憲兵の親分である東條を困らせる難物
ひとまず書けるところから書いてみた。
執筆に当たって結構な難物で、アジア主義者や大陸浪人、そして青幇やゲリラの目的、利用しようとする勢力の目的、そしてそれらが引き起こす国際問題というところを考えていくとそこら中に落とし穴と泥沼が見え隠れして書きあぐねていたという真相。
ホント、もうこいつら何やってんだよ。
皇紀2597年2月26日 満州総督府領 大連
この世界では昭和維新騒ぎは起きなかった。青年将校たちの精神的支柱であり指導者であった北一輝らの活動家は赤狩りの影響でこの世になく、また彼らが義憤に駆られた東北における娘の身売りやその原因となった冷害と恐慌不景気はこの世界においてはほとんど発生していないからだ。
しかし、皇道派と称される軍閥は確かに存在し、陸軍省や参謀本部において主流派となっている。逆に統制派と呼ばれていた存在はこの世界には存在しない。史実において永田鉄山に指導され、彼が凶刃に倒れた後に東條英機が受け継ぎ、二・二六事件の後に陸軍を主導した存在はバーデンバーデンの破談において消滅してしまった。
遡ること15年も前のことだがそのバーデンバーデンの破談がこの世界を明らかに変質させる一つの出来事となり、陸軍内部における力関係もまた変質し、皇道派の性格もまた影響を受けてしまっている。
史実ではバーデンバーデンの密約において永田、東條、岡村寧次、小畑敏四郎の四名が陸軍改革を目指し、後に永田と小畑が反目し袂を分かったことで統制派と皇道派が生まれたが、この世界では永田と小畑の思想的対立が発生することなく、時折主張をぶつけるが協力姿勢を保ち続けるという結果となっていた。そのため、永田を慕う少将連中、佐官連中は概ね皇道派に属しているという状態だった。
だが、同時に統制派が存在しない代わりに東條の周囲には各帝国大学、技術本部、産業界、東條の教え子とその係累が独自のグループを構成していた。彼らのつながりは緩やかであり、同時に陸軍という枠組みを超えたモノであり、資金力や政治力は明らかに皇道派を上回っている。
陸軍中央を牛耳る皇道派にとって――いや、永田にとってというべきだろうか――東條の存在は非常に疎ましいものであっただろう。自分や小畑に師事しておきながら、バーデンバーデンにおいて異を唱え、陸軍の枠組みを超えた派閥を構築してしまい、その背後には軍需産業や帝大、そして大物政治家が控え、そして今上帝の信頼厚い東條はいつ自分たちに牙をむくかわからない危険分子だった。
それ故に関東軍へ追いやったが、赴任先の憲兵隊司令官としては有能であり、元々憲兵隊との距離が近かった彼を憲兵隊の親分として成長させてしまう結果を生んだだけであった。結局、その後の人事で関東軍総参謀長へ転任させることとなったが、関東軍総司令官の希望で憲兵隊司令官と兼務させることとなり、関東軍そのものが実質的に東條の個人的な私兵集団と化してしまうという結果に陥ったのである。
その結果、バランスをとるために皇道派に属する人物を隣接する北支那方面軍へ赴任させることとなったが、これによって満州と北支という二つの戦域での相互連絡がうまくいかなくなっていくという問題が発生してしまったのだ。
これが東條にとって非常に大きな心労になっていたのである。
陸軍中央ではこの人事において派閥争いの主導権を握ったつもりであるが、彼ら自身が見逃している大きな問題をさらに誘引していた。それがアジア主義者だった。皇道派にとってアジア主義者の動向はそれほど注視するべきものではなく、国内の煩わしい連中程度しか思っていなかったのだが、そのような存在が官憲の統制の緩い北支那方面軍の管轄下にある北京や天津へとアジア主義者が集まることに特に注意を払っていなかった。
これが拙かったのである。
アジア主義者と大陸浪人が天津において愛新覚羅溥儀と接触し、これを奉じて帝政復古を企むという状況が発生したのであった。
史実においては愛新覚羅溥儀を奉じて満州国を建国したが、この世界において大日本帝国はそういったことを行っていない。あくまで天津の行宮に留め置くことでいつでもカードに出来るという状況にしておくだけで、実際に手駒として使おうとはしなかったのだ。
同様に満州という地域もまた独立国家という扱いにもせず、かといって支那の領域でもないという中途半端な存在にしておき、けれど、政治的空白地域には出来ないため大日本帝国が管理し統治するという事実上の領有という既成事実化を行っている。
この中途半端な存在は大日本帝国にとっても他の列強にとっても、いろいろと都合が良かった。宙ぶらりんが故に経済進出に対する障害がほとんどなく、また同様に宙ぶらりんが故に国境管理や治安管理が厳格であるが為に女子供の夜歩きも安心であるというそれが列強の進出を誘ったのだ。
経済的に潤ってくれば同時に税収も増えることで朝鮮総督府領の様な慢性赤字にならず、帝国本国への還流が行われ本国経済にもプラスになるという好循環が生まれるてくるのである。
しかし、この好循環の根底を崩すのがアジア主義者と大陸浪人の結託であった。彼らの清朝復古という大義名分はこの世界における大日本帝国の満州統治を大きく毀損するものであり、彼ら自身はそれに気づきもしていない。これが東條にストレスを与えている元凶だった。
「ソ連の赤熊どもは出てきたところを叩けば良い。ジューコフが粛清されて赤軍が混乱している状態では大攻勢など出来はしない。所詮はスターリンの機嫌取り程度に実績を積み上げるべくちょっかいを出してくる程度だ」
東條はそのように割り切っていた。実際、彼の指揮下にある関東軍はノモンハン方面やハイラル方面でソ連赤軍を返り討ちにしている。装甲貫徹性能がやや不足しているが九七式中戦車は配備されてからその機動性によって十分にソ連戦車とやり合えていた。
「癪だが皇道派の荒木陸相が推し進めた砲兵強化は戦局に大きく寄与している。機動砲の優先的な配備で我が関東軍は運動戦を自在に行える戦力を保持出来てそれが故に露助に優位に立っておる」
東條は比較的他者への評価と敵味方の評価はシビアだが、本来敵対派閥の荒木貞夫に対しては一定の評価を下していた。いや、史実とは違う評価や対応をせざるを得なかったと言うべきだろう。
「あの爺、思いの外やり手で気が抜けぬ。有坂の奴と平気で会うだけでなく、機動砲の件では有坂の奴を出し抜いて大量供給を約束させるという抜け目のなさ、その先見の明が故にこの儂が今その機動砲で大いに助けられるなど・・・・・・しかも荒木は恩だとも思っておらん。皇軍の強化のためには当然という顔をしておるのだからな」
だが、同時に東條は荒木のいい加減さに困ってもいた。
それが、北支那方面軍の人事とそれに伴うアジア主義者や大陸浪人の跋扈だ。それもこれも荒木がよく考えもせずに皇道派の人材を北支那方面軍に送り込んできたことからだ。
「柳川が参謀長として赴任してからアジア主義者への取り締まりが緩くなったせいか支那人不穏分子が天津近辺で不穏な動きを見せるようになった・・・・・・表向き治安が悪くなったわけではないが、不明瞭な取引が秦皇島で行われているという大英帝国領事からの通報もあったが、これも適切な対応をしていないという・・・・・・これでは列強からの信を失うことになりかねん」
北支那方面軍に参謀長として赴任した柳川平助は無能ではないのだが、どうも東條に対して当てつけるような格好でアジア主義者や大陸浪人の行動を放置していることが見受けられる。形だけ対応した格好で実際には何も手を下さないことが密偵によって幾度か報告されていたのだ。
そこに出てきた話が里見甫から伝えられた情報であった。
「青幇が手配した武器がゲリラに流れ、そのゲリラを訓練しているのが大陸浪人やアジア主義者・・・・・・で、その大義名分が興清滅洋だなどと何かの悪い冗談としか思えん」
北支那方面軍が放置しているそれによって北支におけるゲリラが蠢くなど欧州列強に対する背信行為でしかない。しかも彼らのやろうとしていることは、義和団事件の焼き直しでしかない。文字通り悪い冗談でしかない。それも日本人によってそれが起こされるなどもしバレたら国際問題である。
「なんでこうも国際感覚がないのだ連中には・・・・・・」
そう言いつつもそれは自身も同じだったと自嘲する東條だが、その通りで自分たちの目に映ることしか見えていないアジア主義者や大陸浪人のそれは如何に自分たちが危険な橋を渡っているか自覚のない無謀な行動なのである。
そして、その無謀な行動を起こす不心得者を放置している北支那方面軍に頭を抱えるしかなかった。それが故に甘粕正彦を中支へ送り込み、情勢を把握させ、可能ならばゲリラ同士を仲違いさせようと画策したのであった。
東條が困惑するのは赤化勢力潰しは治安維持法など各種法律を適用すれば良かったが、アジア主義者や大陸浪人は思想犯でも何でもない。場合によっては帝国臣民としては模範的な部分すらある。故に取り締まることもなく、仮に取り締まることが出来たとしてもいくつかの不法行為だけである。
しかも、大日本帝国の法律が及ぶ範囲ではない支那という大地での行動なのだから始末に負えない。
「どう報告・・・・・・対応するべきか・・・・・・赤狩りよりも難物だぞこれは・・・・・・」
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