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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2597年(1937年)

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混沌を極めるドイツ戦車開発

皇紀2597年(1937年)1月23日 ドイツ情勢


 ドイツ第二帝国成立した1月18日、この日に合わせて35年にヴィルヘルム皇太子が帝国摂政へ就任したことで実質的に帝政復古したドイツであったが、その帝国再建は平坦な道ではなかった。


 元々アドルフ・ヒトラー帝国宰相にとってヴィルヘルム皇太子への接近はあくまで自身の権力獲得への後ろ盾といったものでしかなく、帝政復古など方便でしかなかった。だが、側近であるヘルマン・ゲーリング帝国議会議長は死去したパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領など帝政派と結託し、大統領死去を利用した政変で帝政復古への道筋をつけ、ヴィルヘルム皇太子を帝国摂政として実質的に帝政復古させることに成功したのである。


 だが、当然のことだが、そうなるとヒトラーにとって面白いことではなく、巻き返しを図るが、ナチ党も先の政変で左派を粛清したことでその勢力は明らかにヒトラー政権成立時に比べ勢いを失っていた。


 しかし、そんな中でも国防軍内部において新戦術論を展開する一部将官にとって欧州大戦と変わらない戦争計画、戦術論を構想する参謀本部に不満が募っている状態であった。その中でも最も急進的なハインツ・グーデリアン少将はヒトラーに接近し、これによって武装親衛隊を基幹とする装甲師団を組織することに成功した。


 グデーリアンは自身の「Achtung Panzer!」を大々的に出版し、これを教材として第1SS装甲師団(LSSAH)を教導部隊として続く新設師団の基礎と為したのだが、これは文字通り完全機械化師団であり、画期的な編制であった。


 第1SS装甲師団(LSSAH)

  第1SS戦車連隊

  第1SS装甲擲弾兵連隊

  第2SS装甲擲弾兵連隊

  第1SS装甲砲兵連隊

  第1SS装甲偵察大隊

  第1SS対空砲大隊

  第1SS装甲工兵大隊

  第1SS装甲通信大隊

  第1SS補給部隊


 戦車連隊には定数150両の戦車が配置され、ハーフトラックなど含むと総数500両余となる。


 特に砲兵連隊、対空砲大隊などはゴムタイヤに履き替えた機動砲を配備し、ハーフトラック牽引によって戦車連隊及び擲弾兵連隊に追随出来、必要に応じて火力支援を行うことが可能となっている。


 グーデリアンはバルカン戦役、在満州の駐在武官などからもたらされた多くの戦訓を研究することでこの編制を発案し、充足するためにあらゆる手を使い実現したのだが、それには武装親衛隊を国防軍とは別組織として陸海空に続く第四の軍として独立させることでナチ党ではなくドイツ国家から予算を獲得させたのであった。


 この時にグデーリアンは急速展開出来る戦力を陸軍とは別に整備すること、陸軍とは別に運用することこそが最適であり、それこそが装甲兵総監が管轄する意味があると帝国議会で力強く力説し、また図上演習における一つの結果を示して仮想敵国を機能不全に陥れたことを記録映画まで用いて帝国議会の承認を取り付けたのである。


 陸軍の対応は後手に回り、結局、兵器局が35年頃から構想していた新型主力戦車Z.W.は装甲兵総監指揮下の武装親衛隊に優先配備することが決まった。仕様が固まったZ.W.はⅢ号戦車A型として制式採用されると新機軸を用いていたことでダイムラー・ベンツ・アリサカ社の月生産数がなかなか上がらなかったが、36年12月に至ると定数を満たすことが出来た。


 しかし、逆に陸軍側に配備することとなったB.W.I(K)は手堅い設計とクルップ社がNbFzの生産ラインを転換したことから生産余力があり、Ⅲ号戦車A型よりも生産が捗ることが判明していた。しかし、仕様決定に陸軍側要望が二転三転したことで生産余力がありながらも制式化されたのは36年12月になってからとなったのである。Ⅳ号戦車A型として制式化されたB.W.I(K)は陸軍側の要求によってシャーシを突撃砲に転用することが決定され、Ⅳ号突撃砲A型が制式採用されることとなり、当面はこの突撃砲の生産を優先することとしていた。


 陸軍側が突撃砲を優先した事情は7.5cm KwK 37 L/24に疑問が生じたことからであった。当初支援戦車として開発されていたB.W.I(K)は歩兵直協が主務であったが、固定砲塔を装備した突撃砲の方が大口径砲を装備出来ることから支援火力としては遙かに有効であると判断された。これに伴い、旋回砲塔で短砲身の75mm級戦車砲は中途半端な性能であり、生産の意味があるのかと意見が出ていたのである。


 また、装甲貫徹能力ではⅢ号戦車A型に装備された3.7cm KwK 36 L/46よりも大英帝国で開発されたばかりのQF2ポンド砲の方が上であるという情報が入ってきたことから、装甲車両を相手とした場合、7.5cm KwK 37 L/24も見劣りする部分があったことから早急に戦車砲を採用決定するよりも開発中の5cm PaK 38の制式化と戦車砲転用をするべきではないかという意見が続出したのである。無論、早急に旋回砲塔を持つ戦車を装備するべきと言う意見もあり、大英帝国からQF2ポンド砲を輸入し、初期モデルはこれで対応するという意見もあった。


 これらの結論が出なかったことから、7.5cm KwK 37 L/24を装備する当初設計案を仮制式という形としつつもその生産をキャンセルし、Ⅳ号突撃砲A型にその生産予定数を充てることとしたのである。Ⅳ号突撃砲A型には軽榴弾砲である10.5cm leFH 18Mを搭載することとなり、砲兵火力の機動化を促すことへと繋がったことは迅速な展開が可能になることで砲兵科には特に喜ばれる結果を生み出したのである。


 尤も、大英帝国もQF2ポンド砲が榴弾を用いないという情報が伝わると陸軍上層部には失望が広がり、5cm PaK 38の開発促進、合わせて過去に不採用となった7.5cm FK L/42の再検討、合わせて5cm PaK 38の口径拡大を目論むこととなった。


 火力的に7.5cm FK L/42や5cm PaK 38の口径拡大が本命であろうと考えられたが、過剰性能であるという意見が大勢を占め、結局は5cm PaK 38の戦車砲転用が優先、その次に7.5cm FK L/42の戦車砲転用、5cm PaK 38の口径拡大という順序とすることが大筋で決まったのは年が明けて37年1月も半ばを過ぎた頃であった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 装甲師団を親衛隊と陸軍と空軍の三箇所が別に持つというのはいかにも当時のドイツらしい話ですね。 チェコが併合されない未来があるなら当時開発が進んでいた中戦車が出てくるでしょうし、ポーランドも…
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