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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2596年(1936年)

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新兵器の実験場

皇紀2596年(1936年)11月27日 エチオピア戦線


 エチオピア戦線に投入されていたSM.81ピピストレッロは十分な数を用意して侵攻作戦に用いられていたが、ソヴィエト連邦製のSB高速爆撃機の登場によってその速度性能から旧式化著しいという印象が現地軍には広がっていた。その最高速度は330km/h足らずで、SB高速爆撃機の最高速度450km/hには遠く及ばないことからより新型で高速なSM.79スパルヴィエロの投入が望まれることとなった。


 新型機故に本国において訓練を行っていたSM.79スパルヴィエロはSB高速爆撃機と対抗出来る460km/hを誇り、開発中のBR.20と同じく同世代機では優れた速度性能を有している。侵攻開始時点では訓練中であり、まだ十分な数が揃っていなかったことで投入されていなかったが、事態の進展はこの新型機の登場なくば成り立たないと思われるほどSB高速爆撃機登場はイタリア軍に衝撃を与えていたのだ。


 実際、10月末から赤色義勇空軍(SB高速爆撃機)による活動が活発化し、『アビシニアの通り魔』と渾名がつくほどゲリラ的な空襲を行い、少なからぬ損害を現地軍に与えていた。実際の被害そのものよりも、迎撃機が手出し出来ないことの心理的圧力が現地軍の士気を低下させ、またエチオピア軍の士気を高める結果となっていたことがより問題であったのだ。


 無論、現地軍は首都アディスアベバへの戦略爆撃を行い焼け野原にすることで皇帝ハイレ・セラシエに圧力をかけてはいたが、近代的な町並みであるわけでもないアディスアベバが焼け野原になったところでそれほど効果を上げてはいなかったのである。


 だが、戦略爆撃が皇帝に対してそれほど成果を挙げなくても、エチオピア国民生活や経済活動にはそれなりに影響を与えていた。マーケットが灰燼に帰したことで生活物資や食糧/食料が入手し辛くなった。また、同様に地方主要都市への空爆も同様に行われ、病院や鉄道施設などが次々と標的となり破壊されていったことで明らかに国民生活に多大な影響が出始めていた。


 そうなると今度はエチオピア側が報復行動に出て、ハーグ陸戦法規に違反するダムダム弾を戦場において使用するという暴挙を行ったのである。戦闘そのものはイタリア軍とそれに協力する叛乱民兵の勝利ではあったが、エチオピア軍が叛乱分子へ見せしめ的にダムダム弾を用いたことはエチオピア国民だけでなく国際社会に衝撃を与えることとなった。


 比較的同情的であった中南米やアメリカ合衆国に与えた影響は大きく、イタリア王国の聖戦という大義名分に賛同する支持運動が広がることとなり、一部の義勇兵たちも戦列を離れるという事態を引き起こすこととなったのだ。


 何よりエチオピア国内への影響は大きく、撃たれた叛乱部族や帝国政府へ非協力的な部族は各地で決起して駐留するエチオピア軍を襲撃しイタリア軍に合流するという流れを生み出してしまったのであった。これには皇帝と帝国政府も想定外だったようで、ダムダム弾の使用を禁止する命令を発したが、既に遅く、国際的にも孤立を深めてしまうこととなった。


 イタリア占領地以外でもエチオピア帝国は各地で部族反乱や一部軍部隊の命令違反、不服従が頻発し、首都周辺と中枢民族の支配地域を除いては騒乱状態に陥っていることとなったが、それゆえにイタリア軍も敢えて進撃をやめて本国から後詰が来るのを待つ姿勢を鮮明にしていく。


 業を煮やした皇帝はソ連から提供されていた毒ガスを一部地域で用いて反抗的な部族や叛乱分子を殲滅する作戦に出たことで、後顧の憂いを断つことでイタリア軍に備え、信用出来る部族などに論功行賞として浄化した叛乱分子の居住地域を分け与えることで支持基盤を確立することとした。


 この浄化&再配置は皇帝周辺の貴族層にとっては非常に受けの良い施策となったことで、彼らの私兵が更に周辺の反抗部族を鎮圧し手柄を立てるという循環を促すこととなったのだが、これはそのまま皇帝の支持を下げる結果につながるが、エチオピア帝国の上層部は誰もそれに気づくことはなかったのである。


 こうして11月も終わりを迎えた頃、待望の新戦力であるSM.79スパルヴィエロが戦場に投入され、また、同じく、大日本帝国から川崎キ28改が輸出されることとなり、ピヴィエーレ(千鳥)と名付けられ、月産20機で総計100機の受注を受けた川崎航空機は大張り切りでこの要望に応えた。


 航空優勢が確保出来る目処が立ったことでイタリア現地軍は12月攻勢に出ることになる。そして、満蒙戦線とは別に植民地戦争と同時に列強の代理戦争がここに幕を開けることになる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 玉突き事故方式で事態がどんどん発展していってやがる…(白目 しかしソ連、ここでSBを投じてきたか…確かにアイツはこの頃の中型爆撃機として相当な完成度だったしな…
2023/01/08 11:09 退会済み
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