日米石油事情
皇紀2597年3月1日 日米の石油事情
満州における各油田から得られた重質油を改質することで一定成果を得ることが出来る様になったとは言えども、航空用ガソリンは依然満足出来るものではなかった。
この頃、大日本帝国はロイヤルダッチ・シェル系列のライジングサン石油から蘭領東インドタラカンにて産出される高品質ガソリンを輸入することで航空用ガソリンに充てていた。これは蘭印全体で産出される石油の実に3分の1をこのタラカンにおいて産出されていることから、大英帝国及びオランダ王国にとって大口取引が可能であった為だ。
特にライジングサン石油、本体のロイヤルダッチシェルの帆立マークは創業者であるマーカス・サミュエルが日本の湘南海岸で貝殻を拾い工芸品にして本国で売りさばいたそれに由来する。その縁もあって大日本帝国向けの石油製品輸出に大きく関与し、日米関係の冷却に伴う不足するガソリンや潤滑油を彼らが輸出して支えていたのである。
無論、米石油資本が市場を独占されるのを見過ごすわけがなく、メキシコを経由するカリフォルニア及びテキサス原油の迂回輸出や蘭印スマトラ島に権益を有するスタンバックが市場回復を狙い輸出量を増やし、需要を満たすべく日々激しくやり合っていた。ただ、やはりアメリカ合衆国政府は面白く感じておらず、度々嫌がらせのように横槍を入れることでガソリン供給不安を煽っているのだ。
しかし、九五式水素添加装置の完成と製油所への設置によって重質油の改質が可能になったことで米政府も輸出規制の無意味を悟り、オクタン価87以下のガソリンについては制限を撤廃することにつながった。これによってオクタン価87のガソリンが米本土から無制限に輸入出来るようになった。
だが、それは同時にフードリー法によって接触分解技術の開発が行われ、米本土におけるオクタン価100の量産に目処が付き、同時に改質によってオクタン価95付近が製造主体となった為、オクタン価87以下のガソリンに価値がなくなったことを意味していたのである。
そして、量産の始まったオクタン価100の高性能ガソリンは太平洋を越えてフィリピンへ持ち込まれると渡洋爆撃を行う米陸軍重爆部隊へ供給され、それによって燃費向上と性能全般を向上させることに一役買うこととなった。
フィリピンや中支方面では各国の諜報員が多数活動し、米軍の航空作戦を観察し、同時に高オクタン価燃料の優位性を軍中枢へ報告し、各国軍部は衝撃を受けることでアメリカに追随するべく技術開発に邁進することとなるが、それはまだ端緒についたばかりであると言えた。
しかし、一番の危機感を覚えていたのは他のどこでもなく、大日本帝国であり、換算オクタン価140のそれを使ったB-29による焦土を知る転生者たちであった。史実よりも早く戦略空軍決戦思想に傾いた米陸軍のそれがもう一段階進めば、日本本土空襲すら現実になるだけに高性能発動機と高オクタン価燃料の開発を一日でも早く実現しなくてはならないことを彼らに強いることとなったと言えるだろう。
海軍大臣大角岑生の誤算はそこにもあったのである。
彼の誤算は満州原油がオクタン価90に届くかどうかという現実、そしてアメリカが戦略空軍決戦思想へと舵を切ったことの二点であり、特に後者が想定外の事態であったのだ。前者だけなら、イソオクタンの量産体制というそれで乗り切れると割り切れたが、後者の前倒しは完全に後手となってしまった。
アメリカを大艦巨砲主義という沼に引きずり込むことで艦隊航空決戦という史実から引き離して余裕を作ったはずであったが、予定外のところで王手を掛けられる事態に陥ったのは大角にとっては痛恨の一撃であったと言えるだろう。
しかし、幸いにしてアメリカ合衆国政府とそれに追随する勢力は対日牽制はしつつもラスト・フロンティアの確保とその開拓という夢にとらわれ、対日戦争という可能性は考慮していなかった。これは大日本帝国が支那から手を引き、満州と北支を欧州列強と権益を分け合ったことで直接衝突する要因をなくしていたからであったが、それがなければ詰んでいたのではないかと大角は考えていた。
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