鮑叔喜悦
※本作は中国史門外漢の筆者が史上の美談を(無謀にも)穿った見方で捉えなおそうと試みたフィクションです。
一種のブラックジョークとしてお楽しみいただければ幸いです。
断じて史実などではありません、もの書きを信用しないように。
※尚、本作で初めて「管鮑の交わり」という言葉を目にした方には、真っ当な資料にあたって故事の通説をお調べになることをお勧めします…
澄みきった天の蒼がどこまでも広がり、庭園に咲き誇る桂花からは甘い香が漂ってくる。窓から吹きさす風が時折涼を越えた冷やかさを帯びるのは、もう秋も長くないと俗界の人共に示唆しているのかもしれない。
斉国の首都・臨淄。
宮城の回廊を一人歩みながら、鮑叔は得意の絶頂にあった。彼は出征し、凱旋してきたばかりだった。
この年、西暦にして紀元前685年は、斉では桓公の元年にあたる。春に数多の混乱の果てに登極したばかりのこの若く英邁な君主には、斉侯の座を争った政敵がいた。次兄糾がそれである。西の隣国・魯の力を借り斉の国主の座を得んと欲したものの弟に政争で敗れた糾は、それでも野心の鉾を治めず、秋に再び魯の兵を借り斉へと攻め寄せた。桓公からみれば叛逆以外の何物でもない。
鮑叔は桓公の傅だった。“傅”とは王侯や貴族の子弟に幼少期より仕え教導する役割を担う者であり、その教えを受けた者が長じた時には自然股肱の臣ともなる。鮑叔も例外ではなく、主君桓公の元で大いに辣腕を振るい、桓公が最も信頼を寄せる大夫であることは自他共に認める処だった。この時も主君の命を受け、兵を率い攻め寄せる魯軍を迎撃した。そして大勝を収め、余勢を駆り魯の領土へと逆侵攻、その首都曲阜まで迫った。曲阜に逃げ込んでいた糾は自刃し、ここに騒乱の元は絶たれたのである。
その折、斉との講和を求める魯は管仲の身を縛し、斉軍に引き渡してきた。管仲とは糾の傅であり、言わば叛逆者の知恵袋だった男になる。
一軍の将として大功を成した鮑叔だったが、彼の意気軒高はそれよりも専ら管仲を捕らえ、臨淄に連行できたことに起因していた。
「あの者は我が君に逆らい、かつてはその御命さえ危うくしたことがある。死罪は免れまい、ざまを見よ!」
鮑叔は管仲が嫌いだった。憎んでいるとさえ言っていい。幼馴染だったが、幼少期より常に己の人生を苛んできた禍こそ管仲だ、と内心思っていた。そんな忌々しい男も遂に天命尽きたかと思うと、歓喜の震えが抑えきれない。
今、鮑叔は桓公に呼び出され、その私室へと向かっている。何やら衆目の前では憚られる相談事があるらしい。おそらく管仲のことだろう、と鮑叔はあたりをつけていた。我が君は管仲が臨淄まで連行されてきたことをお耳に入れ、彼奴めを能うかぎり惨たらしく処刑したいと望まれているに違いない。そのことを内々に取り決める為に腹心たる我を密かにお呼びになられたのだ。我が君にそうまで憎まれるだけのことを、あの男はしでかしたのだから…
暗い愉悦と共に、胸の内に管仲と携わった歳月が蘇ってきた。それは麗しい友情の日々などではなく、鮑叔にしてみれば辛酸と屈辱に塗れた拭いさりたい過去だった。