ドイツ政治情勢<2>
皇紀2597年1月23日 ドイツ情勢
34年の政変によってアドルフ・ヒトラー首相とヘルマン・ゲーリング国会議長の間には隙間風が吹くようになったが、それは政治的立場においてと限定するべきだろう。
34年当時、ゲーリングは航空大臣としてドイツ空軍の再建に取り組み、部下のエアハルト・ミルヒ、アルベルト・ケッセルリンクなどを用いて戦力の拡充と再建を推し進めていた。
その一貫として航空メーカーに競作を指示、新型戦闘機開発が進められていた。その競作はメッサーシュミット社とハインケル社の一騎打ちとなり、ハインケル社のHe112が採用され、メッサーシュミット社のBf109は不採用ながらも改修開発続行命令が出るという結末を迎えた。
36年に至ると各種航空機2500機までその保有機材は膨張し、特にウラル爆撃機構想によってユンカース社が開発したJu89が初飛行を行い、37年に入るとJu90、フォッケウルフ社のFw200が初飛行を行う見込みとなり、戦略空軍への脱皮をしつつある状況にまで成長するに至っている。
これらが実現出来たのはゲーリングの強力なリーダーシップによるものであるが、航空省/空軍が人材の発掘と適材適所な配置を行ったことによる成果であると言える。だが、それを促した背景にソヴィエト連邦とその同盟国の存在があったというべきだろう。
急成長を遂げる空軍と違い、陸軍はソ連とのラッパロ条約が失効したことでソ連領内における秘密兵器開発が出来なくなり、その結果、開発進行に著しい影響を受けてしまったのである。
特に戦車開発が停滞したことで失敗作と見做されたNbFzを生産配備することで体面を保つ必要性に迫られ、また、不足する火力を補う意味からも列車砲の製造、そしてラントクロイツァー・スレイプニールという装軌式列車砲が配備されることとなった。
目下、新型中戦車が開発中であるが、これも紆余曲折があり、陸軍内においても激論が交わされている状況である。新型戦車が急いで配備される見込みであるとは言えども、ドイツの下腹部に食い込む形で横たわるチェコスロヴァキアの存在はドイツ国防軍全体にとって非常に脅威であり、いざ戦時となった場合、ポーランド軍は兎も角、チェコスロヴァキア軍のLT-35がバイエルンなどへ急速展開し、オーストリア=ハンガリー帝国及びイタリア王国との連絡を遮断すると予測され、これに対処するのは非常に困難と考えられていた。
しかし、不足する地上機動戦力を補い得る戦力として空軍に期待が寄せられ、特に急降下爆撃機が敵機動戦力の浸透を防ぐ要になると考えられていたのである。こういった状況で航空メーカーが俄然やる気を出し、ユンカース社がJu87を投入、近接航空支援を可能としたのである。
特にユンカース社は半国営状態でもあり、航空省/空軍の要求が反映させやすいという事情もそこにはあり、ゲーリングの鶴の一声で多額の資金が投入されることとなったのだ。
だが、それはそのまま政治的立場に影響を与えることとなる。
空軍や航空メーカーがゲーリングによって差配されていることで大きく予算を確保出来ることで急成長している反面で陸軍は戦車開発の難航、また徴兵制度の復活が未だ行われていないことで発言力が低下し予算面で厳しい状態であった。そのため、陸軍はヒトラーに接近することとなる。
真っ先にヒトラーに接近したのはハインツ・グデーリアンであった。後に韋駄天ハインツ、戦車将軍と言われる彼は帝国宰相官邸を訪れると自身が著してまだ出版していない「Achtung Panzer!」を片手にヒトラー相手に演説をぶったのであった。
「閣下、時代は戦車であります。戦車にトラック・オートバイ・装甲兵員輸送車により機動力を高めた歩兵と機動性の高い爆撃機による火力支援等を組み合わせ、敵の強点ではなく弱点に対する電撃的な集中力と突破力の発揮を目指すべきであります」
いきなり押しかけてきたグデーリアンにヒトラーは面食らったが、彼に独演会の継続を指示し、その内容を理解しようと試みる。
「これにも示しておりますが、例えば、ベルリンから1000キロを48時間で走破しウィーンに入城することも可能であり、敵の主攻ルートを迂回し、後方へ回り込み、敵の司令部を沈黙せしめることで前線の指揮系統を寸断させることが出来れば、総兵力で劣ろうとも十分に挽回可能であります」
「グデーリアン君、余は以前に君の進言で装甲師団を設立し、今や3個師団が存在しておるが、君が言うような速度を発揮することは出来ないと報告を受けておるが?」
「閣下、NbFzの様な鈍足のそれではなく、軽快高速な戦車を多数配備すべきなのです。参謀本部においても確かに歩兵直協を目的とした戦車の開発を考慮すべきという意見がありますが、戦線構築して平押しするという使い方に戦車を用いるべきではありません。先程申した通り、敵の抵抗が薄いところを急速突破すること、それによって敵の包囲網を完成させないこと、通信や連絡を遮断することこそが、戦車運用の神髄なのです」
その後、グデーリアンは時間の許す限りヒトラーに一方的な講義を行い、戦車戦術を叩き込んだのである。それから数日後、指揮する装甲師団の兵営にいたグデーリアンは宰相官邸に出頭するよう命令が届き、その日のうちに彼はベルリンへと旅立つ。
「喜び給え、グデーリアン君、余は君を宰相府直属の装甲兵総監に任命することにした。今は麾下の戦力は書類上は武装親衛隊の一部が所属するのみだが、君が理想とする戦力を整え給え。陸軍の装甲師団も君の実績次第では予算を投入し、君の育てた戦力と同等のモノとすることを約束しよう」
「閣下のご理解、感謝致します」
ヒトラーは国軍の最高指揮権を有さないことから、私兵組織である武装親衛隊に国軍装甲師団と同様の戦力にしようと画策したのである。これならば、法の枠外であり、実質的に空軍を私兵化しているゲーリングに対抗出来るからであった。そして、同時に直接手出しを出来ない陸軍の兵制改革の先駆けとすることで影響力確保を狙ったのである。
グデーリアンにとっても、この人事は願ったりと言えるものであった。参謀総長ルートヴィヒ・ベックと彼の意見は対立することが多く、グデーリアンは嫌気が差していたのだ。そして、自身の理論を誰にも邪魔されず実践出来る新天地が用意されたことで彼とヒトラーの利害が一致したのであった。
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