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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2596年(1936年)

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新世代重爆<1>

皇紀2596年(1936年)12月18日 愛知県名古屋 三菱工場


 三菱の航空機及び発動機製造の工場群は名古屋港に隣接している埋め立て地に集中している。史実では支那事変、ついで大東亜戦争の開戦により順次拡大し、月産で航空機250機、発動機450基を陸海軍から要望されこれに応えるべく工場の増設を行い続けた。


 だが、いくら天下の三菱とは言えども急拡大する工場敷地は無限ではなく、岡山県水島、熊本県健軍にそれぞれ工場を新設することで更なる増産へ対応していくことになるが、新工場群の操業がなし得た状態でもこの名古屋航空機製作所及び名古屋発動機製作所が主力であったのだ。


 しかし、それが三菱の運命を左右したのは言うまでもない。B-29による本土空襲の標的になり工場施設の多くが灰燼に帰すことになるが、実はそれ以上に大きくダメージを与えたのは東海地震であった。


 44年12月の東南海地震によって中京地区は各産業に大きなダメージを負ったが、その直後にB-29が来襲し地震による災害復旧も始まったばかりのところへ追い打ちを掛け、この結果、烈風など新型機の投入が遅れ、また発動機製造に深刻な打撃をこうむることとなったのである。


 この世界でも同様に三菱は名古屋築港における工場増設を行い、海軍向けである九六式艦上戦闘機の量産体制を整えつつあり、そして、同様に陸軍から競作指示が出ているキ21についても既に実機を製作、試作機が組みあがり試験飛行を実施することが出来ていた。


 史実ではハ6発動機(ボア・ストローク:140mm×170mm/排気量36.7L/875馬力)を搭載していたが、これがいわくつきの発動機であり、陸海軍の確執、陸軍の三菱系発動機の選定忌避に繋がっている。


 元々海防義会設計委員会の設計によって震天改(A6)発動機(ボア・ストローク:140mm×160mm/排気量36.5L/920馬力)が海軍によって推進され、それに対抗すべく震天/ハ6(A7)が陸軍によって計画されたという経緯があった。


 この陸海軍の開発方針に対して陸海軍のバラバラな要求ではなくメーカー側が開発の主導権を握るという方針深尾淳二技師が推進し、金星/ハ33(A8)の開発を震天改(A6)震天/ハ6(A7)と並行して行っている。三菱社内でもこの動きに批判的な声が上がったが、開発チームは深尾氏の旗振りによって突っ走っていく。


 A8の開発が進んでいくとそれに比例するように陸海軍の三菱に対する空気は険悪さを増していくことになる。それは開発が進めば進むほど、自分たちが望んでいる発動機の開発遅延と直結しているからである。


「そんなものよりも早く震天/ハ6(A7)を開発しろ」


震天改(A6)の方が馬力も上なのだからそっちを優先しろ」


 陸海軍はそれぞれ自分たちの面子のためにも圧力をかけてくる。それは三菱社内でも次第に問題となり、開発チーム内でも軍部への配慮を深尾に進言するようになるほどであった。


 だが、深尾は首を縦に振らない。


「若い君たちに心配させて申し訳ない。だが、もう少し我慢してくれ」


 開発チームも自分たちの仕事の方向性の確信があり、また努力してきた成果を否定するような真似をしたくはなかったことから更に深尾の指導の下に開発に邁進し、そして遂にA8が完成する日を迎えた。


 しかし、その時、海軍は嫌がらせの様な過酷な審査試験をA8と三菱に課した。この審査運転は関係者をハラハラとさせるが、当のA8は素知らぬ顔をして所定の性能を発揮し無事に審査運転を終了させることとなった。


 臍を曲げていた海軍もこの結果には満足したのか、年度の途中であるにもかからず100基近い発注を掛け、あっさりと震天改(A6)の開発へのこだわりを捨てたのである。


 だが、問題は陸軍の方であった。


 自分たちの要求を蔑ろ(※陸軍側主観)にされ、その上で同じく蔑ろにされていた筈の海軍が裏切った(※陸軍側主観)ことが陸軍の面子を徹底的に傷つけてしまったのである。


 こうしてA8の誕生の裏で陸軍による三菱製発動機冷遇が始まった。


 そして、キ19とキ21の競作においてA7がキ21の指定発動機とされたのだが、予定調和として発動機選定には漏れてしまい、キ21の設計にもキ19のデザインを取り入れることを要求され、その上、航空機の心臓ともいえる発動機すらも中島のハ5に持っていかれてしまったのである。


 陸軍の恨み骨髄とも言える仕打ちではあったが、これは後に陸軍側にもしっぺ返しされる格好にもなり、今度は三菱が陸軍に対して臍を曲げてしまった。これによって、陸軍は競作を以後することはなく、一社指名による試作機開発を行う様になった。


 さて、そんな史実の背景を持つキ21であるが、機体設計は史実同様に九三式重爆撃機(キ1)の流れを汲むものであった。堅実ではあるが旧態依然とした無骨な設計と言えるだろう。しかし、それゆえに冒険はなく安定した性能を発揮していると言えた。


 九三式重爆(キ1)の様な発動機由来の不具合はなく、陸軍側要求の殆どを満たしていること、陸軍側の追加要求もある程度なら対応出来ると見積もられ、制式化は確実だと三菱関係者たちは認識していたのだ。


 また、史実と違い陸軍側が発動機の指定をしてこなかったこともあり、最初からA8の最新型式であるハ33-51を選定出来た。尤もハ33-51は審査試験をパスしたばかりで実際の量産は37年後半から38年初頭になるだろうとことは陸軍側も承知していた。だが、史実と違い、A6やA7という寄り道がなかったことでA8の早期開発、そして熟成にヒトモノカネを費やすことが出来たことで金星/ハ33(A8)系列の発展が加速していることによるメリットは計り知れないと言えるだろう。


 しかし、同様に中島もブリストルとの提携によって発動機開発が加速し、技術の熟成と開発ノウハウの蓄積が大きく影響を与えている。ハ5の発展形であるハ34-1を投入することが可能となり、両社とも1300馬力台の発動機で競作に臨むこととなったのである。

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― 新着の感想 ―
[一言] ほほう。 三菱のキ21はハ33か。 無難だろが、速度が少し足りないんじゃないか? 明日はキ19かな。ハ34を載せるとどうなるか。
[一言] 関東大震災で液状化現象は知られているとはいえ対策工法普及時の1/6の磁石、油圧で何処まで対策出来るか……転生者主導で半導体製造や潜水艦、機械の防振用にゴム噛ませて振動や騒音が低減されているで…
[一言] 重爆開発は始まったけど、エンジンでここまで揉めるとはな…戦時に備えて共通化は出来るのかね? 今は対ソ連戦を想定して、中型双発爆撃機が中心となっているけど、より後方を戦略的に叩くカウンターも求…
2023/02/01 12:31 退会済み
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