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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2597年(1937年)

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海上トラック<1>

皇紀2597年(1937年)2月21日 大日本帝国 海上交通情勢


 日本の海運業界はシベリア出兵末期の大量輸送に端を発して継続的に未曾有の活況を呈し、大手海運会社である日本郵船、三井物産、大阪商船、川崎汽船は日満航路、日本海航路、欧州航路、南米航路、豪州航路に新型船を次々と送り込むことで製品輸出だけでなく資源輸入によって日本経済の発展に寄与していた。


 大手海運各社が新造船の投入を手助けした背景に大正期から継続して行われている商工省主導のスクラップアンドビルド方式の船舶改善助成施設、また海軍省が補助金を出し主導する優秀船舶建造助成施設によって大型化、高速化、ディーゼル化が行われたことで効率化が進み、これによってより多くの資源を持ち帰ると同時により多くの製品を欧州方面や列強植民地、正統ロシア帝国に出荷することで更にその地位とシェアを盤石にしていったのだ。


 しかし、その急速な新造船の投入の裏には軍部と政商の謀略の影がチラつく。


 新造船の多くを受注したのは三菱重工業、川崎重工業、三井造船といった大手重工メーカーであり、これらは軍部との強いパイプを持っていることから、海軍主導の優秀船舶建造補助施設の主たる受注先となっていた。


 また、造船景気から瀬戸内海における中小造船会社が合併して今治造船工業が誕生、瀬戸内における縄張りを築くことに成功していた。阪神地区にある製鉄所から海路で鋼材を、瀬戸内に散らばる各工場で製造されたモジュールを海路で輸送、香川県坂出の塩田を造成して建造した乾ドックでこれらを組み立てることで大手重工メーカーと張り合っている。


 そして、昭和の造船成金の名をほしいままにしている川南豊作の川南工業もまたこれに一枚噛んでいる。いや、彼こそが優秀船舶建造補助施設の仕掛け人の一人であり、その最大受益者とも言える。


 長崎県香焼島に構えた川南工業の造船所において川南は1000m級乾ドックを2基並列で建造し、この巨大な乾ドックの中に3隻ずつ起工させ、隣接するモジュール工場から運び込まれた各ブロックを溶接で組み立て、ベルトコンベア式に続々と進水させていくというそれを実現してしまったのだ。


 これによって量産規格品としての輸送船が大量に投入出来るようになったのだ。この川南工業の建造方式を見習った中小造船会社がより製造しやすい総トン数1000t以下の船舶に適用した結果、瀬戸内海航路が渋滞すると言われるほど国内航路向けの船舶需要が発生したのである。


 だが、川南工業の長大乾ドックによるブロック工法は敷地面積が十分にあることが前提であり、瀬戸内海の塩田跡地を利用出来る場所なら兎も角、安易に採用出来ないこともあり、積極的に採用したのは今治造船工業くらいなものであると言えるだろう。


 では、他の中小造船会社はどうしたかといえば、独自の船台方式を生み出し、これによって大量建造を実現してしまったのである。


 例えば、横滑り式船台を採用した造船会社は同一船台上に並行に並べて海側の工事を先に進め完成するとレールのストッパーを外して海に落として、次の船を海側へ移動させ、開いた奥側で更に起工するというものだった。これによって、常に船台に3隻の建造船が存在する形となり連続建造が可能となるのだ。


 また、船台上に縦一列に3隻程度並べ同じように海側の工事を先行させ、進水する度に奥側で連続起工するという方式も存在する。これらは船台に隣接したモジュール組み立て工場から次々と各モジュールが送られてくることでブロック工法を効率的に行えるように工夫されていた。


 そして東京湾の埋め立て地に立地する造船所に至っては船台を複数並列に設置し、船台背後に組み立て工場を設置し、組み立て工場からクレーンで船台上に船体各ブロックが運び込まれ溶接されるとすぐさま進水し、同じように各ブロックが運び込まれ連続生産出来るようになっている。


 こうした大量建造が行われることで船舶保有量は一気に膨れ上がった。


 膨れ上がった船腹量はそのまま旧式船の淘汰に繋がり、中古船としてタイ王国に向け出荷されることとなる。これら売却された中古船はタイ王国のタイ米輸出用輸送船として活躍し、その多くが満州方面へ流れることになった。これによってタイ王国は多くの外貨を得ることになったのだが、それは一つの火種となるのだが、それはこの段階では誰にも気付かれることはなかった。


 ともあれ、この造船活況の結果、大手は総トン数10,000t以上の大型船舶、準大手は3,000-10,000tの中型船舶、中堅以下は500-3,000tの海上トラックを建造するように棲み分けしていくことになったのだ。


 だが、当初こそ各社一律代わり映えのない量産規格品の建造であったが、建造と受注のバランスが均衡になった頃から独自性を打ち出すようになっていく。特にこの傾向は海上トラックを建造する中堅以下の造船会社に目立つことになる。


 総トン数500tでありながら20ktという高速力を発揮するモノを売り出す、速度を抑え経済性を重視したモノを売り出す、電気推進方式を採用する、挙げ句、寿命、価格、載荷半分(走ルンです)・・・・・・といったモノまで出てくる始末であった。


 だが、全国津々浦々の民間造船所にブロック工法と電気溶接が浸透したことで同時に他業種への溶接の可能性もまた示すこととなり、中小造船所はその設備を活用して不足している鉄道車両の製造に乗り出すことで経営の多角化にも取り組む結果を生み出すことになる。

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