新型中戦車
皇紀2597年1月20日 帝国陸軍事情
九四式軽戦車の制式化以後、陸軍省、参謀本部は陳腐化しつつある八九式中戦車を代替し得る新型中戦車開発を要望し、その仕様をいくつか陸軍技術本部に指示していた。
技本はそれに対し、いくつかの設計案を提示し、陸軍省及び参謀本部の反応を見ることとしたのだが、その一例を挙げてみたいと思う。
15t級中戦車:試製チハ甲案
全長 5.55 m
全幅 2.33 m
全高 2.23 m
重量 15t
懸架方式 独立懸架およびシーソー式連動懸架
速度 40 km/h
行動距離 210 km
主砲 九七式五糎七戦車砲
副武装 九七式車載重機関銃×2
装甲
前面25 mm
側面25 mm
後面20 mm
上面10 mm
底面8 mm
防盾50 mm
発動機 統制型九七式発動機 空冷V型12気筒ディーゼル 200馬力 排気量21.7L
乗員 4 名
15t級中戦車:試製チハ乙案
全長 5.55 m
全幅 2.33 m
全高 2.23 m
重量 15t
懸架方式 独立懸架およびシーソー式連動懸架
速度 40 km/h
行動距離 210 km
主砲 九四式三糎七戦車砲
副武装 九七式車載重機関銃×2
装甲
前面25 mm
側面25 mm
後面20 mm
上面10 mm
底面8 mm
防盾50 mm
発動機 統制型九七式発動機 空冷V型12気筒ディーゼル 200馬力 排気量21.7L
乗員 4 名
10t級中戦車:試製チニ
全長 5.26 m
全幅 2.1m
全高 2.2m
重量 10t
懸架方式 独立懸架およびシーソー式連動懸架
速度 30 km/h
行動距離 250 km
主砲 九七式五糎七戦車砲
副武装 九七式車載重機関銃×2
装甲
前面20 mm
側面20 mm
後面20 mm
上面10 mm
底面8 mm
防盾20 mm
発動機 三菱A六一二〇VDe 空冷V型6気筒ディーゼル 120馬力 排気量14.3L
乗員 3 名
18t級中戦車:技本参考設計案
全長 5.7 m
全幅 2.4 m
全高 2.4 m
重量 18t
懸架方式 独立懸架およびシーソー式連動懸架
速度 45 km/h
行動距離 210 km
主砲 試製九八式四十七粍戦車砲戦車砲
副武装 九七式車載重機関銃×2
装甲
前面50 mm
側面25 mm
後面25 mm
上面10 mm
底面8 mm
防盾50 mm
発動機 統制型試作発動機 空冷V型12気筒ディーゼル 250馬力 排気量21.7L
乗員 5 名
技本が提示した四つの設計案に対して、参謀本部は九四式軽戦車の発展型であるとして10t級中戦車を推した。しかし、速度性能に不満があり、多少重量増となっても構わないから速度向上を求め、発動機の換装を要望した。しかし、技本がこれに対し技術的に可能ではあるが、実現しても15t級中戦車と大差ないものになり、また装甲が薄いことから改設計そのものが魅力的なものにならないと反論したことで参謀本部は設計案通りで良いと意見を引っ込めた。
一方で陸軍省は参謀本部の見解と異なり、軽戦車の枠から脱却しきれていない10t級中戦車に難色を示す。予算的には10t級中戦車案の方が配備数を稼げ、歩兵師団にも戦車中隊の配備が出来ることで総合的な火力増強が望めることから参謀本部の要求も理解はしていたが、九四式軽戦車と比べると速度性能で劣り、尚且つ装甲が多少増圧されている程度では中戦車という存在の役割を考える上で適当なのか疑問符が浮かんでいたのであった。
18t級中戦車案は技本が独自提案を試みたものであるが、これには関東軍総参謀長である東條英機中将が技本の原乙未生中佐を唆して設計案としてまとめたものである。これには参謀本部だけでなく陸軍省も試作段階の砲や発動機が用いられていることから参考以上には出来ないと判断された。しかし、一部会議の参加者からは本命はコレじゃないかという意見がちらほら聞こえていたことから技本は手応えを感じていたのである。
結局、意見集約が出来なかったことから試作車両の製造と試験中隊の配備をすることで評価しようという話となり、36年夏に十分な試作車両が出揃い満州に送られることとなったのだが、この試作車両を製造している間にノモンハンにおいて戦車戦が行われ、独立混成第3旅団を中核とする篠塚支隊が壊滅するという事態が発生したのである。
一度方針を決めて製造が始まっていたこともあり、試作車両の製造は継続され、36年5月には10t級中戦車が出揃ったが、やはり懸念された通りに速度性能が満足出来るものではなく、また、ノモンハン他の戦場で鹵獲したソヴィエト製対戦車銃の狙撃に対して装甲防御が不十分であると判明し、同様に篠塚支隊の壊滅から最低でも37mm程度の火砲から近距離よりの射撃に耐える装甲が必要と結論が出たことで装甲厚は25mm程度が要求された。
そうなると戦訓から適当な戦車は試作車が未だ出揃っていない15t級中戦車が適当という結論に至るのだが、そこで問題が浮上してきたのである。
「10t級中戦車では戦場で役に立たないことは明白になった。だが、15t級中戦車も甲案と乙案がある。57mm短加農では歩兵直協なら兎も角、37mmと比べても装甲貫徹能力が不足しているのは明らかであるから対戦車戦闘を考慮すると甲案は如何なものだろうか」
「いや、そうは言うが、歩兵直協こそ戦車の本分。対戦車戦闘など本来は対戦車砲の仕事だろう」
「だが、露助はあのバケモノを戦場に投入してきて、我々は全く歯が立たなかった。九〇式野砲で片付けられたからまだ良かった・・・・・・それを考えるとな」
「まぁ、待て、技本の乙案は37mmを搭載しているじゃないか、これならば57mm短加農よりも貫徹能力がある。当面はコレで良いのではないか?」
「何を言っておるんだ。それでも不足しておるから篠塚支隊が壊滅したではないか」
文字通り会議は踊る。されど進まず。結局、この時も結論が先送りされることとなった。しかし、関東軍からの矢の催促によって15t級中戦車は甲案と乙案が両方とも拡大試作という名目で生産され、36年8月には1個連隊40両が揃い前線に送られることとなった。
この時の編制は以下の通りであった。
戦車第11連隊
第1中隊:試製チハ甲×10、自動貨車×4
第2中隊:試製チハ甲×10、自動貨車×4
第3中隊:試製チハ乙×10、自動貨車×4
第4中隊:試製チハ乙×10、自動貨車×4
整備中隊:自動貨車×24
意見集約も出来なかったことでとりあえず歩兵直協と対装甲車両戦闘が行えるようにと半数ずつ配備したものであった。だが、備砲の統一は出来ずとも高機動が可能であり37mm級対戦車砲の直撃程度は耐えることが可能な戦車が配備されたことは関東軍の士気を大いに鼓舞したのである。
また、内地で留守番している八九式中戦車などの装備改変が順次行われることとなり、そのまま九七式中戦車として甲乙両仕様が採用されることとなった。しかし、満州への派遣で急いだ戦車第11連隊とは違い、内地の留守戦車連隊の改変は陸軍予算の兼ね合いで急激には進まない。
騎兵連隊を捜索連隊として改変し、これに九四式軽戦車を配備している中での九七式中戦車の採用であったのがその量産を妨げていたのである。
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