表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/8

哭泣葬送

ここまで1日1編は挙げられるよう心掛けてきたのですが、体調を崩してしまい最後の最後で

間を空けてしまいました。申し訳もございません。エピローグのような話で間延びしてしまう

というのも何とも恰好のつかない話で、おそらく著者が一番項垂れております。反省…


ともあれ、これにて完結となります。

最後までお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました。

「管仲め…管仲め…」


 病床についた鮑叔は、うわ言で管仲の名を呼び続けていた。言うまでもなく、怨嗟の呻きである。


 管仲邸における桓公と管仲の会談の内容は、瞬く間に斉の廷臣間に広まった。病身の管仲が桓公が候補に挙げた鮑叔を退け、隰朋を己の後継者に推挙したことも。


 この一報を聞いた時の鮑叔の激情は、筆舌に尽くして余りあるものだった。瞋恚、憎悪、屈辱…様々な感情が腹の底からこみあげ、遂には呼吸ができなくなった。


 子供の頃からの記憶が濁流のように頭を駆け巡った。自分の人生は、いつもいつも管仲が障壁として立ちふさがったようなものだった。髪が白くなり、人生の末尾を迎えようとしている今になってさえ、それは変わらないのか。(はかりごと)と毒を以て地下への入り口を開いてやったというのに、堕ちて行きながら尚俺の足を引っ張ろうというのか、最期の最期まで!


 その想念が過った時、管仲は音を立てて床に倒れた。家人が慌てて寝所に運んで横たえたが、意識は混濁したまま戻らなかった。


「管仲…管仲…」


 朦朧(もうろう)とした意識の中、繰り返し管仲の名を唱える鮑叔の姿は、家人達や見舞客には真逆の意味で捉えられたらしい。


「あのように危篤に陥っても尚、無心で管仲の名を呼んでいる。幼子のように管仲を求めているのだ。腹の底から信頼していなければとてもありえないことだ。無二の朋友とはああいう人たちを言うのだなあ」


 そう言い交わしては袂で目尻を拭う彼らには、鮑叔のうわ言に込められた怨嗟を遂に聞き分けられなかった。


 一人意識の濁流に揺られる鮑叔の内に蘇るのは、過ぐる日桓公の私室で見せられた絹の切れ端である。


 詐 死


 公孫無知が弑されたという報を受け莒より臨淄へ急行していた桓公―小白一行を襲った折、管仲が小白へ向けて放った矢にはそう書かれた絹が結ばれていた。桓公はそう鮑叔に告げた。


 鮑叔には到底解せなかった。あと一歩のところまで小白を追い詰めた管仲が、わざわざ圧倒的優位な立場を捨ててまで小白に味方した理由は何か。小白の人柄に心服して、などという人情味ある理由のはずがない。常に打算と私欲で動く男なのだ。


 今なら分かる、死の淵に瀕した鮑叔は胸中に独り言ちた。あれは一種の担保だったのだ。


 小白一行を強襲し追い詰めながらも、管仲には間違いなく小白の息の根を止められるという確信がなかった。万が一取り逃がしてしまえば小白はおそらく斉候の座を手中にし、そうなれば自分は逆臣ということになる。その場合でも己だけは生き永らえることができるよう、少しでも小白に媚び、恩を売っておきたかった。そんな保身の念が、管仲にあの絹切れを矢に結ばせたのである。


 もし自分の放った矢が小白に命中して死亡したとしても、それは一向にかまわない。勝利は糾のものとなり、傅たる己にも栄華が舞い込むだろう。“小白を撃つ”という大目的さえ達してしまえば、その矢に巻き付けられていた切れ端の存在など誰が着目するだろうか。よもや射殺した相手に「放った矢で佯死をすすめた」、などと疑う者もおるまい。管仲の内通未遂は、露見することはまずなかったろう。


  佯死の策を授けた管仲自身、一度は小白の死を真に受けたのではあるまいか。弓で狙いをつけられるまで接近していたのである、己の放った矢が突き刺さり倒れる小白の姿を、遠目にも確認したはずだ。まさか帯鉤に刺さり一命を取り留めるなど、さすがに予想もできなかったにちがいない。小白の死の報を受け魯軍が油断しきった件も、それで説明がつく。他ならぬ管仲が擬態の可能性を口にしなければ、誰も訃報を疑うものなどいなかったろう。


  よしんば管仲に疑念があったとしても、糾や魯軍に強くそれを進言するわけにはいかなかった。佯死の策を小白に授けたのは他ならぬ管仲なのだ。「なぜ小白が死を装ったなどと思うのだ」と味方に追及されれば藪蛇(やぶへび)となり、内通者として処断されかねない。管仲にしてみれば小白の喪が発せられた時点で「どう転んでも俺の不利にはなるまい」と、密かにほくそ笑んだかもしれない。


 管仲とても助言を記した絹切れが確実に自分の身を守ってくれる、とまで確信していたわけではあるまい。小白が管仲の助言になど気づきもしないという可能性も少なくなかったし、絹切れを開いた処で記された二字を黙殺することも大いにあり得た。そもそも策を献じた管仲自身、佯死の計が上手くいくと思っていたか甚だ怪しい。ただ「布石を打っておいて損はないだろう」程度の考えで矢に絹切れを巻き付けたと思われる。小白を討てればそれでよし、混乱の中矢に巻き付いた切れ端になど目を止めるものはおるまい。万一小白を逃した時はおそらく糾は滅びるが、小白が絹切れに気づいていれば自分だけは或いは慈悲に縋って生き延びられるかもしれない。その程度の算段である。


 しかし実際にはそこにかかれた「詐 死」の二文字のために小白は窮地を脱し、管仲に深い恩義を感じるようになった。そして桓公として登極後、あろうことか管仲を宰相に抜擢した…


 管仲当人もここまでの効用は期待していなかったであろう。幼い頃からの忌まわしい特性、「大過を犯してもその後の機転で難を逃れてしまう」という持ち味が、一世一代の場面で最大限に発揮されたわけである。そうしてあの男は、栄耀栄華の道を歩み始めた。


 管仲の宰相の座は、そのような汚れた打算の上に築かれたものだった。糾と小白が斉の覇権を争っていた折、どちらに趨勢が傾いても己を安全圏におくことを画策して、あの問題の一矢を放ったのである。言わば保身欲から両雄に尻尾を振った畜生が如き所業、忠誠も何もない姦臣そのものの行いではないか!証拠とてあるはずもないが、鮑叔はそれが真実だと既に確信していた。


 そんな人物の提言に斉の未来を任せて良い道理がない。何としても我が君に管仲の正体を説き、次期宰相の人選を翻意していただかねば。それはこの鮑叔にこそふさわしい役職なのだから…


 その決意は固かったが、混濁した意識から浮上して現世に発露されることはなかった。病床に伏した鮑叔は遂に一度も目を覚まさぬまま息を引き取った。


 憤死である。但しそうと気づけた者は、少なくとも日の当たる場所には存在しなかった。


 管仲の暗殺を命じられた刺客なら或いは真相を察したかもしれないが、彼が表舞台に姿を現すことはなかった。鮑叔の死から程なく管仲邸の中から姿を消し、その後の行方は(よう)として知れない。


 鮑叔は管仲を(ほふ)らんと企み、実践し、死の淵まで追いやりながら、あれほど望んだ憎い男の最期を見届けることなく先に逝ってしまったのだった。強かに逆激を被った格好であるが、果たしてそれは管仲の思惑通りだったろうか。




 鮑叔の葬儀は、大々的に催された。


 かつての己の傅を悼む桓公の、心尽くしの賜物である。或いは贖罪の意図も込められていたのかもしれない。「いずれ宰相に戻し名誉を回復する」という約定は、とうとう果たされなかった。管仲の有能さが、当初の桓公の予測を遥かに超えていたのかもしれない。管仲登用後の桓公は、その稀代の宰相にすっかり依存していた。


 葬儀には管仲も出席した。自らも病身でありながらそれを押して友を送らんとする管仲に、またしても称賛の声が降り注いだのはいうまでもない。


 弔辞に際して、管仲は顔を地に伏せながら天を震わす程大々的に哭礼した。


「かつて私と鮑叔は共に賈した。物を売って生じた利益の内から私は己の取り分を多く取ったが、鮑叔は私を貪欲だとは言わなかった。私が貧窮していたことを知っていたからである。私が商売に際して案を出し、その為に多大な損失を被ったことがある。しかし鮑叔は私のことを愚かだと蔑まなかった。物事には時運の機微というものがあると知っていたからである。また私が斉国に出仕するようになって後、戦場に於いて敗走したことが三度ある。その時も鮑叔は私を臆病だと罵らなかった。私には扶養せねばならない老いた母がいると知っていたからである」


 鮑叔が生きてその場にいたならば一語毎に反論したくなるだろう弔文が、涙声でとうとうと読み上げられる。それは参列者のもらい泣きを誘発したらしく、周囲からすすり上げる音が漏れ聞こえてきた。


「私が仕えた公子糾が敗れ命を落とした時、同輩の召忽は自らその後を追った一方で私は生きて捕縛される道を選んだ。しかし鮑叔は私を無恥(むち)の者と罵らなかった。小さな恥に固執するよりも、天下に大望を成就することにこそ重きを置いた私の信条を汲んでくれたからである。私の生をこの世に与えてくれた者は我が父母である、しかし私の存在を信に認めてくれた者は、まさしく鮑君その人であった…!」


 もはや葬儀の会場中が、すすり泣きに留まらぬ、慟哭(どうこく)の坩堝と化していた。桓公も群臣も、詰め掛けた百姓(ひゃくせい)達も、辺りを憚ることなく涙を流し嗚咽を漏らしていた。そして見事な弔辞を読み上げた管仲の友を想う心情に、感嘆せぬものはいなかった。


 上衣の袂で顔を覆いながら、尚も管仲は哭礼を続けていた。


 その袂の裏で、亡き鮑叔を嘲る冷笑を浮かべていたかどうかは、誰にもわからぬことである。




 後世、管仲と鮑叔の故事が元となり「管鮑の交わり」という言葉が生まれる。“深い信頼により結ばれた、決して変質することのない固い友情”を指す言葉である。二人の絆は、二千五百年を経た今日に於いても尚語り継がれる神話と化している。その由来の虚実は、最早時の彼方に消えた。




 余談だが、管仲達の時代より百年ほど下って後、儒教の祖として不滅の名を中国大陸に刻む孔子(こうし)が出現するが、彼は管仲に対して厳しい言葉を投げかけている。死後纏められた言行録『論語』の中で「管仲の器は小さい」と断じている。臣下でありながら豪奢な邸宅を三軒も有し、また部下に政務を兼業させず多くの人に分業させたことを以て浪費家という判断を下し、更に自邸の門を樹木で隠すなどといった君主特有の慣習を己も模倣していることを指して「礼を知らない」と切り捨てているのだ。


 或いは孔子は、巧妙に隠蔽され同時代の人々も見抜けなかった管仲の本性に、時代を経て俯瞰した結果気づいたのかもしれない。そうと知れば地下の住人となった鮑叔も、幾ばくかは留飲(りゅういん)を下げたであろうか。



(了)


参考文献(敬称略)


・司馬遷、小竹文夫・小竹武夫訳『史記3 世家上』(ちくま学芸文庫)

・吉田賢抗◎著、瀧康秀◎編『新書漢文大系㉛ 史記〈世家〉』(明治書院)

・水沢利忠◎著、佐川繭子◎編『新書漢文大系⑭ 史記〈列伝〉』 (明治書院)

・林修一◎著、堀江忠道◎編『新書漢文大系④ 十八史略 新版』(明治書院)

・小林信明◎著、西林真紀子◎編『新書漢文大系㉔ 列子』(明治書院)

・小倉芳彦訳『春秋左氏伝(上)』(岩波文庫)

・金谷治訳注『論語』(岩波文庫)

・松本一男訳、松枝茂夫+竹内好『中国の思想〔Ⅷ〕 管子』(徳間書店)

・陳舜臣『中国の歴史(一)』(講談社文庫)

・宮城谷昌光『春秋名臣列伝』(文春文庫)

・鈴木勉◎監修『【大人のための図鑑】ビジュアル版 毒と薬』(新星出版社)


・wikipedia-『管仲』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%A1%E4%BB%B2

・wikipedia-『鴆毒』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%86%E6%AF%92

・atob『管仲という宰相』(「小説家になろう」内作品) https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n8278dr/



その他多数の文献、史料、Webサイトを参考にさせていただきました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ