガネの奥で細まる目。鮮やかな光彩。色素の薄い目はそうして開くと、老眼鏡のせいでことさら大きく見えた。羽織った上着にはっとする。八月。自分たちは動いているから気づかない。いささか空調がききすぎていないだろうか。温度設定を確認すると、適正ではあった。見回す。小学生は半袖半ズボン。大人は人によって上着を羽織っていた。こっそり一度だけ上げておく。
「親切」とは。
分解した時「親族」と「大切」になると仮定したとして、
身内のように接してくれてありがとう。大切にしてくれてありがとう。そこに混じる切なさ、に、かすかに香る無力感。
幼子は親切を当然のように受けて育つ。逆を言えば受けられなければ本当の意味で育てない。身について、返していく。次の社会を築いていく。
そうして誰しも年を重ねる。社会での役割を終えて、再び養われる側に回る。生産性という観点一つだけとれば、色濃くなるのは負い目。
〈人様に迷惑をかけてばかりで〉
〈動くのが遅くてごめんなさいね〉
〈こんな年まで生きると思わなかった〉
〈早く死にたい〉
私にはまともに返せる言葉がない。正しい寄り添い方が分からない。だからいつも肩に触れて「そんなことないですよ」と言うことしかできない。ずっとずっと分からない。だから無意識に言葉の向こうを見てしまう。
〈親切にしてくれてありがとう〉
鮮やかな光彩。色素の薄い目の奥。私の目に映ったのは
〈親切にしてくれてありがとう。こんな私のために〉
気づきもしなかった。私は平和に生きて来た。
与えられる側から与える側に回って、人様の役に立つ。それは自己実現。そうすることで社会に対して自分が存在していい正統な権利を得る。社会。誰の目から見ても赦される身の落ちつけ所。自分の心が納得する居場所。
人は寂しがりだ。必要とされたい。だからそのために人の役に立とうとする。幼少期、同級生の多かった時代の子供は特にそうかもしれない。必要とされるために。そのために必死で人の役に立とうとする。役に立ったと自分で思えて初めてワガママを言える。甘えることを赦される。だから全ては存在を赦されたいがための行動。戦うのは忍び寄る死への恐怖か、人に必要とされなくなることへの恐怖か。




