SBショック
皇紀2596年10月31日 エチオピア戦線
機械化され、航空支援を受けているイタリア軍の進撃は非常に好調であり、文字通り快進撃を続けたといえる。開戦からわずか十日で北部の主要都市にして古都のアクスムを陥落させ、オベリスクを背景にした写真がその翌日に各国の朝刊で配信された。
国際社会はジュネーヴにおける国際連盟会議の行方を見守っていたが、日英独仏がイタリア王国の聖戦論に同調したこともあって、いつエチオピア帝国が降伏するのか、そこに話題は移っていた。特にイタリア軍の快進撃がエチオピア帝国の落日を印象付けることに繋がっていたからだ。
10月中は主要都市が陥落する度にジュネーヴにおいてイタリア側の降伏勧告、そして英仏主導の日本側提案を踏まえた現状の停戦ラインや停戦条件が何度か提示されたが、何れもイタリア側に非常に有利なものばかりでエチオピア側は拒絶を繰り返していた。
だが、それでもエチオピア側は抵抗の意志を示し続ける。エチオピア側が停戦の意志を示すのは常任理事国で唯一エチオピア側を支持した国家の存在があったからだが、日英独仏とイタリア王国という他の常任理事国はそのことにそれほど注意を向けることはなく、単に他の列強がイタリアに肩入れしていることへの反発程度にしか見ていなかったのだ。
しかし、月末になるとその最後の一角が行動に出たのである。
エチオピア帝都アディスアベバへ次々と双発爆撃機が着陸してきたのである。長躯クリミヤ半島からトルコ共和国、サウジアラビア王国を経由してSB高速爆撃機が空輸されてきたのである。
その半数は遠征飛行によって失われたり故障して再び飛ぶことが出来なくなっていたが、それでも15機が稼働する状態であったことから赤色義勇空軍としてエチオピア軍に参加したのである。
そう、最後の役者がここに揃った。ソヴィエト連邦の事実上の参戦である。正式な戦争参加ではないが、イタリアの侵略に抵抗する人民への贈り物と言う体裁でSB爆撃機と大量の銃火器が持ち込まれたのである。
また、フランス領ジブチを経由してアメリカ企業のラベルを貼って偽装された密輸武器が鉄道を介してアディスアベバへ持ち込まれたのもこの月末である。無論、その密輸武器もソ連からの発送であり、ソ連へ進出したアメリカ企業がロンダリングに加担していたのだ。
大量の武器弾薬が届いたことでエチオピア軍は一気にその装備を整えて首都決戦に一縷の望みを賭けていた。エチオピア代表がジュネーヴの国際連盟で強気の姿勢を崩さなかった理由である。それだけでなく、ソ連赤軍兵士も多数がジブチを経由してエチオピアへ入国し、義勇兵としてエチオピア軍に参加している。
皇帝ハイレ・セラシエはソ連義勇兵やソ連製武器を装備した帝国親衛隊を首都前面に配置し、練度を高めることとソ連義勇兵による訓練をさせることで反撃の機会を待つこととしたのだが、その結果、北部と東南部の主要都市の多くがこの10月中に陥落することとなった。
だが、実際に戦闘が始まることはなかったが、SB高速爆撃機の登場はイタリア軍に衝撃を与えることとなり、その行動を抑制する効果を生み出したのである。
この時、イタリア軍が東アフリカへ展開していた航空機は新型とは言えども複葉機であるCR.42ファルコであり、100機がエリトリアとソマリランドに分散配置されていた。このCR.42ファルコの速度性能は最大速度430㎞/hであり、対するSB高速爆撃機は最高速度450㎞/hで追いつくことが困難な相手であったのである。
SB高速爆撃機の出現はそのまま欧州諸国にとっても衝撃を与える存在となった。双発高速爆撃機という概念は列強各国でも研究開発されていたが、概ね37-38年頃に登場出来るだろうという予測が立っていた。大英帝国が開発中のブリストル・ブレニムもその最高速度は400㎞/h程度であり、その戦力化は37年中と専らの評価であり、大日本帝国海軍の九六式陸上攻撃機も同様に最高速度400km/hである。イタリア王国でもフィアット社が開発を進めているBR.20はSB高速爆撃機を上回る最高速度460km/hであるが、戦力化するには今少し時間がかかる見通しであった。
その中で、最も速く戦線に投入されたSB高速爆撃機は現有のイタリア軍の戦闘機では追いつくことも出来ず、迎撃戦闘では明らかに不利を被っていたのだ。
この事態は現地軍にとって非常に脅威であり、首都陥落よりも優先して対処すべきものと判断され、31日に現地軍司令部で現状の作戦は全てキャンセル、侵攻計画の練り直しが決定されることとなった。
最優先目標が切り替わったことに現地軍に混乱を生じさせたが、同時に快進撃によって戦線が拡大しきっていたこともあり、補給の問題も生じつつあったことから、本国から戦略爆撃を可能とする爆撃機を用意出来るまでの間は既存の占領地の維持と治安の確立、補給線の確保に専念することが当面の方針となり、ここでイタリア軍による10月攻勢は一旦停止することとなったのである。
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